日本明慧


77歳老人の大法との出会い

 【明 慧ネット2004年9月27日】77歳の私の父は19歳で党員になり、20歳で革命に参加、忠誠な党員だった。しかし、文化大革命のあらしの中脱走もできず、自殺こそしなかったが苦しんだ。想像するに、ある旧暦の元旦の朝、旧年に別れを告げ新年を迎える爆竹の音の中で、彼は高い帽子をかぶせられ、街頭で批判を行い街を引き回され、体に壁新聞をいっぱいに貼られた。翌日朝起きて、家族は父がいなかったことに気づいた。その頃自殺する人は多かったので私の家族は野外を探まわり井戸の中まで探した。結局、夜になって父が自ら家に帰ってきた。父は外で一晩中ぼうっとして、自殺したかったが、しかし年老いた母のことを考えると、自殺を思いとどまったと父が言った。

 父はずっと神とか鬼がいることを信じず、彼は頑固でしょっちゅう他人と争っていた。たぶん父に何かを分からせるためか、ある夜会議が終わり家に帰る途中、とがった頭で、黄色く、足のないものが、父の前で翻ったり,翻ったりした。あの頃郷里はいつも鬼が出るといううわさがあって、父はその時たいへん恐れた。その時父が止まると前の影も止まると言。父が歩くと前の影も歩く。その後、父は心の中ではまだこれらを信じなかったが、しかし二度と他人と口論しなかった。

 私の姉妹の3人すべて法輪功を修煉する。父は反対しないが信じてもいなかった。特に1999年7月20日以後、歳をとるにつれて父の健康状況はますます悪くなり、しょっちゅう入院していた。去年(2003年)10月に、彼はまた心臓病のため入院した。医者はしばらくの間治療しても、家族に彼が病院を出られないかもしれないと言い、家族に亡くなる準備をさせた。

 家族はいつも病院で父と何が修煉なのかを話すため、父と一緒に彼の人生の経歴を思い出した。ある日父は突然私の妹に言った。「法輪大法がよいと信じる。退院したい」。退院した後父はいつも「法輪大法はよい」を黙読した。ある日の朝、彼はたいへん感動して家族に言った。その日の夜12時に彼は全く寝つけなかったため、座禅を組んで「法輪大法はよい」を黙読した。父はその時思えば思うほど心が静になったと言う。2時間ずっと黙読して、突然家の中がたいへん明るくなった。彼は少し緊張して、しかし目を開いて見ると家の中は真っ暗で、目を閉じると、また家中たいへん明るかった。

 あの後から、父は『転法輪』を読み始め、すぐに連続して下痢をする情況が現れた。彼の悟性がとてもよくて、これは先生が彼の体を整理していると知っていた。父は毎日法を学んでそして二度煉功を堅持した。二ヶ月あまりで彼の心臓病はいつのまにかなくなった。彼は一回第二功法を練るとき頭前抱輪の時、以前は肩と同じ高さしか上がらない右腕は正常な人と同じに上げることができた!彼は更に修煉の心を固めた。

 多くの病気はすべてよくなったが、父の足はずっと腫れていた。ある日、父は突然私の妹の家に学法しに行きたいといった。その日の晩、父は全身から汗が出ると感じ、息が続かなくなり、もうだめだと感じた。家族は一方で『転法輪』を読んであげ、一方で自分を修煉者だと父を励ました。一晩苦しんで、翌朝父は意外にも立ち上がり、何もなかったかのようで、その上彼の二本の足からすべて腫れが引き、正常な人と同じになった。その後、父は思った。もしその時私の妹の家に行っていなかったら、私の修煉しない弟は修煉のことがわからないで、あのような情況ではきっと父を病院に連れて行ったはずだ。父がこれは先生の慈悲の加護で、電話で私は声も立てずに泣いた。父の体に起こる一連の非常に不思議なこと、彼は大法を更に固く信じ、更に師の恩に心から感謝した。

 このようにして、父のような頑固な無神論者、77年の艱苦の人生を歩んだ後に、ついに宇宙の真法を得た。これだけでなく、父も法を実証し、真相を伝える道を歩んだ。

 私がこの文章を書く時たくさんのことを感じ取った。中国には私の父のような人はとても多い。私は心から私の父の実例を見た人々へ、真剣に考えるように望み、人の世の万事は風向き次第で死去し、もし宇宙の真法を得るならば、それは本当に容易なことではない。機縁は貴重で、早く目を覚まし、自分で一本の明るい道を選ぼう。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/27/85165.html