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天津市で不法に秘密拉致された大法弟子、李良さん

 文/天津大法弟子

 【明慧ネット2004年10月4日】10月2日、つまり建国記念日ゴールデンウィークの二日目に、天津市河東区の警官耿涛(音)が午後三時に李良さんの家に来た。李良さんは朝早く仕事に行ったため、家にはただ年老いた両親だけが残っていた。耿涛は彼の両親と取り留めのないおしゃべりを始めた。彼の両親がミサイル部隊で服役したことがあるため、耿涛は部隊についてたくさんの質問をしていた。李良さんの両親は彼がなぜ家に来ておしゃべりする暇があるのかをおかしく思った。

 一時間後に、すべての答えがでた。午後4時、ドアの外から足音が聞こえて、李良さんの父がドアを開くと、河北分局だと自称する二人の警察が中に入ってきた。一人が宗暁升(音)、もう一人が劉広涛(音)だという。彼らが家の家財を没収し始めた。続いて河北分局の一人の警察(李良さんの家族は河北区に属するため)、戸籍警察の陳青、居民委員会の劉玉英およびもう一人がやってきて、まるまる一時間かけて家中を捜査、家財を没収した後、『転法輪』を三冊と内容が不明のディスク二枚しか見つからなかった。そして一人の警察が離れる前に、李良さんの両親に対して「これはまだましな方だぞ、お前らの家をめちゃくちゃにしていないからな」と言った。警官が家財を没収しにくるとき、李良さんの両親は始めて李良さんが再び拉致されたのを知った。部屋中のものが乱雑に散らかしているのをみても、どうすることもできなかった。

 しかしこれはまだ終わりではなかった。夜の8時少し前に、耿涛がもう一人の若い警官をつれて来て、李良さんの両親に本は誰のものか、ディスクの内容はなにか、まだ彼らがいつも誰と連絡を取っているのかなどを聞いた。30分たってから始めて離れた。

 今になっても李良さんの両親は息子がどこに監禁されているのかを知らない、まだ何の返答も得られていない。

 李良さんは1999年7月北京で拉致され、一ヶ月後に天津市で釈放された。同年の10月末に、陳情の手紙を書いたため再び拉致され、1年半の労働教養に処せられ、悪名高い天津市双口労働教養所に監禁されていた。期間満了後も労働教養所は人を釈放せず、一年の刑を延ばしてまた天津市薊県漁山労働教養所に移転された。

 2004年4月、李良さんは転向するのを拒絶したため、再び建新労働教養所に監禁され、後にまた二年労働教養され、天津市青泊?労働教養所に監禁された。2004年5月22日になって、李良さんが始めて自由の身となった。

 李良さんの二人の姉もそれぞれ法輪功を修練したため労働教養所に監禁された。一番上の姉李紅さんは二回も労働教養され、今なお天津市板橋労働教養所(外部から板橋農場と呼ばれている)に監禁されている。二番目の姉李迎さんは上海市女子労働教養所で二年間監禁された後釈放され、彼女のフィアンセに救助され、今はオーストラリアにいる。

 ここにおいて私たちは今回の拉致事件に参与したすべての人員に厳粛に告ぐ、「すぐにすべての大法弟子を釈放せよ、あなたたちが誰の命令を執行していようとも、あなたたちは自分の成した行為の責任を負わなければならない。善悪にはそれぞれの報いが来るのは天の理であることから。」

 劉玉英のいる居民委員会の電話番号:0086 22 26418379
 河北区分局電話番号:0086 22 24211876
 市公安局電話番号:0086 22 23398255




(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/4/85746p.html