日本明慧


基点を正し、心で成し遂げる

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年10月9日】私は大法弟子が真相資料を配るときに存在する一部の問題点に気づき、ここで提起してみんなと交流しあい、共に改善し、向上することを図りたいと思います。

 最近では、本地区の一部の同修たちが真相資料を配るときに、心からやっているのでなく、常に手中にある真相資料を気軽に路上に捨てることがある。さらに恐怖心が重い同修は、真相資料を常人に気づかれにくい所に置くようにしており、人々の目に届くか、真相資料が人々の手に渡るかについては考慮していない。また一部の同修は、自分の手中にある資料を全部配り終えれば任務完了かのように考え、真相資料さえ配れば法を正す時期の大法弟子になれると考え、しかし人々が本当に真相資料を手に入れることができるのか、本当に真相を知るようになったのかについてはあまり考えていない。

 私たちがこのような強烈な恐れる心を抱いて、自我の心を実証しては、世人を救い済度する良い効果は得られない。かえって旧勢力の黒い手および卑しい鬼に隙を乗じられることになり、それは非常に危険なことである。実際のところ、師父は1997年2月13日に発表した『佛性に漏れなし』の中で明確に「更に皆さんに教える、実は皆さんの以前の本性は、自らの為、私の為を基としてものだったのだが、今後何かをするときには、まず他人のことを配慮し、無私無我で、なおかつ他人を先に自分をあとにするという正覚にまで修練しなければならないのだ。したがって今後、何かをおこない、何かを言う時も他人のため、ひいては後世の人のために考えなければいけない!大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのである!」とおっしゃっている。

 私自身もこの面においては深い体得がある。江沢民政権の高圧な迫害の下で、私はかつてに回り道を歩んだことがある。後に同修たちの助けの下で、私は非常に幸運にもまた修練の道に戻れた。当初、私は基点を正すことができず、ただ非常に強烈な自我を実証する不純な心を抱いていた。ただ修練の中で自分を向上させ、自分が背負っているのは衆生を済度する神聖な使命であることをほぼ忘れていた。後になって、絶え間ない法を学ぶことで、明慧ネットにある同修たちの交流する文章を閲読していくうち、私は目覚め始めた、自分の執着を見つめることができ、同時に自分と同修たちとの間にある距離も見えた。私は自分がすでに旧勢力の私の為の、我の為の境地に陥っていて、超脱することができていないのに気づいた。法における認識が向上されるにつれて、私は旧勢力の按排したすべてを否定し、基点を正し、心で真相を伝えることを成し遂げようと決心した。今の私が真相資料を配るときに、最も多く考えているのは衆生を済度すること、どのようにしてより多くの世人が真相資料を受け入れるようになるのかである。

 実は私たちすべての大法弟子がはっきりと分かっているように、すべての真相資料はみな同修たちが食費を切り詰め、物を節約することで少しずつ蓄えた金で、危険を冒しながら印刷してから私たちの手の中に入ったものであり、すべての真相資料はみな同修たちの心血が浸透している。故に、これらの衆生を済度することのできる真相資料は非常に貴重である。私たちはより大事にしなければならない。明慧ネットで同修たちはすでに数回もこの問題について提起し、そしていろんな真相資料が雨水および露に打たれて濡れるのを防止する方法について触れていた。もし私たちすべての大法弟子が基点を正して、心で成し遂げることができれば、邪悪要素も隠れるところを失い、徹底的に取り除かれることに直面することになる。

 以上に書かれたのは個人的な考えであり、適当でないところは同修たちの批評および指摘を願う。




(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/9/86187p.html