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鄭州大法弟子・陳麗君さん 迫害により死亡

 【明慧ネット2004年10月12日】鄭州大法弟子・陳麗君さん(女性、40歳)はかつて鄭州市十八里河労働教養所に不法に二回労働教養された。労働教養所で、陳麗君さんはいろんな残酷な虐待を受け、また殴打された。例えば、上縄(虐待の一種)され、胸部、腹部、陰部を殴打され、大便を口に塗り付けられた。使い終わった生理用ナプキンを口に貼られたり、汚い雑巾を口の中に詰め込まれたりした。労働教養所の隊長である周小紅と任遠芳は何回も麻薬常習犯に指図して、陳麗君さんを虐待させた。

 陳麗君さんが二回目に不法労働教養されたときのことである。陳さんが朝の体操に参加しなかったため、隊長が彼女と話し合いたいと言って、三名の麻薬常習犯が陳さんを十八里河二階の部屋に単独に呼んで行き、順番に陳さんにびんたを食わせ、拳で殴り、足で蹴った。また彼女の胸、背中を酷く殴った。その後、陳さんは一ヶ月あまり引き続き熱があった。その後、陳麗君さんの希望で、病院に行って、検査を受けた結果、肺結核と判明した。鄭州市十八里河労働教養所の任遠芳はかつて陳麗君さんを強要して、一緒に陳麗君さんの自宅ともう一人の大法弟子の家に行き、数千元の医療費用を請求した。陳麗君さんは2004年9月7日に病院にいる間に、脱出した。

 陳麗君さんが脱出した後、鄭州市十八里河労働教養所の関連メンバーは自分達の悪行が暴露されることを恐れて、直ちに逮捕しようと秘密に捜査を始めた。鄭州市十八里河労働教養所は陳さんの親戚の家を訪れ、自分たちは陳麗君さんに対してとてもやさしく接しているので、もし陳麗君さんに逢ったら彼女を労働教養所に送るようにと、陳麗君さんの親戚を脅したり、利益で誘ったりした。かれらはまた陳さんを釈放するとも言った。陳麗君さんがトウ河の叔母の家に駆けつけた時、陳麗君さんの叔母は彼女を引き取って世話をしようとせず、陳麗君さんに保証書を書くように要求し、労働教養所に戻って保証書を手渡すように要求した。そして陳麗君さんは行くところがなく、またお金もなくなり、人から50元を借りて、かつて知っていた同修の家に行った。

 陳麗君さんは165センチも身長があり、肌は白くきれいだった。しかし労働教養所から脱出したとき、彼女の顔は黄色で、目は深く落ち込んでおり、お腹は張って、痩せこけて骨と皮になっていた。腕は子供の腕よりも細くて、肉を食べることができず、支えないと歩けないこともあり、記憶力は悪くなっていて、お金を数えることが出来ず、体は衰弱していて、思想は多少ぼんやりしていて、また何かを恐れていた。見知らぬ人に逢うと、不安を感じ、常に十八里労働教養所には幾層も鉄門があると言っていた。陳麗君さんは捕まって、労働教養所に戻されることを恐れて、この同修の家に長く泊まらなかった。また自分が労働教養所で受けた残酷な虐待をインターネット上で公表できず、邪悪の迫害が更に酷くなることを恐れて、自分の経歴を完全に述べないまま、2004年9月29日の午後4時にこの世を去った。

 陳麗君さんがなくなった後、鄭州市中原公安支局は彼女の遺体を写真に撮り、また陳さんが住んでいたところを踏査した。鄭州市中原公安支局、元の中原区610事務室、鄭州市十八里河労働教養所などは、陳麗君さんの死亡の責任を、彼女の世話をし、看護し、接触した大法弟子に負わせようとしている。また本件にかかわる一部の大法弟子を監視しようとしている。陳麗君さんの遺体は既に火葬された。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/12/86442.html