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河北省石家庄市の14歳の少女張露は
父母が不法に監禁されたため、母の妹に扶養されている

 【明慧ネット2004年10月12日】 14歳の張露は、張嶺江と于静霞の娘で、河北省石家庄市の大法弟子です。 現在、母である于静霞は石家庄市第二看守所に不法に監禁されています。彼女は一次審判で10年間の判決を受けました。今、目前河北省の最高法院に上訴しているところです。父である張嶺江は、不法に13年と言う判決受けて、現在保定市の河北省第一監獄に監禁されています。そのため、母の妹が張露の面倒を見ています。

 数年前、張露の父母は迫害を避けるため、流浪生活を余儀なくされました。この頃、新華公安分局と石岡大街派出所の悪党警察は、何度も張露が在学している学校に来て、彼女の勉強と生活を妨害したので、張露は一年以上も学校に通うことができなくなりました。張露は、元の学校に戻って勉強を続けようとしましたが、すでに、元の学校には彼女の在学を証明する書類が紛失していました。元の学校で勉強を続けることができなくなった張露は、友人の助けで、石家庄のトラクター工場の子弟中学校に在籍することができました。現在、張露は中学校2年生として勉強を続けています。

 以前、張嶺江と于静霞は娘の張露と一緒に石家庄市の柏林北区10号楼二単元401号に住んでいました。この数年間、江**集団の法輪功に対する残酷な迫害が続いていますが、夫婦二人ともに法輪功をしっかりと修煉し続けていました。法輪功の教えのとおりに、“真・善・忍”を自分に要求し、物事を他人の立場から考えていました。例えば、住んでいるマンションの階段に電灯が付いていなかったため、階段を上ったり下がったりする人々が不便であることを知ると、張嶺江は自分の家から電線を引っ張り、人がマンションに入るとすぐ明るくなるように電灯を付けました。于静霞は、数年前から服装店を経営していました。数年前、ある洋服を作る人が于静霞から数万元のお金を借りました。しかし、この人は何年経っても返そうともしませんでした。仕返しをしようと思った于静霞は、この人から手段を講じて借りたお金の2倍分の洋服を取りあげました。しかし、法輪功を修煉してから、于静霞は法外に取った洋服の分である4万元を返しました。その洋服を作る人は感動して次のように語りました。“自分が他人に不利益になるようにしたから、自分が他人から不利益にされてもどうしようもなかった。本当に、この4万元が戻るとは思わなかった。”

 張嶺江と于静霞の服装店の売り上げは非常に良かったので、生活は豊かでした。また、友達がいつも遊びに来ていたので、家はいつもにぎやかでした。しかし、1999年7月20日、法輪功が不法に迫害されると、この幸福な家は以前の賑わいを失いました。“こんなに良い法輪功なのに、政府はなぜ取り消すと言うの?”と、政府のやりかたに納得できなかった張嶺江と于静霞は、政府や友達に法輪功の真実を伝えるべきだと考えました。

 2000年2月4日の夜、石家庄市の大法弟子達は、自発的に河北劇場に行って煉功しました。張嶺江と于静霞も他の大法弟子と一緒に行って煉功しました。夫婦の目的は、 “法輪大法は良い功法である。決して、悪い功法ではない。”と言うことを人々に知らせるためでした。しかし、公安は理由も聞かずに大勢の人々を不法に逮捕しました。于静霞も、悪党警察に捕えられ、不法に15日間も石岡大街派出所に監禁されました。

 2000年7月のある日の夜、数名の友達が于静霞の家へ遊びに来ていました。そこへ、石岡大街派出所の悪党警察が、彼女の家に来るとドアを叩きながら大騒ぎをしました。于静霞は悪党警察にドアを開けませんでしたが、派出所の悪党警察は電気道具を使って無理矢理、防盗門を切り、勝手に家に入ってきました。さらに、遊びに来ていた友達を含む家にいる全ての人を不法に逮捕しました。于静霞も石家庄市の第二看守所に不法に送られ、1カ月以上も監禁されました。当時、石岡大街派出所の悪行は明慧ネットに報道されました。真実を知った海外の学員達は、石岡大街派出所と新華公安分局に電話をしたので、悪党警察は自分達の悪行がばれて怖くなり、于静霞を釈放しました。

 于静霞の夫である張嶺江は、人々に法輪功の真相を知らせるため、また、江氏集団の “経済上で制裁し、精神上でやっつけ、肉体上で消滅する” “打って死んだ人は、自殺したと言ってもよい。死んだ人は、身元を確認せずに、直に火葬にしてもよい。” と言う法輪功に対する滅絶的な政策の下で、法輪功学員が人道無比の無残な迫害を受けている真相を人々に知らせるため、流離失所している法輪功学員達にマンションを貸して、一緒に真相資料を作りました。2001年9月28日、資料点が破壊され、その場にいた全ての学員が不法に逮捕されました。また、現場の印刷設備および現金などが悪党警察に持って行かれました。張嶺江は、石家庄市第一看守所に2年間も不法に監禁され、2003年7月には、10年間と言う判決を受けました。現在、張嶺江は保定第一監獄に不法に監禁されている。

 張嶺江が不法に逮捕されると、公安は妻である于静霞の行方を調べ、彼女を逮捕しようとしました。そこで、于静霞は仕方なく、家を出て流浪生活をするようになりました。元々幸福な家庭であった彼女の家は、“法輪功が良い功法である”という真実を広報しただけで、迫害され、ばらばらになってしまったのです。以前、売り上げが良かった服装店は、于静霞の妹が経営しなければならなくなり、また、娘も于静霞の妹が面倒を見るようになりました。新華公安分局の悪党警察が、服装店に来て、店で働いている親族やパートさんを不法に審問したせいで、店員は怖くて全員店の仕事を辞めてしまいました。新華公安分局の悪党警察は、公民の正常な生活をこのように言葉に言えないぐらい妨害したのです。

 2004年1月19日(旧暦の12月28日)午後3時、親族を見るために服装店に来た于静霞は、店の付近に潜伏していた新華公安分局の悪党警察に見つかり、その場で不法に逮捕されました。その後、于静霞は石家庄市第二看守所に送られました。于静霞は、絶食することで悪党警察の残酷な迫害にずっと抗議しました。そのため、体は痩せて、人の形とは言えないぐらいになってしまいました。また、両足は腫れて歩けない状態になってしまいました。内臓の機能も動かなくなってしまい、いつ、息をひきとるかわからなくなりました。

 于静霞の体の状態が極度に衰弱したので、悪党警察は彼女を釈放して家に帰らせましたが、監視はずっと、止めずに続いていました。さらに、邪悪な悪党警察は、しばらく経つと再び、于静霞を不法に逮捕し、石家庄市第二看守所に非法的に監禁しました。于静霞は、不法に10年間という判決を受けていますが、現在、河北省の最高法院に上訴しているところです。

 
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/12/86436.html