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母親、伯父とも殺害され、孤児の王天行は伯母に扶養されている(写真)

  【明慧ネット2004年9月29日】孤児:王天行、男の子、2歳、今現在母親の姉の馮暁梅が引き取って育てている。両親が長期にわたって迫害を受けていて、いわゆる“合法的身分”ではないという理由で王天行は今なお戸籍が登録されていない。

現住所:石家庄市槐北路農郵楼南楼東門304、郵便番号:050000,電話:0311-5811851,6730639
母親:馮暁敏、2004年6月1日迫害よって死に至った;
父親:王 峰、2001年6月から路頭に迷っている。
具体的な情況は次の通りである:

                 母親馮暁敏は2004年6月1日迫害よって死亡

 馮暁敏:1970年生まれで、34歳の若さでこの世を去って行った。彼女は黒竜江省チチハル市のある大学を卒業して、石家庄市国綿6工場に就職した。家族にも余り人脈がないため彼女は普通の作業スタッフとして働いていた。小さい時から姉を頼りにしていた馮暁敏は姉夫婦と一緒に住んでお互いに配慮し合っていた。小柄で体が弱い彼女は会社を休みがちで周りの冷たい目に遭ったりした。彼女は落ち込んだり、不平がたまると、甚だしい時には一人で黙々と涙を流した。このような状況下で彼女の体の調子は益々悪くなる一方だった。姉の夫婦が法輪功を修練し始めてから家族全員が健康になり、仕事も順調で楽しく毎日を過ごしているのを見て彼女は自分も試しにやってみたいと思って、1996年頃から法輪功の本を読み始めた。絶えず勉強と煉功を通じ、次第に法に対する多くの道理が分かるようになって、問題にぶつかった時はまず原因を自分に向かって探し、他人を思いやり、至る所で自分に厳しく要求した。彼女は良い人間になるだけではなくより良い人間になりたいと心で決めた。それから心身とも元気で、健康になり、愉快な気持ちで仕事に励んだ。その後、大法学習者の王暁峰と知り合って、二人は愛し合って結婚した。二人とも親孝行して、互いに助け合って、家族そろって幸せな日々を送っていた。彼女たち夫婦は朝一緒に煉功場に行って煉功してから充実した清々しい気持ちで出社して、夜はまた一緒に法の勉強をして、自分自身に根深く残っている欠点と執着を指摘しあった。その雰囲気はとても和気藹々で高尚なものであった。週末には両親の所に行って付き添ったり、あるいは姉を誘って旅行に出掛けたりした。生活はとても楽しくて、憂いも心配もなかった。

 1990年7月20日の夜明けの大捜査で馮暁敏の姉夫婦は逮捕されて、家には10歳の姉の息子王博如だけが残されていた。馮暁敏は散々に荒らされている部屋の中を見て、仕事を辞めて、甥を連れて至る所で事情を説明して姉夫婦の行方を探した。市政府及び省政府に陳情に歩き回ったが最終的には中央国務院でないと解決できないと告知された。それで彼女はまた甥の博如を連れて北京へと出発したが途中で至るところで警察に足止めされて質問された。彼女たちは大通りを避けてトウモロコシの畑を横切って行かざるを得なかった。足には水脹れができて、服も汚くなって、腹もぺこぺこになって、様々な苦労のすえやっと北京に着いた。しかし、“私服警官”があちこちで人を逮捕していて秩序が乱れていたため、馮暁敏と甥の博如はバラバラになってしまった。馮暁敏は多くの大法弟子について天安門広場に来た。そこには数千人の大法弟子が地面に座って口をそろえて《議語》、《真修》を暗唱していた。周りに完全に武装した警察がびっしりと包囲していたが突然、武装警察が学習者を引っ張って車に乗せた。大法弟子たちは手と手をつないで断固して拒否すると武装警察は暴力を振るい始めて、学習者を殴り付けた。学習者みんなが口をそろえて“やられても殴り返さず、ののしられても言い返さない”と声を上げた。当時の風景はとても壮観で悲壮なものだった。一部の武装警察は感動して、手を放した。馮暁敏は一人の悪警官に顔を打たれて大型車に乗せられて石家荘に戻された。それからというもの、かつての落ち着いた幸せな生活はなくなった。派出所から人が尋ねて来て法輪功の本を出せと脅迫したり、法輪功を修練しないと保証書を書けと強制した。町内会からも人がきて見張った。親戚と親友たちは恐れて、博如はまだ小さいから人の世話が必要であるとひっきりなしに彼女を説得させようとした。このような様々な圧力下でも馮暁敏は、粘り強く最後まで意志を貫いた。ついに彼女の姉夫婦は尋問を受けて二ヶ月ほど拘禁された後家に戻ってきた。しかし、依然として落ち着きのない日々が続き、家の外には常に見張りがいて、出入りを監視した。

 2000年12月の末、姉の夫は突然家の中で逮捕されて連れて行かれた。彼女の姉も家に戻ることができず、二人とも再び行方不明になってしまった。生活の重任は再び馮暁敏の肩に落ちた。彼女は博如の学校の送り迎えをしながら、一方では至る所で姉夫婦の行方を探した。焦ったり、腹が立ったり、また警官に家宅捜査をされるのも恐ろしかった。一ヵ月後彼女の姉は苦しめられて気息奄々となって警察所から家に戻された。姉を見る人は誰もが命は助からないだろうと言った。しかし、彼女は強い正念を持って姉の世話をしながら同時に、独学で法律の知識を勉強した。電話または文章を提出したり、直接公安に真相を暴露して、それらの非合法行為を訴えた。彼女はもし姉の身に何かあったらすべての責任を彼らに取ってもらうと警告すると同時に姉の夫を釈放するよう強く求めた。彼女のさまざまな努力があって姉は1週間後に健康を取り戻した。しかも警官も姿を現わさなかった。これらは当時のそれだけ厳しい環境の中でも正念正行で信念を貫いた馮暁敏の行動が邪悪を震撼させた。そして、姉にその後落ち着いて生活ができる基礎を築いた(当時、大勢の学習者が迫害によって路頭に迷っていた)。

 2001年5月、馮暁敏は一人の学習者と山登りを約束して、“法輪大法は素晴らしい”というシールを身に付けて家を出て、途中、石家庄市東華路派出所のパトロール中の警官に不法に逮捕されて、それから40日近く行方不明になった。実はこの間彼女は東華路派出所の史リーダーと悪警官 方誌勇の酷い拷問で自供を強いられて、何度もショックを起こして応急措置を受けた。邪悪な史リーダーは悪警官 方誌勇に支持して馮暁敏を石家庄市第1留置場に送り込んだ。留置場の警官は犯罪者の扇馮暁に支持して、彼女の顔を変形するまで殴りつけさせた。彼女は目の前が真っ暗になって何度も気絶した。このような状況下でも彼女は断固不動に邪悪に協力せず20日余りの絶食を行った。体が極度に衰弱して、何度も命が危険な状態になった。留置場も受け入れようとせず、労動教養所も受け入れようとしなかったが東華道派出所は依然として彼女を釈放するつもりはなく、恥も知らずまた5000元をゆすり取ろうとした。彼女たち姉妹の断固たる拒否で邪悪の目的は達成できず馮暁敏はついに姉のところに戻った。しかし彼女の体は極度に衰弱していて、いつも高熱を出した。当時邪悪はとても凶暴で絶食を行った一部の学習者をまた不法に逮捕して「洗脳クラス」に入れ込んだ。甚だしい場合は労動教養所に送り込んで長期にわたる迫害を与えた。

 当時の極めて悪い状況の中で馮暁敏はさらなる迫害から見を守るためにまだ回復していない体で姉と別れを告げて、夫と一緒に路頭に迷った苦しい生活を送った。身内を巻き添えにさせるまいと思って彼女たちは家族とほとんど連絡を取らなかった。この期間中彼女は自分を厳しく要求していたため体は急速に回復に向かって、法の勉強と心性の向上、煉功、真相説明、発正念などしっかり行っていた。2002年9月、彼女は赤ちゃんを生んで生活は更に苦しくなった。

 路頭に迷った生活を送っていた間、邪悪は少したりとも迫害を緩めることはなく、いつも彼女の姉のところに来てかき乱したり、また市610の悪警官らはこっそりと2ヶ月近く調査を行った。その後市の610は裕華支局と裕強派出所に、必ず彼女たちを探し出せと指示を出して、かつて夫の両親の実家まで人を出して不法に家宅捜査までした。彼女たちの夫妻にとって環境はずっと厳しく、警官は常に戸籍調査を理由に至るところで路頭に迷った学習者を逮捕した。聞くところによると、裕華支局は主管局長の李軍也は彼女たちを探し出せと彼女の姉を脅迫した。このような状況下で彼女たち夫婦は家族に助けを求めることができず子供の世話も頼めなかった。彼女たち夫婦はどうやってこの幼い子供の世話すれば良いのか分からなくて、毎日苦難に満ちた生活を送った。それにまた警官の“戸籍簿チェック”を避けるために精神的に緊迫した状態に置かれていた。特に去年“非典”期間中は、至るところで出入許可証を確認し、身分証を確認されたが路頭に迷った学習者たちは誰一人として身分証をもっている人がいない。彼女たちは生まれてまだ何ヶ月も経っていない赤ん坊を連れて、あちこち流浪しなければならなかった。最後には彼女夫婦は別れて生活をするしかなく、人の助けもまったくなく、一人で赤ん坊の世話をするその苦しみはどんなに辛いものか想像できたものではない。

 このような様々な状況に追い詰められて、馮暁敏は心身ともに深く傷つけられて、赤ん坊の面倒をみる気力さえ失っていた。彼女はしかたなく赤ん坊をしばらく姉に預けるしかなかった。今年5月の下旬ごろ、馮暁敏は心優しい人の助けで姉の家に送って行かれたが、しかし、すでに意識がぼんやりしていて、病院に運ばれて緊急措置を5日間受けたが助からず命を失ってしまった。診断の結果化膿性脳炎にかかっており脳には炎症が起こった時の膿がいっぱい溜まっていた。医者は以前頭部を強く殴打された疑いがあると言った。家族も馮暁敏が以前警官からめった打ちにされたことを疑っていた。家族に再会したが彼女はすでに意識が朦朧としており周りの人を識別することすらできず、すべて警官と見なし、近くに寄ろうとすると「迫害をやめて」と叫んだりした。しかし、現状況では事実を確かめる方法がなく、彼女の姉と夫はとても苦しんでいた。

 まだ34歳の若さで、一つ一つの難関を乗り越えて来た彼女は残念ながら朝を迎えることができず息子への思いを残したままこの世を去った。

 王暁峰:男性、30歳、重慶大学の国際貿易科を卒業した。1994年12月広州で行われた師父の最後の講習会に参加した。卒業後華北製薬クループ華欒有限会社の業務員として就職した。苦しみや辛さに我慢強く、清廉潔白で自分を厳しく律していたため、上司の深い信頼を得て、早くも業務課長に昇進して、社長と肩を並べて仕事に励み、また同僚たちとの付き合いも順調だった。しかし、99年7月20日以降、江氏集団は全社会が法輪功鎮圧と迫害に参与するように強制した。公安はよく会社に来ては厄介なことを言いふらした。天地を覆い隠すような情勢の中で経験のない若い社長は非常に恐れていた。会社への圧力を軽減するために、王暁峰は辞職願いを出した。会社に貢献した彼の実績を考えて社長は彼に一か月分の給料を余分に出してくれただけではなく、会社から資金を出すから自営の道へ進みなさいと促した。しかし、彼は丁寧に断った。

 王暁峰は以前は性格がとても激しくて、実家の方では喧嘩っ早くて有名で、学校でもいつも悪ふざけをやっていた。家族、学友、友達は彼を敬遠した。法輪功修練を通じて彼は心が広くなり、まず人を思いやる気持ちでいっぱいになった。法に対する勉強にも会社の仕事にも情熱を注げる有望ですばらしい青年に変わった。それから彼は同時にいくつかの会社の招聘を受けたりして、社長と同僚たちは彼に対する賞賛を惜しまなかった。しかし、江氏集団は道義と民意を顧みず、大法学習者に対して、特に路頭に迷っている学習者に対してその迫害レベルをアップしながら絶えず命令を出して徹底的な追跡逮捕を実施した。身内の後を付けたり、外来人口住民票調査(路上に迷っている学習者は住民票がない)を実施したり、実家の身内を脅迫したりした。最後には追い詰められて何度も引越しを繰り返したり、職場を変えたりした。生まれて来た赤ん坊は母親と一緒に居られることさえできずあちこちへと転々とした。生活もますます窮地に陥った。子供が日に日に大きくなるにつれ栄養補給量が増えて来るが、出費を抑えるために一回にたった2本くらいの肋骨しか買わなかった。妻が意識不明な状態になって入院した後、彼はようやくそのことを聞いて病院に駆けつけて看護したが、馮暁敏はすでに昏睡状態に陥っていた。彼は涙を流しながら妻と永遠の別れを告げ、また会ったばかりの一歳の息子とも別れを言わなければならなかった。またいつ会えるかも約束できない。彼は身内との別れに耐えながらまだ警察の追跡を受けている。一体なんと悲惨なことだろう!歴史はすでに21世紀に入り“人が人として生きる権利ができた今までで最高の時期”である中国で意外にも上記のような迫害を受けて家族を失うなどの悲劇が起きている。しかも、これらの影には江氏が暗躍しており、毎日中国のいろいろな地区で「上演」が続いている。

 現在王暁峰はどこで生活していて、状況がどうなっているのか誰もわかっていない。私たちはただ彼がとても悲しんでいるだろうと想像する意外に何も知らない。しかし、私たちは同時に彼はきっと強い信念で確固不動に修練を貫けると信じている。なぜなら、修練者の心は希望の光で満ちているから。

 聞くところによると王暁峰と馮暁敏夫妻二人とも石家庄市公安局の610“ブラック・リスト”に載っていて、ずっと“追跡”の目標となっていた。王暁峰は父親として息子を育てることができず、さらには顔を合わせることすらできない。それだけではなく彼は自分の身の安全さえ保障できない。これらは江氏集団の国家テロリズムのもう一つの犯罪の証拠である。私たちは、正義ある人々が情報を提供し、真善忍の信念を貫いている民衆に対する血生臭い弾圧を一日も早く阻止できるように、多くの人に協力を願いたい。一日も早く彼らの父子が団欒に生活できることを望んでいる。

 現行扶養人:王天行のおば馮暁梅(母親の姉)、39歳、1994年年6月師父の済南第2期講習会の学習者である。馮暁梅に関する具体的な情況は明慧ネットですでに報道しているがここで簡単に説明する。馮暁梅と夫の王宏斌は大学の学友で、1987年長春郵電学院電気通信システム科を卒業して、また同時に河北省の電話設備工場に就職した。1999年の7月20日以降の法輪功に対する弾圧以来、王宏斌一家3人は一夜にして不幸に見舞われた。家宅捜査5回、夫婦ともに6回も逮捕された。最初は家族がばらばらに四散し、それ以降路頭に迷い、肉親を失うなどの事件まで起きた。夫の王宏斌は逮捕されて、残虐な迫害、労働教養などによる積み重ねが病気を招き、2003年10月9日に肺癌のため冤罪を晴らせずにこの世を去った。享年39歳である。王宏斌の情況はすでに迫害よる死亡者名簿に記載されている。

 2004年6月、馮暁梅は妹が亡くなったという知らせを受け、当時の彼女が受けたショックはとても大きなものだった。なぜなら、夫を亡くした苦痛からまだ立ち直っていない彼女に妹の突然の死はどれだけ残酷なものだったか想像できたものではない。99年7月20日以降、姉妹二人はずっと互いに助け合いながら、共に迫害に反対し、死の瀬戸際から確固不動に修練の道を歩んで来た深い情誼を作り上げた同修でもあった。

 私達は自分自身の生命の存在意義をちゃんとわかっているため、困難の前で倒れることなく、残された二人の子供を立派に育てられると信じている。現在、馮暁梅はパートをやっていて、仕事はとても忙しく、生活は苦難に満ちているが、とても楽観的だがたくましく強靱な生活を送っている。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/29/85353.html