日本明慧


台湾からドイツへの修煉ストーリー(写真)

 文/張真

 【明慧ネット2004年10月21日】台湾彰化出身の黄尚義さんは、若くて、穏やかで、上品な人であり、ドイツに留学に来て、もう2年も経ちます。

 *機縁 ドイツに留学して教育関係を勉強

 尚義さんは小さい時から、学業の成績がずば抜けていました。高校時代、1度部活に熱中して、学業をおろそかにしましたが、それでも、第1志望で、国立成功大学機械学科に進学しました。しかし、勉強し始めると、自分の志向と一致しないのに気がつき、大学2年生の時、将来機械関係の業界に従事しないことを決め、一応4年の課程を勉学した後、将来のことを考え直そうと思っていました。

黄尚義さん(右1)

 学業は思いどおりになっていなかったため、尚義さんは物足りなさを感じ、ラグビーチームへ心を託し、球場で満足を得るようにした。また、よく図書館へ通い、各種の情報を参考にして、未来発展の方向を探しました。人文科学が比較的に自分に適することを発見しました。法律を勉強して、社会に正義を広めることを考えたことがありましたが、よく考えると、法律は本当に正義を擁護することができないと思い、法律の勉強を取りやめました。

 大学1年生の時、徳文を選択し履修すると、ただ1年間でやめるのは惜しいと思い、卒業まで徳文を引き続き選択して履修しました。徳文の教授はまじめで、熱心だし、すべてを傾けて学生に授け、教師と学生が相互に交流しあうので、学習の雰囲気が良かった。尚義さんは、これこそ自分が求めた学習の方式であると感じ、心の中に思わず将来教育をやろうという考えが出ました。それは今後ドイツに留学して教育を勉強する機縁を埋めていました。

 *誤信 中国大陸の中央テレビ局が宣伝したうそを

 2003年3月、尚義さんはまずドイツゴテイゲンの国語学校で半年間勉強しました。生活の環境は台湾と大きな違いがあるため、どうしても心は緊張し、焦慮していました。そんな時、寮の郵便ポストに週に一回《大紀元時報》が入っていました。この新聞は非常に清新で、健康的で、尚義さんに、1種の口に出せない感じを感じさせ、以前台湾で見た新聞と、まったく違っていました。

 新聞に「法輪功」というコラムがあり、中に法輪功のすばらしさ、不思議なことがいっぱい載せてあり、今までの印象と、まったく相反し、尚義さんはとても意外に感じました。

 尚義さんが台湾で兵役に服した時、中国大陸の中央テレビ局の番組を見たことがあり、その時、ちょうど天安門焼身自殺事件を放送していて、その中のマイナスの情報の影響を受けたので、法輪功に対しかなり反感を持っていました。法輪功の事は何も知らなかったが、真偽を見分けようともせず、それは自分と関係ないと思っていました。

 《大紀元時報》の情報は尚義さんに、誰を信じるべきなのかとても困惑させました。新聞に載っていた修煉の心得はどうしても人を騙すことに見えず、そのため、尚義さんは詳細を知ろうとしました。彼はウェブサイトで無料の法輪功の書籍をダウンロードできることを知って、「本を読んでみて、何が書いてあるかを分かれば」と思っていました。尚義さんは数日間をかけて、《転法輪》を読み終わりました。

 *大法を得る 誤解を一掃した

 ずっと気功に興味を持っていた尚義さんは、いくつかの気功をやったことがあり、中には、功理があいまいだったり、あるいは奥深くて分かりにくいものが多かったりで、それらの(気功)に深く入らず、諦めました。しかし《転法輪》を読み終わった後、中の法理が非常に円容であり、他の各種の功法と衝突せず、心の中のすべての問題の解答ができました。尚義さんはこの法理に完全に説き伏せられた!その後、ネットから功を教えるビデオと《大円満法》をダウンロードし、家で煉功していました。

 ビデオに従い、第2式の功法─法輪?法をやっている時、ゆっくりと両手を挙げ始めると、たちまち1筋の強大な気流が両腕間で流れているのを感じました。初の体験は尚義さんを大きく震撼させました!心の中に思わず、修煉したい願望が出てきました。それで早速法輪大法のすべての書籍をダウンロードして、修煉の道を歩み始めました。

 修煉をし始めた後、尚義さんは以前の不安な状況が無くなり、気持ちがとても闊達とするようになりました。本を読んで法を勉強するにつれ、自分の良くないところを発見し、本に書いてあった法理に従ってやれば、それらの欠点を取り除くことができました。身の多くの些細な欠点も自然になくなり、歩く時、足どりが軽くて、スプリングを取り付けられたようで、今までなかった気楽さを感じました!

 *願望 中国人に真相を理解させる

ビールフェルト文化祭のパレードに参加 アテネのパレードに参加——腰太鼓のチーム 学校のコミュニケーションデーにて屋台を出す

 2003年9月、尚義さんはビールフェルト大学に進学しました。ドイツ北部にあるビールフェルトは、工業の城であるが、至る所に緑が満ちあふれ、住みやすいところです。ビールフェルト大学は30年余りの歴史を持ち、外国人留学生の中には、中国からが最も多くて、約200人、台湾から来た人も30、40人ほどいます。

 学校に小さな煉功点があり、わずか3人の法輪功学習者からなっていました。みんなは彼と同じ教育を勉強していました。尚義さんは煉功点に参加し、週に一回ずつ、集団で煉功をしたり、法を勉強したりしました。他の学習者と交流するのに、ドイツ語を使うので、自然と、ドイツ語のレベルが高まって、学業の大きな助けになりました。

 自由な台湾で育てられましたが、やはり大陸のメディアが法輪功に罪を着せる宣伝の影響を受けて、あやうく法を得る機縁を失ってしまうところでした。尚義さんはメディアが世間の人を毒するひどさを実感していました。彼は学校にいる200名の中国の留学生も、彼と同じうそにごまかされているかもしれないと考えると、心がとても焦ってきました。中国人に真相を伝え、真相を分からせることが、彼の最大の願いとなりました。

 尚義さんは法を広める活動と真相を伝える活動に積極的に参加し、学校内で善意を持って中国留学生と接近しました。学生寮のポストへ真相のCD-ROMを入れたり、学校のコミュニケーションデーに参加して、法輪功の屋台を出したりしました。最初、中国留学生にスパイではないかと疑われ、嫌厭されましたが、長期の観察を通して、尚義さんの誠実、実直な態度により、多くの中国留学生は法輪功のすばらしさを理解しました。

 週末あるいは授業の余暇の時間、尚義さんはケルンとハイドボーなどの名所に行って、観光客に法輪功の真相の資料を配ったりします。それらの名所は中国からの観光客がとても多い所です。尚義さんは自分の言行を厳しく要求し、観光客にすばらしい印象を残し、自然と反撃しなくてもその偽り{大陸のメディアの法輪功宣伝}が自ら崩れ去るようになります。

 中国共産党江氏グループが法輪功を中傷する影響を受けたが、自由な環境にいた尚義さんは、自由な情報により誤解を解き、さらに幸運にも法を得ました。この“危機”は彼にとって、人生の最大の「転機」となりました。すべてのうそに騙された中国の善良な人民が彼のように、真相を知ることができ、中国の法輪功学習者も一日も早く自由な環境の中で、法を勉強し、煉功できることを尚義さんは、心から、望んでいます。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/21/87153.html