日本明慧


真相を伝える過程も自分の執着心を無くす過程

 文/吉林市の大法弟子 浄心

 【明慧ネット2004年10月23日】私は性格上とても内気なタイプの人間であり、言葉も下手で、ふだんから友達との交際も少ない。しかし真相を伝えるためには、必ず自分自身の不足を克服しなければならない。法を勉強して得た知恵によって、以前の習慣を変え、人に話し掛けてから話題をうまく切り替えて、真相を伝えている。

 例えば:年配の人に出会った時は、先に尊敬の気持ちを表してから「体の調子はどうでしょうか?私は法輪功を修煉してから体が丈夫になりました。」などと話す。このような言い方は距離感を無くすのにとても有効で、常人が受け入れ易くなる。もし中年の人に出会った時は、子供の教育やお年寄りの介護などのことを話し、彼らの正念を啓発してから法輪大法、真善忍を修煉することの良さを話す。もし若い人に出会った場合は、予言や中国の歴史の方面から話し出して、個人趣味から国家の盛衰まで話す。それから彼等の反応を見ながら文化大革命と天安門事件の過ち、更に法輪功に加えた迫害の重大性まで話をする。

 真相を伝える中ですぐ受け入れる人もいれば、受け入れない人もいるが、次第に受け入れる人もいる。しかし私達の心はそれに動かされてはいけない。私は真相を伝える中で、中国大陸の衆生が本当に深刻な毒害を受けていることを痛感している。テレビ、新聞、メディアの報道はすべて法輪大法を罪に陥れようとするものである。そしてメディアは法輪功学習者を良いところがなく且つ恐ろしい人間のように描いている。そのため私が表面上良い人間だと思って法輪功の事を言い出すと、すぐに顔色が変わり、嘲笑や憎むような表情をする人間もいる。私はこの様な事に出会う度に、私達の肩に懸かる責任の重大さを感じている。しかしこのような状況の中にあっても、私達は常に頭をしっかりさせて法に従って行動し、常人と同じようにしてはならない。私達が真相を伝える中でもし常人に受け入れられないなら、話題を変えて気分転換してから徐徐に導き、彼(彼女)等の好みに合わせながら、どうすれば衆生を助けられるかを考えるべきである。

 ある時、一人の20代の男性が憂鬱そうに酒を飲んでいた。私はとても関心を持ったという態度で話し掛けた。私は彼に何か困ったことがあるのかと聞いた。そして困ったことを話せば、私もその心配事を分担することができるかも知れないと話した。彼は私をじっくり見たが、私が心からそう思っていると分かり、話を始めた。私は先ず彼に何事があっても気にしないほうがよい。たとえ自分によくないことをした人間であっても恨んではいけない。物事を穏かな心理状態で対処し、道徳品質を重んじて、真善忍を良い人間になるための基準とする。と言うと彼はとても喜んでいた。その後私が法輪功を話し出すと、彼はすぐ態度を変えて:“お前は公衆の面前で、また大胆に法輪功のために話をする。今すぐ警察を呼んできてお前を捕まえるぞ。信じるか?” と言った。この時、私はとても冷静に:“現在の情勢の下で、あなたは話したことを完全にやり遂げることができる、私は信じる。

 しかしあなたは考えて欲しい、私がさっきあなたに言ったことはすべてあなたにとってよいことばかりではないか?私に少しでもあなたを害するつもりがあるか?私達法輪功を修煉する人は、至る所で自分を良い人になるように要求し、真善忍で自分を律している。あなたはこれさえ少しも認めず、かえってまだ警察を呼んでくるなんて、あなたは本当に良い人なのか?私を捕まえるなんて、あなたは耐えられるのか?良心に激しい痛みを感じないのか?”と話した。彼は返答に窮することになった。私は引き続いて法輪功が迫害されている真相を彼に話した。最後に彼は真相が分かり、私に続けざまに礼を言うようになった。彼は店を出る前にまた:“今後私はまたあなたの店に食事をしに来るよ、そしてたくさんビールを飲むから、あなたの収入も増えるよ。” と言った。

 私も笑って:“ありがとうございます。しかしたとえ私の収入が増加しなくてもあなたが酒を飲むことに賛成することはできない。かえってあなたに酒を飲まないように勧めます。たとえあなたが1元のご飯を食べに来てくれるとしても、私はとてもうれしくて、きっとあなたによく対応しますよ。”と言った。

 私が悟ったこと:真相を伝える過程も自分の執着心(特に恐怖心)を無くす過程であり、そして向上する過程でもある。常人の過ちはどこにあるのか、そして自分はどの部分にまだ注意しなければならないか、それを考えれば今後もっと良くなる。

 限られた次元なので、適当でないところがあれば、慈悲のご叱正をいただければ幸いです。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/23/87275.html