日本明慧


西洋人と中国人についての考え

 

 文/西洋人弟子

(Clearwisdom.net)私は修煉を始めた時、三つの理由から中国語を学びたかった。

1. 師父の話をより良く聞き、理解したい
2. 中国語を話す人々に直接眞相を伝えることが出来るように
3. 英語を話さない同修と話すことが出来るように

 長い間私はほんの数語中国語が分かるだけであった。今日は、有難う等の簡単なことが言えるだけであった。大法の仕事をするようになった時、多くの弟子達が、私が中国語が分からないから役に立たないと言った。

 自分の廻りの人が何を言っているのか分からないのは、とても厄介であった。2003年のシカゴ法会の時に、ある弟子が私に翻訳無しの師父の説法のMP3をくれた。私はそれを頻繁に聞くようになった。一週間後、大法の仕事に戻ると、私は簡単な文を話せることが出来、技術的な問題で同修を助けることが出来るのを発見した。3~6ヵ月後には、中国人弟子達と会話が出来るようになり、師父の説法の60~70%を理解することが出来ることが分かった。それは実に師父がこの期間に利用出来るよう、私に与えたものであった。何故なら私はあること"失と得"(転法輪)を放下出来たから。

 修煉において私は、西洋人であるとか中国人であるとか感じていないことが分かった。大法の粒子であると感じるだけである。中国人であるとか、西洋人であるとかの観念を持つと、大法弟子が行なうべきことを行なうことから私達を妨げる、大きな妨害を築いてしまう。法に完全に溶け込むことから、自分を妨げる。

 中国人も西洋人も良い面があり、悪い面がある。師父は転法輪の中で、両者の違いを説く。法は知識を得る為に、或いは自分の行動を正当化する為に説かれたのではない。法は私達が修煉する為に説かれた; 西洋人と中国人を分ける観念を放下せよ。そうして初めて私達は本当に一体として調和することが出来る。私達がここにやって来た時は皆、まず中国人であったと、師父が言ったではありませんか?

 私が見るところでは、西洋人の良い面と中国人の良い面は、特にどれかの人種に属するものではない。西洋人と中国人がこのようであることは、単にとるべき修煉の路が異なるだけである。

 又付け加えたいことは、西洋人、又は中国人の良くない面は、彼らの文化のせいではないと思う。文化は異なる天の王国から来たものであると、私は理解する。悪い面は、人間社会の文化環境の中で現れ出た、異なる執着や観念から来たものである。ある種の執着や観念が、異なった人間文化の中でより強い理由は、各文化環境が異なり、各々の中で現れた観念は各々のユニークさの反映であるからである。その結果生じた大法弟子間の分離は、法を正す時期において、旧勢力が私達を迫害する為に絶えず利用する。

 世界にそんなに多くの言語を作ってコミュニケーションを分離するのは、旧勢力が按配した所謂 "試練" の一部であると私は理解する。もしも師父が法を正すことを一度にするなら、旧勢力は世界全体が同一語を話すよう按配したに違いないと、私は思う。

 西洋人弟子であるか、中国人弟子であるかの観念を取除き、内面を見て、旧宇宙の最後のものを全て取除こう。そうすれば、私達はより十分に法に同化するかも知れない。そうなれば、私達は自然に一体となるだろう。


(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/10/26/53840.html