日本明慧


大法サイトでの翻訳作業の中の幾つかの修練心得

 

 

文/明慧翻訳一組

 【明慧ネット2004年10月26日】

尊敬する師父および同修へ:こんにちは

 今回の小規模法会に参加できて非常に嬉しく思います。今回の法会の開催を知ってから、ある翻訳組交流会の時、同修は私たちが組の名で私たちが英語明慧ネットサイトの作業についての修練心得についてみんなと交流することを提案しました。みんなも喜んでそれに同意しました。私たち翻訳組はすべての写真が添付されている大法弟子の全世界各地での活動の報道の翻訳、そして大法についての常人メディアの報道を編集することを担当しています。たくさんの写真のついた文章は時事性が強く、当日あるいは翌日に英語の明慧ネットで発表するよう要求されています。このような作業に参与した学習者には高度な翻訳スピードおよびクォリティが要求されています。

 私たち翻訳組のある同修が追憶の中で次のように語っていました。2000年の春に、ある同修が彼に翻訳組に参加することができるのかとたずねると、彼は多くの翻訳をしたことはないが、やってみたいと答えた。このようにやり始め後の数年間もずっと翻訳を続けていました。最初は主に迫害に関する報道を翻訳していました。国内の大法弟子の受けた残酷な迫害が彼を震撼させ、彼は常に涙を流しながら翻訳していました。より多くの人に迫害の真相を伝え、迫害を停止するように呼びかけるようにと彼は考えました。ですから文章を受け取るとすぐに翻訳して寄稿するようにしていました。このように一年後に、翻訳組の調整者は彼を今の明慧ネットの写真のある文章を担当する翻訳組に移したのです。

① 責任と使命—明慧ネット:貴重な修練および交流の環境

 英語バージョンの明慧ネットの仕事に参加してから、私たちにある種の責任感および使命感を感じさせました。ある同修は「まるで自分のいにしえからの願望のように、自分のこの数年間の正法修練の中の位置およびキャラクターを決定したのです」と語りました。

 彼女は2000年の5、6月に、ある翻訳の仕事を受験したときに、心の中から一念が浮かび上がってきました:常人の翻訳の仕事をするくらいなら大法のサイトの翻訳作業のほうがいいじゃないか。それに彼女の夫一人の収入で二人にとって十分だから、彼女は仕事を探す必要がなくなりました。それに彼女の夫にもこのような考えがありました。そこで夫が大法のサイトを見ているとき、ちょうどニューヨークのサイトで翻訳人員募集についての通知を見ました。そこでメールを送ってまだ人手を必要としているのかを確認しました。このように、この同修は英語バージョンの明慧ネットの翻訳作業に参加するようになったのです。翻訳の水準を上げるために、彼女は英語のネットから一篇の文章を選び出して、その中国語の原稿をも探し出しました。まず自分がその文章を英語に訳してから、そしてネット上で発表された英語の文章と対照したのです。後に明慧ネットの翻訳文章の中で、西洋の学習者の添削した後の文章を読み、彼らがどのようにして添削したのかを勉強していました。このように絶えず勉強し、絶えず向上する中で、翻訳もますますなれてきて、ますます速くなってきたのです。

 もう一人の同修は交流の中で次のように語りました。彼女が最初に大法と接触したとき、半信半疑から真に修練するようになるまでの数年の中で、彼女は常に個人修練の状態にありました。周囲にはほとんど交流する同修もいませんでした。そのとき、彼女の手元にある大法の書籍および資料はまだ国内にいる時に、母が彼女に送ったものでした。その後アメリカにきてから、サイトの使い方を知るようになり、彼女は数名の同修の作った個人サイトを見つけました。そこから、大法の録音および録画をダウンロードすることができました。偶然にも、また同修の修練心得をも読むことができました。その時彼女は非常に嬉しくなり、まるで久しく別れた家を見つけたかのようでした。それから常にそれらのサイトを見るようになりました。99年4月25日以降、彼女はさらにそれらのサイトに関心を寄せていました。毎日数回「緊急通知板」を見るようにしていました。事態の変化で彼女に修練の厳粛性を意識させたのです。同修たちの一篇一篇の文章で彼女は4.25の真相を知るようになり、大陸の同修たちが大法を擁護し、大法を実証し泣ける事跡はさらに彼女を震撼させたのです。後に明慧ネットができてから、明慧ネットを見ることも彼女が修練の環境を大切に利用する一部となりました。

 そのような経歴があったからでしょうか、この同修は「その時私は偶然にも明慧ネットの翻訳作業に参加したとき、私の内心の深くからその仕事の神聖さを感じたのです。理系の私ですが、英語にたいして才能がないとかねてから思っていました。ひいては学生時代の最も成績の悪い科目でした。私は自分も翻訳するなんて考えたこともなかったです。それにやり始めると数年立ちました」と語りました。彼女は自分が偶然に最初の文章を受け取ったときに、調整者と数回のメールのやり取りで初めて自分に文章を英語に翻訳するように頼まれていることを知るようになりました。短い数行だけでも、彼女は十数回辞書を使うことでやっと翻訳することができました。続いて、調整者から絶えず文章が送られてきて、毎週一篇から毎日一篇へと、彼女はできるだけ当日に完成するように努めました。翻訳された文章には修練心得、活動の報道、および国内の同修たちが迫害される内容でした。彼女は「驚いたことに、私が修練を怠けるところがあると、私に配分される翻訳はいつも必ず私の問題についての文章でした。本当に師父の無量な慈悲およびいたるところでのご加護を感じます」と言いました。

② 常人の仕事および大法の仕事の間にある関係を上手く調整する

 その後、この同修はメディアを報道するチームに推薦されました。チームのメンバーは非常に少ないが、担当する翻訳文章は非常に多い。同時に翻訳のスピード、質量をも要求されていました。翻訳組の当直は一日のうちに少ないときには2から3篇の文章を、多いときは7から8篇の文章を翻訳しなければなりませんでした。時に忙しくなりますと、一日のうちに7、8時間が必要でした。もし週末の当直ならまだましで、仕事の日に当直になりますと、当直編集者により多くの時間で私たちの文章を受け持ってくれるために、この同修はいつも日中たくさんの仕事の時間を使って最も時事的な文章を翻訳していました。

 彼女は「時々心の中に矛盾が生じてきます。常人の仕事もしなければなりませんから!私はどんなに神聖なことをしているにしても、決して極端にはしってはいけないことを知っています」と言いました。あるとき、彼女の内心が非常に矛盾しているとき、彼女は法を多めに学び、うちに向かって探し、そして自分には“物好き”の心が生じることに気づきました。常人の仕事を嫌がり、そして大法を実証する仕事の中でできた名利心に気づきませんでした。気づいた以上、これらの心を取り除かねばならず、二つの関係を正しました。彼女は精々もうちょっと苦しい目にあうに過ぎないし、平素から時間を大事にし、休憩の時間を短くすれば、二つの仕事はどれも遅らせることは無いと言いました。実は、彼女の仕事の時間は非常に上手く活用しています。やるべき仕事をやり終えてから、仕事の時間は随意に調整することができました。それに彼女の指導教官は彼女の研究成果にも満足していました。この後に、彼女が仕事を変える度に、仕事はまるで天から降ってきたかのように容易に見つかります。それに彼女の専攻は非常に特殊で、仕事も容易に見つからないはずでした。彼女は「私はすべては師父が按排してくれたと知っています。私たちは唯一歩一歩法に照らし合わせて実行し、精進して真に修めれば、必ずすべては上手くいきます」と言いました。

③ 大法の仕事の中で執着を取り除き、不純を落とし、法のために責任を取る

 大法のサイトのために翻訳するのは私たちの修練の一部分です。私たち翻訳組のもう一人のメンバーが次のように語りました。彼がこの翻訳組に入ってから間もないとき、調整者から翻訳組の仕事の流れの紹介および注意事項を受け取りました。彼は辛抱強く一字一句を読まずに、唯大まかにしか読んでいませんでした。しかしいつも極簡単な間違いを犯すようになり、他のメンバーの注意を受けて正されました。またあるとき同修が彼にあるサイトのアドレスをくれましたが、彼は長い時間をかけてもサイトの中には入れませんでした。そこで同修のミスあるいはサイトに問題があると思い込み、自分の問題について考えもしませんでした。最後に自分が入力するときに一つの文字が漏れたことに気づきました。この同修は交流するときに、「これらの小さい出来事からでも、私は自分の“不注意”、“焦り”および“うちに向かって探さない”欠点に気づきました。それにさらに深いところにあるのは自分の功を焦る功利心なのです」と言いました。認識してから改めようとしたこの同修は、これらの面において大きく進歩しました。

 もう一人の同修は、彼女が当直として文章を配分するとき、同組のもう一人のメンバーの翻訳が速いと考えて、一部の文章を彼に配分した。その後に自分の一念が不純であることに気づき、彼女は誠意を持ってそのメンバーと交流し、自分の執着を発見し、不純のところを取り除きました。

 私たち翻訳組のもう一つの任務とはヨーロッパ大法サイトから文章を収集し、整理することです。ある同修が言われたように、最初のとき、彼はこれらの文章をあまり細かく読みませんでした。ただ簡単に種類を分け、編集していました。しかしある翻訳組の交流の中で、もう一人の同修が、同一活動が明慧ネットと当該ネット上での報道の内容には著しく異なることがあると指摘しました。このことは彼の心を打ち、大法の仕事に対して、どうして常人の任務を完成するように適当にごまかすのでしょうか?それ以来、彼はすべての文章をしっかり閲読し、是正し、もしミスを発見したらすぐ訂正して必要のない損失を避けようとしました。

④ 大法の仕事および学法、煉功との関係を上手く調整する

 この面において、私たち翻訳組のメンバーにも似た経験がありました。ある時期法を良く学んでいれば、修練の状態も非常に良いとき、頭がはっきりとしていて、翻訳も順調に進んでいきます。一句一句の英単語は、まるで絶えず頭の中に流れてくるようでした。非常に長い文章でも、すぐに翻訳し終えられるのです。翻訳したあとに自分が読んでも流暢で、西洋の学習者によって添削されたところも極めて少ない。再びサイトでその文章を読むとき、本当に自分の翻訳した文章だとは信じがたいものです。文章の多い日になっても、恐れずに、素早く上手く完成することができました。しかし修練の状態があまりよくないとき、翻訳は非常に難しくなるのです。それでもやらなければならないため、ずっとそこで大変に苦労して、一句一句はまるで歯磨き粉を搾り出すように翻訳していました。後に自分でも編集された文章を読む勇気がないくらいでした。

 この翻訳組の仕事は、忙しいときには一日に7、8時間をかけても完成しないときもあります。いつもこのような情況が出てくると、同修たちは得てして法を学ぶことを後にして、正念を発するときでさえも翻訳している文章のことを考えています。数日経ってから精も根も尽き果ててしまう。法を学ぶことを保証されないため、得てしてやればやるほど疲れてくるし、また効率もだんだん下がってくる。心の中では他のことに執着して、慈しみの満ちた心構えが無いため、よくスペルの間違いなどをして、倍の労力をかけて半分の成果しか得られないのでした。それに執着心も紙の上で表れてきます。同修もこのことについて、法を学び、煉功がついていかないとき、仕事が疲れるし、もうこれ以上やっていけないとさえ感じさせることがありました。一日が数年のように、翻訳作業も単調で孤独でした。もし大法への堅い信念がなければ、もし真相を伝え、衆生を済度する使命感がなければ、もし法のパワーおよび強い正念がなければ、黙々と最後までやっていけないものです。

 師父は『円満成就に向かって』の中で「今日になってもまだ一心不乱に本を読むことができない人がいる。特に大法の仕事に関わっている人は、どんな口実をもっていようが、本を読まず法を学んでいないことを隠してはならない。師であるわたし個人のために何かをするにしても、日々心を静めて法を学び、着実に修練すべきである。皆さんが本を読んでいるときに、考えが乱れていると、本の中にいる無数の佛、道、神はあなたの可笑しくて哀れな考えを見て、考えの中の業力があなたを制御しているのに、あなたがただ迷って悟らないのをみているのだ。大法の仕事をしている一部の人は、長きにわたり本を読まず法を学んでいない。そうであれば、どのようにして大法の仕事を正しくこなすことができるのか?無意識のうちに皆さんは多くの取り返しのつかない損失を作ってしまった。教訓はあなたたちをさらに成長させるはずである。旧い邪悪な勢力にあなたたちの考えの隙に乗じられぬようにするための唯一の方法は、しっかり法を学ぶことである。」と仰っていました(『精進要旨②』)

 法を学ぶことの重要性を認識して、師父の話どおりに行動するとき、すべてには転機が訪れてきました。ある同修は「私は自分がさらに心が穏やかで気持ちも落ち着いて、正念もさらに強くなり、時間もいつもよりも増えたように感じました。ここ数年間、私個人の最も強い心得というのは:修練とは実に簡単なものです。ただ師父のおっしゃった通りに行動するのです。しかし自分の最大の遺憾もまた常に様々な口実を持って師父のおっしゃるようにしないことです」と語りました。

⑤ 法を学ぶ交流する環境を作り、共に向上する

 私たち翻訳組のメンバーには共通の特徴があります。それはみんなが相対的に学習者の少ない地区に住んでいるため、集団で法を学び、交流する環境に欠けています。それで翻訳作業をさらに寂しいものにしたのです。みんなが一つの環境を作るべきだと考えて、そこで私たちは集団でインターネットを通して毎週一回法を学び、交流しました。

 ある同修が交流の中でこのように語りました。明慧ネットの翻訳作業に参加する前に、彼女は常にかなり閉鎖された状態にありました。一人で法を学び、一人で煉功し、一人で真相を伝えていました。彼女はかつてある同修に「たとえ世界中に私一人だけが修練しているにしても、私はそれを気にしないわ」と言いました。それ以降の道もまるで彼女はこのことができるのかを確かめているようでした。孤独は彼女の修練する決心を動揺させることはできませんでしたが、全体による協力が欠けたため、力も弱かったのです。

 彼女は翻訳組に参加することで、彼女の修練する道の“柳暗花明又一村”(眼前に新たな世界が開ける)となりました。師父の巧妙な按排に感謝していると彼女は語りました。

 もう一人の翻訳組のメンバーは次のように語りました。毎週一回の集団による法を学び交流することが彼女の最も重視する交流機会となったのです。彼女は同修との交流の中で、みんなの率直で誠実な場を感じました。同修が法に対する認識、および彼ら各自の修練状態を述べたことで、すべては自分の心を打ち、自分の不足を見ることができました。適時に改めることで、自分の心構えをできるだけ修練者のあるべき状態に調整するように勤めたことで、自分の担当する翻訳作業も絶えず改善されました。

 もう一人のメンバーも次のように語りました。ますます増えてくるほかの大法の項目の仕事を引き受けたため、やることが増えることで、法を学び煉功することも減り、執着心も生じてきました。世界各地のかくも多くの活動があるのを見て、これほど多くの人に真相を伝えたことで衆生を済度したが、彼のいる場所にはなんの法を広める活動もないため、彼は円満成就した後にもし自分にも世界があるなら、世界の中に衆生がいないとつまらないと考え、一度は翻訳作業にあまり精進しなくなりました。法を学び同修との同流の中で、ほかの学習者の心得を聞いて、彼は再び明慧ネットの仕事の重要性を知るようになり、明慧ネットの仕事および他の法を実証する仕事との関係を調整することができました。彼は「私は、寂しさに耐えられ、真正の佛の境地に修めた覚者はあなたの衆生だの、これは私の済度した生命だのを言い争ったりはしないと気づきました。私はすべてを大法に委ね、大法を堅く信じるべきである。なぜなら師父は私たちに最も良いように按排してくれたからです。壮大な法を正す勢いの中、自我を放下して、法の中に溶け込むことで、大法のことをよく成し遂げられます。法はすべてを円満に正すことができる。個人の些細なものは大法の中ではあまりにもちっぽけなものになります」と言いました。

 私たちの翻訳組は互いとの距離を縮めて、同修たちは長を取り短を補い、相互に励ましあい、黙々と力をあわせていました。みんなが相互の異なるスケジュールにあわせて仕事を分配し、歩調をあわせることができました。重大な事件がおきたとき、例えば南アフリカ銃撃事件、全世界の大法弟子が異なる国々で集会して江沢民政権が殺し屋を雇って殺人を企んだことに抗議するなど。このときの明慧ネットの新聞報道は急増し、私たち翻訳組のメンバーたちが、当直であろうと、そうでなくても、みんな自ら時間を利用してすぐに翻訳するようにして、できるだけ速く英語の明慧ネットで発表し、全世界の人民に江沢民の新たな罪悪を知らせるように努めました。

 お互いの協力の中で、いつも同修たちの無私および慈悲を感じます。みんなはいつも進んで重い任務を背負うようにし、時間が無い中で、できるだけ多くのことをやっています。同修たちの純正な心もすべてのメンバーが絶えず精進するように励んでいます。

⑥ 当該翻訳組の特別な光栄

 私たち翻訳組には一つの特別な光栄があります。それは重要な祝日および世界法輪大法デーの時、私たちは全世界各地の同修の師父への祝辞の翻訳を担当しています。最初に、数百にも上る祝辞およびそのほかの写真のついている文章を見たとき、本当にどうすべきか分からなくなるくらいです。そこで、見出しだけを翻訳して、代表的な具体的内容を翻訳し、翻訳能力には限度があるため、代表的なものしか翻訳できないと注に明示することにしました。

 ある同修が交流のなかで「ある年の元旦の日のことですが、私はちょうど翻訳の当直をやっていました。私が真剣に大陸同修から師父への新年の祝辞を読んでいるとき、その心から師父の慈悲なる済度へのこの上ない感激が私の心を打ちました。私はほとんど涙を流しながら一篇一篇を翻訳していました。そのすべての言葉が、正に私たちの師父に言いたい言葉ばかりでした」と言いました。そこで彼女はすべての祝辞をしっかり翻訳することに決めました。なぜならそれは全世界の弟子から師父の済度へのこの上ない感激の証明だからです。もう一方から見ると、もし全世界の人々が、これほど多くの弟子たちが、中国大陸および世界各地に存在して、皆師父をこれほど尊敬しているのをみたら、正に法輪大法の良さを説明していることになるのではないか?それは正に邪悪の弾圧の失敗を説明しているのではありませんか?それは正に大法が世界各地で普く伝われることを説明しているのではありませんか?それは正に良い真相ではありませんか?このことに気づいてから、心を静めて、一行一行翻訳するようにしました。たとえ非常に訳し難い大陸学習者からの詩歌をも、彼女はできるだけ翻訳しょうとしました。彼女はもっと正確に詩歌の中の内容を表現できないと感じ、ただ自分が昔になぜ英語をもっと勉強しなかったのかを後悔したくらいでした。

 それ以来祝日になると、私たちが再び祝辞を翻訳するとき、いつも新たな地区、新たな国の学習者からの祝辞を見かけます。たとえ国内で以前に一度も聞いたことの無いところからも、同修の書いた祝辞が送られてきます。師父は2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説のなかで「これについてはご安心ください。彼らは皆明慧ネットを知っています。辺鄙なところの大法弟子の間では連絡を取り合っており、情報もお互いに伝わっています」と仰いました。これらの祝辞から、私たちはますます多くの同修たちが出てきて、法を実証する中に、真相を伝える流れに入ってきました。

 ここで心から師父が私たちに賦与したこの特殊で神聖な機会に感謝します。大法を実証する中、真相を伝える中で修練し、昇華します。

 師父にありがとう!みんなにありがとう!

(2004年10月16日の法会の発言原稿)

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/26/87646.html