日本明慧


マルクス・レーニン主義を教える老教授が法を広める物語

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年11月7日】大法弟子の顧さんの夫は某大学のマルクス・レーニン主義研究室の教授であった。顧さんは法輪功を修練することで椎間板ヘルニア、肩周炎、乳腺炎などの十数箇所の疾病がすべて全治した。これで教授への負担も大分減った。彼は法輪功が良い功法であることを知り、また江沢民政権が罪のない人々をの罪に陥れていることもやり口をも知っていた。しかし彼はこれらがすべて正常の現われであると考えていた。というのも、は彼はマルクス・レーニン主義を研究して、政治、政権(共産党を知る)を研究していたからだった。そのため、その故に顧さんがは彼に法輪功を修練するように求めても、彼は修練しないが、妻が修練することにも反対しない態度だった。

 しかし、少し前に幾つかの出来事が彼の身に降りかかり、それらはった幾つかの出来事が彼の予測および想像をはるかに超えていた。その中にある玄妙さを彼は言葉で表現することもできないほどだった。彼は法輪功の本を読むことに決めた。このように読み始めると止まらなくなり、一ヶ月のうちに『転法輪』を何回も読み通していた。

 “十月一日”(訳注1)の前に、深?で働いている娘が、は両親に、是非彼女の所に来るように執拗に求めた。娘は父の古希の祝いをやろうと考えていた。顧さんは「:呼ばれたなら行こう、娘の親孝行の真心を無にしてはならない」と考えた。最も彼女はこれを機に娘と娘婿に真相を伝え、彼女に一冊の『転法輪』を送り、彼らにも修練を始めるようにしたいと考えたからだ。

 旅に出る前の日に、老年の取った教授はスーパーマーケットで孫のための買い物にスーパーマーケットへ出かけて行った。妻に顧さんと何も言わずに、一人で自転車に乗って出て行った。スーパーマーケットに到着する前にたどり着く前に、二人の若者が高速に走っているオートバイに乗ってポップ音楽をうたいながら教授の方に高速で走ってやってきた。教授は避けようと思ったがとき、もうすべては遅かった。音楽は消え、オートバイのエンジンも止まったポップ音楽およびオートバイの火は消えた。教授の自転車の前のタイヤもオートバイの下敷きになった。しかし教授はただ唖然としてそこに佇んでいた。周りの通行人もここに集まってきて、オートバイが事故を起こして人を死亡させたなどと言い始めた。二人の若者は震えながら教授を手で支えて、あまりにもおびえているため何もいえなかった。五里霧中に陥った教授ははっと覚めたように、法輪功の師父が弟子を守る話を思い出した。そこで彼は若者に「もう大丈夫だ、行きなさい」と言った。若者ははっきり聞き取れなかったのでしょうか、あるいはこの老人の言い出した言葉を疑っているのでしょうか、また再び必死に渇望に「なにをおっしゃっているるのですか?」と言った。教授は「私は大丈夫だ、君あなたたちはもう行ってもいいよ」と繰り返した。若者は半信半疑の中、恐縮しながら恐れながらも自分たちのオートバイに乗ったが、乗り、そこでオートバイの前半のタイヤがはすでに曲がってげているため、動かすことができなくなった。どうしょうもなく、押したままさって立ち去った行った。教授はすでに形の崩れてしまった自転車を持ち上げた。このとき、周囲の人々から驚嘆する声がこきえてきた。「このじいさん、爺本当にすごい、運が良い。、自転車とオートバイはあんなになったのに、彼は少しの怪我もないなんて」で…などと。

 教授は自転車を修理屋に引きずって修理屋に持ち込み、修理の人に「修理できるならなおしてください修理してください、だめだったら結構です止めてもいいです。あと数日経ったら、私また来きますので」と言った。教授がは帰宅するとしてから、妻は、教授のが額にある玉子ほどの大きなこぶができているのに気がついてのを見て、彼に何が起きたなにがおきたのかと尋ねた。彼は「なんでもないよ」と答えたが、「本当になんでもないの?」と心を痛める妻が撫でながらそう言って、言った心を痛めた。このとき教授は初めて痛みを感じた。妻に何か起きたのかと厳しく聞かれると、もう隠しきれない隠れないと思いうと、先に起きた事故のことを全部喋り始めた。妻の顧さんはそれを聞いて驚き、そして喜びながら、彼に「そのときはどうやって師父のおっしゃられた言葉を思い出したの?」と聴いた。彼は「本はあまり読んではいないけど、師父の言葉を私は全部覚えていますよ」と応えた。顧さんは非常に嬉しくなり、「師父があなたを助けたのですよ。師父があなたを助けたのですよ。こんなに短い期間で師父があなたを守るようになったの。よかった!よかった!」と言い、また真面目に夫に「これであなたも師父を信じるようになったでしょう?大法を信じるようになったでしょう?」と聞いた。夫は真面目に肯きながら「明日から私に功法を教えてくれ」と言った。顧さんもまじめに肯いた。知らず内に、両目から熱い涙が流れてきた。夫も妻と一緒に泣き始めた。

 顧さんは「師父があなたの命を助けてくれたの。あなたもこれで一人の人命を返済した(訳注2)のですよ。まだ二号棟に済む孟さんが自転車に乗って路上のある石ころにぶつけて、落ちてから骨盆が遊離性骨折になったるのを覚えていますかるのか?今だにになってもベッドに倒れたまま起きられないじゃない?あなたのこの事故ならなおさらのことでしょ。この人命を師父があなたのために返済してくれたの。あなたはどうやって、なにを持って師父にこの恩を返すの?修練し、精進してに修練すること以外に、あなたの体を持って大法を実証すること以外にこの恩に報いられないでしょう?」と言った。それを聞いて教授は肯いた。顧さんはまだ「あしたの飛行機の切符を返しましょうすよう。もう娘のところにはいけないから」と言った。夫は「なぜいけないのか?」と聞き返した。顧さんは「あなたはまだいけますか?」と聞いた。それを聞いて夫は「大丈夫だよ、いけるよ。師父が仰っていたように、大丈夫だよ」と答えた。それを聞いて顧さんも急いで「そうそう、大丈夫だ。私の悟性が悪い。大丈夫だ」と言った。夫はそれに加えて「ほら娘一家にも法を得させるでしょう?私が行けばそこにいってちょうど大法を実証することになるじゃない?」と言った。それを聞いて顧さんは心の中から夫の悟性が良いことを感じた。なぜなら彼女は医者なのでを務めているため、常人の観念で翌日は明日様子を見るになって観察する必要があると考えていたからだ。

 次の日に、顧さんは夫の額にあるこぶが消えて、少しの紫の痕が少しか残っていなく、注意深く見ない限り気づかないくらいだ。このように老夫婦は喜んで飛行機で深?に飛んで行った。その日の深?は非常に暑く、娘の家に着いてから、教授はすでに汗びっしょりになっていた。中部の都市から南方の都市まで10度の温度の格差がある。顧さんは夫にシャワーを浴びてきて、服を着替えるようにといった。そこで服を着替えているとき、顧さんは夫の右胸の上半部に大きな紫色の痕があることに気づいた。夫自身自分みても非常に驚いた。顧さんに痛いのかと聞かれても、全く痛みを感じないと答えた。そして顧さんは娘、娘婿を呼んで、彼らがそれを見ると皆驚いた。娘婿はどうしても父に病院に検査を受けにいくように求めたが、教授はただ手で胸を叩いて、「大丈夫、全然痛くない」と言った。

 このように、老夫婦はこの若い夫妻に自分の身におきたことで大法を実証し、大法を伝えた。娘、娘婿はこれを聞いて以前に母が法輪功を修練することへの心配が一掃されして、彼女たちの法輪功の奇跡への半信半疑も消え、従来の伝統的な観念も捨てて、自ら大法を学びたいと求めた。教授の古希の祝いのパーティで、この老夫婦は、また祝いにきた娘と娘婿の同僚、友人たちにも真相を伝え、邪悪を暴き出し、大法を実証した。

 数日後、この老夫婦はまた上海に戻り、そこに住む親戚一家にも大法を伝え、真相を伝え、邪悪を暴き、大法を実証した。親戚の母は職場を引退した幹部であった。彼らは「あなたのようなマルクス・レーニン主義の教授でさえも、法輪功に対してこのような深い体験を感じているのですから、これほどあつく信じ込んで疑わないとは、私たちももちろん信じますよ」と言った。帰宅してから、この老夫婦はまた自分の息子の嫁の両親にも真相を伝え、大法を実証した。自転車修理場に行ってその壊れた自転車を取りに自転車修理場に行った行くとき、教授はまたその現場で法を伝え、大法を実証した。このように、教授はこれからも真相を伝え続けていくのだ。

 (訳注1):十月一日は中国の建国記念日で、連休で家族が再会を楽しみにする時期。

 (訳注2):人命を返済するとは、自分が前世に人およびその他の命を殺したことで、その殺された命が別の空間で修練する人を、事故を起こすことで、殺そうと狙っているが、師父に助けられて事故を避けたことで、自分の殺した命を返済したことになること。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/7/88613.html