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15歳の少女は目撃した:母親は迫害されて死亡し、父親は拘禁され、更に多くの親族は迫害されている(写真)

  【明慧ネット2004年11月4日】写真の中の女の子は紀亜ワと言い、今年15歳である。現在山東省イ坊市の某中学校に通っている。彼女には幸せな少年時代があった。写真の中の幼い彼女はママの懐に抱かれて楽しく笑っている。この写真は当時彼女のパパが彼女たちを撮ったものである。

 紀亜ワちゃんの父親は1994年大法を修煉し始めた。当時、亜ワちゃんの父親はB型肝炎を患っていて、一日中苦しんでいて仕事もできなかった。三十数歳でずっと療養し、薬を飲んでいた。家事は全てママ一人やっていて、ママの笑う顔を見た覚えがなかった。亜ワちゃんのパパは修煉してから、まるで人が変わったようだった。ママは大法の不思議さを目にして、修煉を始めた。亜ワちゃんは、ママが法輪功を修煉してから、亜ワちゃんに怒ったことがないと言った。
 幸せな少女にはお花みたいな美しい歳月が待っているはずであった。しかし、億万人をびっくりさせる1999年7月20日、多くの幸せな家庭が喜びと安らぎを打ち破られた。多くの少年時代の純真、美しさが壊された。
 2000年12月24日、平安の夜と呼ばれるこの日、災難は亜ワちゃんの家を訪ねてきた。彼女の母親・大法弟子の婁愛卿さんはこの夜迫害により死亡した。

2000年12月24日に迫害されてなくなった大法弟子・婁愛卿さん

 2000年12月23日の土曜日、朝7時過ぎてママから電話があり、「また留置所に拘禁された」と亜ワちゃんに言った。それより前ママはずっと路頭に迷っていた。亜ワちゃんは長い間ママに会っていなかった。しかしその後、亜ワちゃんはママが12月24日にこの世を去ったと告げられた。亜ワちゃんはこの訃報を聞き、驚いてぽかんとした。一昨日のママの声はまだ耳の辺で響いていた。彼女は号泣のあまり声が出なくなった。
 亜ワちゃんはママと一緒に大法を証明した日々をとても懐かしく思っている。1999年7月以後、ママは三回北京へ陳情に行った。彼女とママは2000年10月休日の間、一緒に北京へ陳情に行った。戻ってきた後、亜ワちゃんはママと一緒に広文警察派出所に拘禁された。亜ワちゃんはそこに二日間拘禁された。この間、亜ワちゃんは女性の同修が殴られるところ、ママが凶悪な輩に殴られるのを目にした。亜ワちゃんが家に戻った後、広文警察派出所は彼女が通っている学校に電話をした。そして学校の先生が亜ワちゃんに保証書を書くよう強いたが、彼女は書かなかった。先生は亜ワちゃんに授業を受けさせなかった。彼女を外でしゃがませた。そして亜ワちゃんは法輪功の真相を書き、パパとママ、そして自分が煉功してメリットを受けたことを先生に伝えた。先生はその文章を読んだ後、亜ワちゃんに言った。「数日後、校長先生があなたと話す。あなたは校長先生に会ったら、煉らないと答えて。」亜ワちゃんはこう言った。「それはできません。私は永遠に煉らないとは言えません。」それから、校長も再び彼女に会わなかった。
 3月、地方の同修が亜ワちゃんの家で交流していた時、警察がやって来た。交流会に参加した同修はみな捕まえられた。翌日、警察はママを連れて家に来て家宅捜査を行った。亜ワちゃんのママが彼らの不法行為を阻止したら、一人の警察は窓を開き、「ここから飛降りて、あなたが自殺したと言うから」と言った。彼はまた電源のスイッチを開き、亜ワちゃんのママに、「どうして感電して死なないか、あなた自分で感電して死ねば」と言った。亜ワちゃんは警察のごろつき行為を目にして、また家宅捜査で乱れた部屋を見て、警察を阻止した。「あなたたちはこうしてはいけません。捜査証明も、何の証明書もないので、これは不法ではないですか?」意外にも一人の警察はこう言った。「何が不法だ?政府が定めたから、法輪功に対してはこうすべきだ。」警察が帰ろうとするとき、亜ワちゃんは彼らが大法の書籍を持っているのを見て、ママと一緒に入り口のところに立って、彼らが書籍を持っていかないようにした。一人の警察はママのお下げを掴んで、ママを引っ張り、強制的に連れて行った。また一人の警察は亜ワちゃんの腕を掴んで、彼女をベッドに投げた。その後、警察は彼女のパパも連行して、不法に労働教養に処した。


 パパが労働教養され、ママが迫害されて死亡した後、亜ワちゃんは常に夢でママに会う。亜ワちゃんは同修の叔母さんにこう伝えた。「最も苦しいのは学校にいる時、クラスメートのパパとママが寄宿舎に来てクラスメートに会うときだ」と。そのときになると、彼女はママを思い出す。ここまで言うと、亜ワちゃんはまた泣き始めた。しかし静かに、黙って涙を流していた。彼女は既に写真の中のあの幸せな女の子ではなくなった。彼女はめったに笑わず、多くの場合黙っていて、何かを考えている。彼女はママがやり終えてないこと、即ち人々に今回の邪悪な迫害を暴露することをずっとやっている。
 亜ワちゃんの母親が迫害されて死亡した後、家族はすぐ火葬しようとしなかった。しかし警察と郷鎮企業局の指導者は火葬を強要した。また老人と子供に救済金を与えることを条件にした。現在婁愛卿さんが無くなって既に4年近くなる。しかし子供と老人は救済金を一銭ももらってない。老人は何回も郷鎮企業局の指導者と会い、救済金を要求したが、彼らはずっとなすりあいをしている。未だに、婁愛卿さんの10ヶ月分の給料と老人の救済金を払っていない。

追加資料:
 紀亜ワちゃんの親族が受けた迫害事実
 紀亜ワちゃんの母親・大法弟子の婁愛卿さん:山東省イ坊市郷鎮企業局の供給と販売会社の従業員である。婁愛卿さんは法輪功を修煉したため、数回拘禁され、停職された。2000年10月北京へ行き、法輪大法修煉者に対する迫害を停止するように要求したため、拘禁され、その後不法に労働教養3年に処された。そのために、婁愛卿さんは11月に地方に行った。
 2000年12月20日の夜7時頃、婁愛卿さんと徐氷さん(一緒に迫害され死亡した)は青島市黄島区で“真善忍”、“法輪大法は正法”と書いたスローガンを貼る時、黄島区長江路警察派出所に捕まえられた。資料の出所と二人の名前を自白させるために、公安は彼女たちに酷刑を加えた。公安は拷問の下で22日に2人の状況を手に入れた。その後、彼女達はイ坊市公安により、奎文区治安留置所に連れられて行き、拘禁された。25日の午後5時頃、公安は婁愛卿さんの家族に彼女が24日の朝6時に死亡したと知らせた。家族が翌日火葬場に行った時、そこには既に警察が手配されていた。婁さんは濃い化粧をされていて、体には傷跡が多く残っていた。家族は彼女のために写真を撮った。多くの警察は婁愛卿さんの住んでいるビルを包囲し、学校に通う小学生も止めさせ、一部の車両は公安に取り押さえられ、尋問記録をされた。かれらは大勢の警察を使用して、写真のネガを探した。公安は親族と勤務先を脅かし、数時間に渡り包囲し、脅迫した。家族は最終的にネガを奪われた。公安は社会に向け、情報を封鎖し、内部では心臓病で死んだと言いふらし、また婁愛卿さんと徐氷さんの家族に遺体の火葬を強要した。徐氷さんの8歳の息子と婁愛卿さんの11歳の娘はこうして母親を失った。2000年12月28日徐氷さんの遺体が火葬され、その翌日、婁愛卿さんの遺体が火葬された。
 紀亜ワちゃんの父親・大法弟子の紀君さん:山東省イ坊市郷鎮企業局の幹部である。法輪大法の修煉を堅持したため、不法に拘禁されている。2000年11月に労働教養3年に処され、不法に青島労働教養所に拘禁されている。虐待を受け尽くした彼は、妻が迫害により無くなったことを知らず、釈放される時、「妻が時間通りに出迎えに来るだろう」と嬉しく思っていた。しかし彼を待っていたのは訃報であった。彼は当時失意のどん底に陥り、心の寂しさ、悲しさは言葉で語れなかった。紀君さんは子供の前で涙を流したことがない。しかし亜ワちゃんは、「パパは悲しいとき、自分でこっそりと涙を流している」と言っている。
 紀亜ワちゃんの小さい叔母(ママの妹)・大法弟子の婁紅梅さん:三回不法に刑事拘禁され、何回も不法に治安拘禁された。彼女の夫・李天民さんが不法に捕まった後、彼女は常に理由なく邪魔されたり、拘留されたり、電話を盗聴されたり、居住を監視されたりした。また彼らの生存の頼りである “青年サービス会社”(コンピュータ入力とコピーを経営)は何度も差し押さえられた。最後には仕方なく他人に譲らなければならなかった。
 2000年10月27日婁紅梅さんは不法に労働教養3年に処された。彼女の夫は4年の判決を受けた。彼女が不法に労働教養される間、姉の婁愛卿さんが迫害されて死亡した。この事を聞いた、婁紅梅さんの姑は息子と息子の嫁を恋しく思い、心配したあげく、この世を去った。
紀亜ワちゃんのおじ(母の姉妹の夫)・大法弟子の李天民さん(37歳):元のイ坊市輔導站輔導員である。1999年7月20日不法に逮捕された。罪名は「国家機密の漏洩」(この罪名は法廷で成り立たないと宣言された)と「イ坊市の大法弟子を組織して、市政府を包囲攻撃」であった。ずっと不法に拘禁されている。
 2000年2月2日イ坊市中級裁判所は不法に開廷して審理を行い、彼を懲役4年に処した。法廷で彼は言った。「私には弁護士が要らない。私には罪が無く、私は自分で弁護する。」裁判官が彼にどうして尋問記録にサインするかと聞いたとき、彼は袖とズボンの裾をたくしあげ、依然として残る傷跡を見せながら、言った。「これは彼らに拷問で自白を強いられた結果である。 居合わせる大衆はやかましく騒ぎたて、裁判官は言葉を失った。
 李天民さんは刑務所で非人道的な虐待を受け尽くした。かつて自分の冤罪を晴らすため血書を書いたことがある。留置所で彼は命で法を勉強し、煉功できる環境を作った。最終的に特別許可を得て公然と法を勉強し、煉功できるようになった。陰暦の元旦、イ坊市は大雪が降りしきった。大法弟子のために不平を訴えるために、彼は囚人を戸外に一時出す場で、大声で≪論語≫を暗記し始め、この形式で師父と該当留置所に拘禁されている同修らに挨拶をした。一人の同修は感動し涙をほろほろと流した。“彼は真心で暗記している!”当所で、彼は審理されるときになると、全ての機会を利用して同修らに合掌し、みなを励まして、“意志を固めて!”と言った。
 李天民さんの母親は息子が不法判決を言い渡されてから二年後この世を去った。この二年間、老人は涙がなくなるほど泣いた。最後には失明しそうになった。陰暦の元旦の朝、老人は号泣のあまり声が出なくなった。彼女は婁愛卿さんが迫害されて死亡したことを聞き、修煉を堅持するために不法に刑務所に拘禁されている息子と不法に労働教養されている息子の嫁を思い出し、恐怖の余一日中眠れなかった。3ヶ月意識不明になった。老人はかつてこう言ったことがある。「これは私の最愛の息子だ。最愛の息子だ。」老人の今わの際に、家族は公安に何度も願い出て、老人が死ぬ前に、一回息子に会わせようとした。しかし市公安局は何度も検討して、許可を与えず、老人は最終的に、昼夜懐かしんで、気にしていた息子に会うことができなかった。
 紀亜ワちゃんのおばあさん(母方の)・大法弟子の範福美さん(67歳):2000年北京へ陳情に行ったため、悪人に不法逮捕され拘禁された。この数年間、範福美さんは次女が迫害されてなくなり、小さい娘は不法に労働教養され、また2人の娘婿が不法に労働教養され、刑に処された。範福美さんの夫は娘の死亡を耳にした後、食べることも、飲むこともせず、4日以上ベッドに倒れていて、生命の危険に直面した。老人は大法に対する固い決意に頼って、この巨大な難を乗り越えてきた。
 紀亜ワちゃんのおじいさん(母方の):法を得たばかりの新しい学習者である。次女・婁愛卿さんの迫害死と小さい娘の婁紅梅さんの不法労働教養、2人の娘婿の不法労働教養、判決に直面して、特に次女の死亡を聞いたとき、老人は食べることも、飲むこともせず、4日以上ベッドに倒れていて、生命の危険に直面した。しかし老人はこの巨大な難に直面して、法輪大法を修煉し始める自分の道を選んだ。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/4/88298.html