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法輪功学習者は一体どのような人たちですか

 【明慧ネット2004年10月27日】1999年7月20日以後、法輪功の書籍は中国大陸での出版を禁止されて、法輪功学習者が訴える権利も剥奪された。中国の国民は法輪功に関する真実を知ることができず、法輪功学習者がどのような人たちであるかに関しても知る余地もない。国民たちが毎日聞くことができるのは、政府のメディアで法輪功に対する批判のことばかりである。では、法輪功はいったい何なのですか?法輪功学習者はいったいどのような人たちですか?ご自身がその結論を出す前に、以下の幾つかの実例を参考にしてもらいたい。
中国遼寧省の大連市で起きた実例

 1997年3月17日、《大連日報》は“無名の老人の貢献”という見出しで記事を発表して、一人の70歳になる老人が村民のために無償で道路を作った事を報道した。この老人の名前は盛礼剣である。彼は一年間掛かって、村民のために延べ1100メートルの4本の公用道路を作った。人々に“あなたはどの部門に勤めているか?いくら金をもらったのか?”と聞かれた時、老人は“私は法輪功を学んでいる人間で、皆さんの役に立てばと思ってやっているだけで、お金はもらいません”と答えた。

 中国河北省邯鄲市で起きた実例

 1998年7月10日、《中国経済時報》は“私は立ち上がれた!”という見出しの記事を掲載し、河北省邯鄲市在住の16年間半身不随の謝秀芬さんについて報道した。1996年7月1日から、彼女は夫に車椅子で法輪功の煉功場所に連れて行ってもらい法輪功を学び始めた。それから、彼女は毎日法輪功の練習を続けると同時に、法輪功の要求に従って自分の心性を修煉し続けていた。2ヵ月後、謝秀芬の病気は無くなり、16年間半身不随の彼女は奇跡的に立ち上がれるようになった。彼女は感激してこう語った:“私は16年間半身不随に罹っていた。李洪志先生より私の人生の道を新たに按配されて、新しい人生の道を得ることができた。” 

 カナダ・ケベック州モントリオール市で起きた実例

 2002年3月9 日の午後、この都市に住んでいる中国からの移住者の陳儒慶さんは友達に同伴して車を修理するために店に行く途中のこと、一人の男の子が走りよってきながら大声で叫んでいる:“女の子が川に落ちた!”叫び声を聞いた陳儒慶さんはすぐ200メートル先の川に向かって走っていた。川の岸に着いたら、岸から10メートル離れているところに一人の女の子が氷の穴に落ちているのが見えた。天気が温かくなるにつれ、川の氷が溶け始めていた。子供が氷の上で遊んでいるうちに氷が薄くなったところに落ちたようである。陳儒慶さんはすぐ氷の上に伏せて子供に近づき、そしてしっかり女の子の手を捉えて、彼女を氷の穴から救い出した。

 2003年11月17日、ケベック州政府の移住者部門は授賞大会を開いて、2002年に命を投げ出して人を救った24人の優秀な公民を表彰した。陳儒慶さんは24人の中の一人でした。ケベック移住者部門の責任者のミシル・クルシニさんは授賞大会で次のように述べた:“私が知っているかぎり、アジア系の公民にケベック州でこのような栄誉を送ったのはこれが始めてである。私は華僑の皆さんがこのような社会貢献を行ったことにとてもうれしく思い、華僑の皆さんに‘ありがとう’を申し上げたい。” 

 道徳観念がどんどん悪くなっている今日、陳儒慶さんのように自分の身の安全を放棄して人を救う人はそう多く見られない。逆にこのようなことが“馬鹿げたこと”に見られる場合はよくある。なぜ陳儒慶さんは生命の危険を冒してこのような“馬鹿げたこと”をやったのか。授賞式の後に、陳儒慶さんは記者の質問に答える時にこう話した:“私は法輪功の学習者である。李洪志先生は私達学習者にこう教えている:‘殺人や放火事件を見て見ぬふりするのは、心性の問題です。そういうことをしながらどうして自分が良い人だと主張することができるでしょうか? 殺人や放火事件を見て手をこまねいているとすれば、どんなことならあなたに何か行動を起こさせることができるのでしょうか?’もし、その子供が死にそうなところを見て救いに行かなかったら、それは法輪功の学習者として失格である。だから私はその時身の危険を顧みずにすぐあの子を助けに行った。” 

 以上のような実例は、国内外の大勢の法輪功学習者の中で至るところに見られる。もしあなたは縁があって自ら法輪功学習者と接触することができれば、彼らの日常的な考え方ややり方から、法輪功の学習者が一体どのような人たちであるか、すぐ分かるし、その事実がちょうど中国政府のメディアの発信している情報と反対であることも気がつくだろう。

 更に皆さんに全面的に法輪功をしてもらうために、ここで法輪功を簡単に紹介する。

 法輪功は、法輪大法とも呼ばれ、一人一人が善に向かうことを教え、心身健康を促進する精神信仰である。この大法は、幾千万の盛礼剣さん、謝秀芬さんと陳儒慶さんのような体が健康で、心が優しい優秀な公民を育てた。この大法の創始者は李洪志先生である。

 美しい社会への憧れは、遠い昔から人類の共通の願望であった。しかし近代社会になってから、人類の道徳観念の低下に従って、多くの人は金銭、権力、享楽に対する追求を生存の唯一の目的として、手段を選ばずに私利を求めている。一つ代表的な表現として、以前は“善い人”という人々に尊敬されていた呼び方は、現在あまり価値が感じられず、逆に“可笑しい人”、“愚かな人”と思われる。このような歴史の背景の下で、李洪志先生は公に法輪功を社会に伝えた。
李洪志先生は法輪功の学習者に“真善忍”の基準を要求することだけではなく、自分の言動もすべてこの基準の表現である。

 法輪功を伝える初期には、李先生の生活状況は非常に厳しかった。初めて北京で法輪功を教える時、李先生は数人の弟子を連れて北京駅の待合室の長い椅子の上で夜を過ごしていた。
李先生は名利を求めず、10日間の講習会の受講料が40元だけで、これは他の気功師の講習会受講料の3分の1から2分の1に相当する。受講料が低すぎて、他の気功講習会との間に落差がありすぎるから、多くの気功師はこれに対して不満を抱いていた。そのために、中国気功科学研究会(国家の気功管理部門)はかつて何回も李先生に受講料を高めるように求めたが、李先生はずっと学習者の経済条件を配慮しているからということで承諾しなかった。

 李先生は自分の生活はとても節約するけど、正義を高めることに関してはとても気前が良い。1993年12月27日、李先生は北京の1993年東方健康博覧会で気功科学報告の講演を行い、講師料の4000元を全部「中華見義勇為(緊急救助志願者)基金会」に寄付した。1994年 5月14−15日、李先生は招待を受けて「中華見義勇為(緊急救助志願者)基金会」のためにチャリティー講演会を行い、北京の公安大学ホールで行った2回の気功学術講演会の収益である約6万元を全部「中華見義勇為(緊急救助志願者)基金会」に寄付した。同時に李先生は自分の著書《中国の法輪功》(現在《法輪功》に改名した)の1000冊を基金会に寄贈した。その価値は6600元であった。1994年8月27日、李先生は延辺朝鮮族自治州で講習会を行い、その収入である7000元を全部自治州の赤十字会に寄付した。

 法輪功学習者の中に様々な年齢、様々な民族、様々な国家の人がいる。法輪功を修煉してから、皆さんの共通変化としては、精神境地と健康状態が大きく変わったことである。法輪功の学習者は公共の場で規範を守り、熱心に人を助ける;仕事場で、勤勉で責任感が強い;家庭内で、優しくて家族を熱心に愛護する。健康の体と純粋の心を持っている法輪功学習者の善良の言動は、法輪大法の素晴らしさを世の人々に示した。

 法輪功を修煉してからの感想について、有名な声楽家の関貴敏さんはこう話した:“私は83年に肝硬変と診断されて、それからずっと薬を飲んでおり、入院治療も受けたが、一向に良くならなかった。その後、いろいろ気功療法も試してみたが、病気の問題はやはり解決できなかった。いろいろ探しているうちに、法輪功に出会った。今まで心身健康という言葉が私にとってはあまりにも贅沢な言葉であったが、法輪功を修煉してから始めて本当の心身健康の状態を体験することができた。”
法輪功学習者の聶淑文さんはこう語った:“以前、心臓を除いて他の臓腑は全部病気があった。私は20年余り太極拳を練習していたが、病気は治らなかった。法輪功を修煉してからたった2年余りで、すべての病気が全部無くなった・・・”

 一人の長春市の法輪功学習者は法輪功を修煉してからの変化を次のように語った:“以前には、いつも他人の間違ったところを探していたが、修煉してから他の修煉者と同じように常に自己反省するようになった・・・。”もう一人の学習者はこう話した:“知識人として、私は名利に対する執着がかなり強かった。昇進のチャンスがあれば、必ず人と争ったり、戦ったりしていた。法輪功を修煉してから、名利のことをあまり気にしなくなった。”

 法輪功学習者、アメリカ籍の中国系科学者の封莉莉さんは記者のインタビューを受けた時、次のように述べた:“世間の混乱が今日の様になったところで、‘これに対して私にも責任がある’と勇気を持って言える一群の人々が必要になっている。誰たちがこのように言える第一陣の人になれるのか。実は、法輪大法により私は光栄にもこの第一陣の一人になることができた。現在、私は言える:世間の混乱に対して、私は責任があり、私は先に自分の問題を直す。私は直したら、周りの人にも良い影響を与え、やがて皆も各自に自分の問題を直したら、この世界は美しい世界に戻る。”

 湖南省の山岳地帯に、“水を譲る”物語が広く伝わっている。南辺村と水庄村が一つの用水路を共用しており、水量に限りがある為、夏の旱魃の季節に、上流にある南辺村は地理の優位を利用して、20年余り用水路の水を独占していた。1995年7月から、南辺村に法輪功が伝わり始め、その前後に全村の176人が法輪功を修煉し始めた。修煉してから村人は道徳観念、精神境地が大きく向上し、善の心を持って人と接するようになった。そして農業用水のために隣村と争ったり、戦ったりすることが無くなり、代わりに水を譲ることになった。それから、両村の村人の間に恨みが無くなって仲よく暮らすことができるようになった。

 1998年初夏、中国の一部地域に大洪水が発生した。その間、武漢テレビ局は洪水被害者への全国各地からの寄付者リストを毎日放送していた。その中でほとんど毎日法輪功学習者を名乗って多額に寄付する人がいた。ある堤防緊急工事の現場で、十数人の作業者が朝から晩まで疲労を知らないように作業を続けていた。現場に視察に来られた工事指導者は彼らにどの部門から派遣されてきたかと尋ねた。彼らはボランテイアで来たと答えた。詳しく尋ねたら、彼らが皆法輪功学習者であることが始めて分かった。

 このような心身的な変化は中国国内の法輪功学習者だけではなく、世界中の法輪功学習者に同じように現れている。

 カナダの法輪功学習者のゼンオン(Zenon Dolnyckyj)さんはこう語った:“私は法輪功を修煉してから3年半になった。修煉する前に、私はお酒、煙草、麻薬などたくさん自分の心身を害する悪習に毀れていた。私は自分の未来に絶望を感じて、世の中から離れて山の奥に逃げ込むことを決めた。その時、私は法輪功に出会った。修煉してから、今までの悪習を全部捨てた。かつての私の汚くて暗い心の中に今は‘真、善、忍’の光が満ちた。

 法輪功学習者のカルロスさんはこう語った:“今は私一生の中で最も健康の時である。その上に私の人生観も大きく変わった。人と争う心が薄くなり、トラブルがある時、内に向けて原因を探し、自分自身を修するようになった。”

 李洪志先生は私達に法輪大法を伝えて人類社会に美しい輝きをもたらしたことに、各国の政府、国内外の社会各界から益々多くの称賛と表彰が贈られた。

 1992年12月、李洪志先生は弟子を率いて北京の92年東方健康博覧会に参加し、今期の博覧会で一番多く表彰を得た気功師として輝いた。

 1993年12月、李洪志先生は北京の93年東方健康博覧会で、この博覧会最高奨励の「学際科学進歩賞」と大会の“特別金奨”、および“大衆に歓迎される気功師”などの賞賛が贈られた。 

 1993年12月27日、公安部所属の「中華見義勇為(緊急救助志願者)基金会」は李洪志先生に栄誉証書を授与した。 

 1994年8月3日、米国テキサス州ヒューストン市は李洪志先生にヒューストン市栄誉市民と親善大使の称号を授与した。

 1996年10月12日、ヒューストン市長はこの日をヒューストン市の李洪志の日とすることを宣言した。

 1996年以来、李洪志先生と法輪大法は人類の心身健康のために働き、素晴らしい貢献によって、世界の多くの国家政府、議員、社会団体から1223項の表彰と奨励及び感謝状が贈られた。その内訳は米国から1051項、カナダから135項、オーストラリアから12項、台湾から9項、99年以前で中国から6項、ヨーロッパから6項、ニュージーランド、日本、インドネシア、ペルーから各1項でした。

 まさに米国ヒューストン市長が “ヒューストン市の李洪志の日”を宣言する時に述べたように:“法輪大法は文化と種族の限界を越えて、宇宙の真理を地球の隅々まで響き渡らせて、そして東西方文化の間に橋を掛けられた。李洪志先生は苦労を惜しまずに法輪大法を中国から世界各地まで伝えた。この道に沿って、彼は多くの国々の無数の人々の生活に素晴らしい影響を与えて、崇高な国際栄耀を贈られた。”

(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2004/10/27/87693p.html