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迫害死された石家庄市大法弟子左志剛のある情況(写真)

                                迫害されて死に至る石家庄市大法弟子の左志剛

 【明慧ネット2004年10月21日】3年前、ある若い人が結婚式の前日に突然連行されて、24時間以内に迫害されて死に至った……3年来、90数歳の祖母が最もかわいがる孫にはこのことを往々にして聞かれても、いつも“外国へ行った”と告げた……3年来、2人の70数歳の両親は息子に着せられたぬれぎぬを晴らすため、省市の各級の政府の部門にあまねく足を踏んだ……

 左志剛は男性の大法弟子であり、生前に石家庄市のテレビ工場のエンジニアであったが、法輪功学習者であるためレイオットされ、職場を離れた後に河北瑞光コンピュータという会社でアルバイトをしていた。主にコンピュータのディスプレイの補修に従事した。彼はまじめにこつこつと仕事をし、自分の損得にこだわらず、同僚達とのあいだでもすっかり打ち解けて、至る所で他人のためを思い、常に奉仕でみんなのために電気器具を修理した。親戚と友達、隣人、上司、同僚などによい若者だと認められた。殺される前の一週間、彼は部門から結婚の紹介状をもらって、新婚夫婦の部屋を装飾し、家族全員が彼の結婚の準備をしていた。しかし、その時は不幸にも訪れた…… 

 2001年5月30日午後3時に、石家庄市公安局橋西支局は会社で働いていた左志剛を連行し、そして7時頃に橋西支局警察が不法に彼の家を捜索した。 5月31日午後5時過ぎ、公安局が左志剛の父を3302工場の保衛科まで呼んで2時間にわたり問い詰めた後に、左志剛が朝6時30分頃に半袖の上着を一本一本の布にして首を吊って自殺したと言った。青天の霹靂、このことを父はどうしても受け入れられない。結婚を目の前にして前途洋々な息子が突然“自殺する”ことが納得できない! 

 それから家族はまた火葬場で左志剛の死体を調べて、彼の首筋部両側がそれぞれ1本の明らかな細い傷跡があることを発見して、周囲にまだ血痕があって、背中は2箇所に1寸ぐらい距離の所にとても明らかな傷があって、しかも背中に広面積の皮膚は紫色で、頭部に傷がある:左臉部、頬の部分は鈍器に打たされて腫れている塊があって、右耳はすべて紫の青色で、服は血痕がない……家族は何度も橋西支局に検死を行うよう求めたが、しかし彼らは互いにたらい回しにして、家族に火葬する手続きを催促するだけ。 家族は左志剛が決して自殺しないと思って、死体を保留することを求めて、火葬に賛成しませんでした。 家族は警官が左志剛に対して酷刑を行って自白を強いたのではないか?死亡させたことの真相を覆い隠すため、彼らは左志剛を扉につるして、“自殺”と見せかけた。と疑った。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/21/87132.html