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婁艶さんが遼寧省女子監獄老残チームで迫害されて死亡

 【明慧ネット2004年11月11日】遼寧省鞍山市大法弟子の婁艶さんは不法に遼寧省女子監獄(元大北監獄)の老残チームで監禁されると、絶食をする事で迫害に抗議したが、虐待されて死亡した。具体的な死亡時刻は不明ではあるが、凡そ2004年の上半期だと推定される。死後に十二、三才くらいの子供が残された。

 婁艶さんは鞍山市鉄西区に在住し、何度も不法に拉致され、家財を没収された。不法に監禁されている間に強制的に精神を破壊する薬物を注射されたことがあり、薬物の影響で建物から飛び降り、脊髄が折れたので、下半身不随となった。婁艶さんの夫の付永忱さんの話によると、婁艶さんは2001年末に沈陽での検査結果によれば、脊髄の二箇所が遊離性骨折のため、終身障害の身となった。

 2002年2月2日に、婁艶さんは再度に宋三台派出所に鞍山市看守所に拉致されてから不法に監禁された。この間に、婁艶さんは自分が無罪だと固く信じ、絶食を通して抗議し続けた。看守所の警察は強制的に彼女に手枷、足かせをかけると、刑事犯罪者になんども彼女を殴るように命令し、それは一週間も続いた。後にまた彼女を教養院に拉致した。その当時の婁艶さんはすでに意識不明となっていたため、労働教養所は入院を拒絶した。しかし悪徳な警察李省中は鉄西二院で“無病”の証明をとると、婁艶さんを鞍山市労働教養所に入れた。その当時の婁艶さんの病状はますます酷くなり、半月も飲食せず、絶えず血を吐き出し、危篤に陥っていた。夫である付永忱さんは労働教養所に婁艶さんを釈放するように要求した。

 すでに迫害されて障害者となった婁艶さんはまた不法に5年の実刑を言い渡され、不法に沈陽の遼寧省女子監獄(元大北監獄)に監禁されていた。沈陽監獄城で危篤状態に陥ったとき、保証人を立てて一時出所したが、後に宋三台派出所の二人の警察が婁艶さんの家にきて派出所での話しがあると呼び出した。帰宅途中に不明の数名の悪人に拉致されると、再び沈陽監獄城に送られた。

 婁艶さんは不法に大北監獄老残チームで監禁されてから、絶食を通して迫害に抗議したが、虐待されて死亡した。具体的な死亡時刻は不明ではあるが、およそ2004年の上半期だと推定される。その死因が暴かれた後に、直接管轄していた監獄の警察はすべての責任を犯罪人の身に転嫁した。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/11/88882.html