日本明慧


師父の経文「棒喝」についての認識

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年11月13日】私は、法を正す修煉の過程において、正しく悟ることの難しさと重要さを、身にしみるほど感じました。特に最後の段階までに来て、師父が説かれた法理、そして、法を正すプロセスにぴったりついて行くことはどれほど重要であり且つ厳粛であることが分かりました。このことを理解するには修煉者の根基とその人が実行した修煉に基づくものであると理解しています。私は経文「棒喝」の内容について自分自身が理解したことを皆さんと交流したいと思います。

 第一、 法を実証する為に未だに出て来ていない学習者たちを導き、彼らたちの過ちを指し示し、更に過ちを埋め補う良い機会を逃してしまう時、の両者の利害関係が示されました。私はこう理解したので、この経文を出来る限り早くそうした言う人たち彼たちの手にを渡しました。私は彼らにたちに師父の洪大なる慈悲を話し、世に類の無い機縁を失わないようにと伝えました。それから、多くの学習者が出てきました。

 第二、 迫害を受けた学習者及びその学習者の家族に対しての導きです。学習者が迫害を受けている時、その家族は何をしていましたか?今まで通りの日常生活をしていましたすか?悪人を助けて悪事を働きましたか?それとも全力を尽くして家族を救出しようとしましたか?まさに学習者の家族が自分達の位置を決める正念場であります。私は迫害を受けている学習者の家族を訪ね、学習者を救出する方法とその必要性について話し合いました。この項のことは現在も続けて進行しています。

 第三、 身がの自由なのある学習者に対しての導きです。学習者であれば皆は家族同様です。一人の学習者が迫害を受けていれば全ての学習者が全力を尽くしてその学習者を救出しなければならず、迫害にを反対しなければなりません。その上更に、非常に強大な正念を形成して行くのです。従って、一人でも学習者が迫害を受けていることを知れば、我々は直ちに邪悪を暴露するや正念を発するなどの方法を取り、学習者を救出し、迫害にを反対すべきです。自分達を大法弟子全体に溶け込ませてんで行かなければなりません。

 第四、 全ての修煉者に対して、法を学習する基点を正しくするように導いています—-即ち、自ら大法に同化し、法を正す際に師父を補佐し、衆生を済度することです。私は自分に問いかけました、「自分は法を学習する際、基点は正しいですか?根本的な執着心は取り除きましたか?」。あれから、私は自ら他の学習者と交流をすることにし、全体の向上を促すようにしました。

 第五、 法を正す時期にと共にいる全ての大法学習者に対しての導きです。自分自身を徹底的に清め、人の状態を踏み出て、人から神に成る道を歩み、正真正銘の大法弟子になることです。このことに鑑み、私はあらゆる機会を掴み、あらゆる手段を利用して、他の学習者と交流をしたり、明慧ネット、『明慧週刊』を読んだりしました。他の学習者が難儀にあったときにどのように自分に向かって求めているのか等を自分自身と比べます。そして、自分の足りないところを見つけ、すぐに直すことにしました。更に自ら他の学習者と交流するようにし、互いに向上させ、自分自身は自動的に補修能力が備わるようにしています。

 第六、 大法弟子は先史以来自らが誓った大きい願いを実現するようにと導かれていています。それぞれの大法弟子は神であり、それぞれ能力が備わっています。それぞれの特長を持っていて、異なる仕事タスクを分担しています。そして、今我々が持っている特長と能力及び仕事タスクは全て大法を実証するためのものです。私は自分に問いかけました、「私の特長と能力は何ですか?私の仕事タスクは何ですか?」。私は教師であり医師であります。ものを説くことも文章を書くこともできるし、病気の診断治療もできます。私は自分の能力と特長をもっと生かして大法を実証すべきです。即ち、もっと真相を人に話し、真相を伝える文章を沢山書くことです。更に、未だに正しく行動をしていない学習者を助け、自ら他の学習者と交流を交わしました。法理の認識を深めさせることから各自の特長を十分に使いこなすことの重要さまで話し合いました。又、電子技術を得意とする学習者や真相伝えるの為のスピーカー及びテレビ放送用フィルムを製作する学習者は特にこの二つの道具をうまく活用し、衆生を済度するものとして、最大の効果を発揮させ、師父の選択に従い大法を全体で円融することです。

 経文「棒喝」にはより深い内容も含まれていますが、以上はあくまでも私個人的な感想です。足りないところは、どうぞ、ご指摘ください。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/13/89035.html