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安徽省亳州市の18人の大法弟子が、拉致されて宣告を受けた

 文/安徽省大法弟子

 【明慧ネット2004年9月27日】1999年7月20日江沢民集団が法輪功の迫害を始めて以来、十の事件が所謂"十大要案" とされた。その一つは、18人の大法弟子が安徽省亳州市で、不法逮捕された件であった。その時亳州市公安局の馬副局長は、自分の成果を築く為に"610"室の姚主任と共に、所謂"要案" を企てるチームを作った。

この事件は二年前に起きた。しかしながら、この事件に巻き込まれた大部分の大法弟子は、まだ獄中にいる。一人の弟子が死亡することとなり、15才の少女が拷問に遭い三年の宣告を受けた。この拷問に関係した悪警は: 石新民、 袁磊、呉憲彬 、王久山、尤玉龍、等であった。

2002年4月と5月に亳州市で18人の大法弟子が続いて拉致された。彼らの家は闖入され、大量の私有物が略奪された。2002年3月20日の朝、趙淑榮は用事で外出した。南市区政法委員会の宋保衛と魏建全が、趙の携帯を取り上げ、彼女を警察の車に押し込んで拉致し、その後強行亳州市の拘置所に不法拘置した。

2002年4月、"610"室の者と観堂派出所の警官が、楊金英の家に闖入し、彼女を公安局に強行連行し、他の法輪功学習者についての情報を白状させようと、威嚇虐待し、強要した。15才の女学生李迎喆は、亳州市政法委員会の"610"室によって 誘拐され、留置され、繰り返し殴られた。2001年6月16日彼女は合肥女子労教所へ強制洗脳の為に強引に連行された。帰宅することも、学校へ行くことも出来なかった。

大法弟子、石雷民の家も闖入され、警察は現金4,000 元余りと、13,000元の残高のある銀行預金帳、定期預金80,000 元、金のネックレスとイヤリング、テレビや家具等を略奪した。2002年9月王久山は、石雷民に彼女の預金帳のパスワードを明かすよう要求した。

2002年7月2日午前9時、賈彦華はオフィスで仕事をしていた。黄衛國と王久山等4人が突然闖入し、彼女を龍華ホテルへ強引に連行した。彼らは彼女と彼女の家族の者を6日5夜、不法の残忍な手段をもって迫害した。警察が彼女の家に闖入した際、彼女の 残高100,000元の預金通帳を強奪した。彼女が7月に他の場所に拘置された時、警察は45,000元を彼女の預金から奪い取った。

誘拐された大法弟子: 王建軍(男)、石雷民(男)、陳少華(男)、王玉升(男)、李海良(男)、王満意(男)、闞少成(男)、賈彦華(女)、郭景蘭(女)、趙淑榮(女)、高洪英(女)、李大利(女)、趙影(女)、馬玉侠(女)、楊金英(女、迫害により死亡)、李海良、石翠雲(女)、崔慧(女)、及び15才の李迎喆。 皆法を守る市民であった。賈彦華は亳州市の外資辨主任であった。郭景蘭は合肥市で仕事をしており、亳州市生まれであった。陳少華は鉄道の駅の職員であった。馬玉侠亳州市で漢方薬の市場で働いていた。王建軍は薬剤供給の仕事に携わっていた。石雷民は自営業であり、楊金英と李海良は農民であった。

迫害の目的を達成する為に、不法な人員達は大法弟子達を隔離する為に、他地域にばらばらに拘置した。その中の賈彦華は河南省の鹿邑看守所に拘置され、石翠雲、王建軍と陳少華は、安徽省蒙城市の看守所に拘置され、郭景蘭は安徽省太和縣に拘置され、李大利と趙影は安徽省利辛縣に拘置され、石雷民と馬玉侠、王玉升は、安徽省渦陽縣の拘置所に拘置された。

警察は大法弟子達を、老人や15才の少女をさえも一人ずつ拷問し、殴った。彼らは石翠雲を三日間眠らせず、手錠を掛けて吊し上げ、木槌で彼女の足を腫れ上がるまで殴った。テレビのリモート・コントロールで彼女の顔を殴り、それを彼女の耳の中に捩じ込んだ。彼女の耳は紫色にただれた。

警察は北關派出所にて、李迎喆 を48時間眠らせずに立たせた。朱小燕と石新民と袁磊は、彼女を五階へ連れて行き、それから海晶ホテルへ連れて行った。 彼女は心身共に拷問を受け、屈辱を受けた。手錠を掛けられ、彼女の上衣で頭を覆われ、窒息しそうになり、吐きそうになった。石新民と李剛は彼女を「白状しないなら、ガソリンをぶっかけて火を付け、法輪功の人が自焚したと言ってやる」と恐喝された。李剛は、車からガソリンを入れる為に、瓶を一本下階へ持って行った。それから彼はその瓶で彼女の頭を打った。袁磊は銃を彼女に向けた。崔慧は一晩中洋服掛けに手錠で繋がれ、手洗へ行くことも許されず、三日間連続で拷問を受けた。56才の老女である馬玉侠は、8日間拷問を受けた。警察は水に訳の分からない薬を入れて、彼女に強引に飲ませた。その結果彼女は口が乾き、口内に苦味を感じた。喉に非常な痛みがあり、胃は膨れ上がり、その他の異常を感じた。

楊金英は2002年4月に警察に連れて行かれ、全身麻痺が起きる程の拷問を受け、失禁した。後で迫害事実を隠す為に、担架で運び出され、何日か後に死亡した。趙淑榮は4、5人の警察官により、三日三晩残酷な拷問を受けた。彼らは夜になると、暖房を消して暖かい毛布の中で寝た。その間、趙淑榮は手錠で頭上から吊された。李剛は彼女の頭を乱暴に打った。彼女は午後9時から翌朝の8時まで吊された。朝食後袁磊と李剛は、彼女を床上2フィートの位置に足がぶら下るように、両手を手錠で窓枠から吊した。全身が震え、殆んど昏睡する状態になるまで、下ろしてもらえなかった。彼女の体重は手錠でしっかりと支えられていたので、手錠を外すのが難しく、彼らは彼女の手を乱暴に引っ張って外した。その結果、彼女の手は3ヵ月間麻痺していた。

610室の悪警達が高洪英を手錠で椅子に固定した。彼女は強引に薬を飲まされ、口が渇わき、眩暈がした。又長時間屈むことを強いられた。彼女が我慢出来なくなって座り込むと、袁磊は彼女の髪を掴んで彼女を引き摺った。彼は彼女の口を殴り、彼女に後ろ手に手錠を掛け、肘や背中を蹴った。彼女の体は非常な痛みに震えた。彼らは自分達が疲れるまで、彼女に300回以上も平手打ちを喰わした。この拷問は三日三晩続いた。

賈彦華を参らせる為に彼らは彼女の夫と娘を不法拘置した。彼らはあらゆる方法で娘を恐喝し、夫を審問した。娘は若い少女であって、恐れに震えて泣き続けていた。彼女に大学入試を受けさせないと、威嚇した。釈放された後、この少女は一日中泣いていた。夜にはしばしば悪夢で目覚めた。

石雷民は悪警に手錠を掛けられ、蹴られた。彼は地面に押し付けられ、胸と背中を足で蹴られ、膝や拳で打たれた。その結果彼は様々な内傷を負った。彼は7〜8日間このように拷問された。その間彼は何度も痛みにより気絶し、心身共に極端に衰えた。現在に至っても快復していない。その身長1.8メートルの体は迫害前には91キロあったのが、45キロに減ってしまった。石新民は他の多くの警察官の前で言ったことがある、「お前を死なせたければ、ガソリンをぶっかけて焼いてやる。そして法輪功学習者が焼身自殺したと言うのだ。ともかく誰も眞相を知らないから、我々の言ったことが真実と見做されるだろう」。

警察は合肥市から来たボランティアの老女、郭景蘭を的に、残忍な拷問を行なった。11日11晩彼女は死の寸前まで拷問された。暴漢達は彼女に白状を強いようとして、拒否するなら更に殴り、虐待し、侮辱してやると威嚇した。彼女の顔と体は完全に傷で覆われた。彼女は手錠で窓枠に吊され、その結果数ヵ月間左手を動かすことが出来ず、今でも痺れたままである。しかしこの老女は屈服しなかった。警察は彼女の右手に手錠を掛け、左手を引っ張って用意された書類に指紋を強要した。

2003年9月8〜9日、安徽省亳州市譙城区裁判所は、18人の大法弟子を密かに不法裁判した。2日間の開廷期間に、検察官からの証拠材料が一度読み上げられただけであった。大法弟子は皆全ての質問にイエスかノーで答えることが許されるだけであった。もしもそれ以上話せば警官がすぐに彼らを法廷から引っ張り出した。

この密かな裁判にて、大法弟子達は不公平な扱われ方に不満で、法廷での陳述を要求したが、無視された。後で18人は不法に判決を受けた。石雷民と王建軍は10年、郭景蘭と王玉升は8年、陳少華と馬玉侠は7年、賈彦華と石翠雲と李大利は5年、高洪英と李海良と趙淑榮は4年、崔慧と趙影、李迎喆、楊金英(迫害により死亡)は3年。

大法弟子達は各々異なった監獄に入れられた。この件に関係した人員は皆褒賞を受けた。安徽省の官憲は、これに関係した警察所に最高の褒賞を授与した。北京国家安全部も関係部門に最高の褒賞を授与した。両方とも、それに関係した個人達を、"巧くやった"と特別に表彰した。

その後郭景蘭は、宿州監獄に送られた。彼女の血圧は230まで上がり、心臓病の症状を現し、その為に後で保釈された。李迎喆は安徽省女子監獄に入れられ、その後刑執行は監獄外でも続けられた。彼女の母親は洗脳され、帰宅を許された後監視されており、610室と協力して李迎喆を精神病院へ入れた。 李迎喆は電気棒で殴られ、精神がはっきりしない状態で強引に、所謂"法輪功を放棄する声明"を書かされた。残りの15人の大法弟子は現在も各々異なる監獄に入れられている。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/27/85138.html