日本明慧


電話で真相を伝える中で絶えず向上する新しい学習者

 

 文/シンガポール法輪功学習者

 【明慧ネット2004年11月6日】私は2003年5月に真に法を得た新しい学習者です。この一年あまりの修煉の過程で、様々な体への障害を含めた磨難や関、そしてその他の形式のトラブルや障害を乗り越えてきました。しかしそれ以上に師父の衆生に対する慈悲、弟子に対する注意深い加護、導きを多く感じ、言葉では表現できない大法の中で修煉する喜びを感じました。

* 電話をかける形式で真相をはっきり伝え始めました

 2003年7月から、私は毎週煉功場に行き、集団煉功に参加しました。その時、私はただ個人修煉でした。少しずつ私は師父の最近の説法から法を正す概念について理解でき、法を正す時期の大法弟子が引き受けるべき責任には、法の勉強、煉功、発正念と真相をはっきり伝えることが含まれていることを認識できました。

 私は明慧ネットの同修の体験から電話を通じて真相を伝える方法が分りました。彼らの真心からの正念正行の容姿に敬服しました。私がかけた一通目の電話は警察派出所でした。一人の当番の警察が電話を受け取りましたが、相手の声がまったくはっきり聞こえませんでした。当時私はこれが邪悪の邪魔だと知りませんでした。幸いに彼は私の声がはっきり聞こえました。全身が少し震える中、汗をかきながら、私は自分の言いたい要点について全て説明しました。当時見た目では普通でしたが、今振り返ってみると、師父の加護があったからこそ新しい学習者の私がこれほど成功に電話をかけられた、と分りました。

 最初、電話番号は全て明慧ネットの「迫害真相」欄より収集しました。しかし私は間もなく、ほとんど全ての電話番号は、既に大法弟子が真相を伝えたことが分りました。しかも一回だけではありませんでした。その後、私は「大陸総合ニュース」欄より電話番号を収集しました。

 ある日、煉功場の一人の同修が、電話組の協調者より電話番号をもらって、真相を伝えていると言いました。私はそれを聞くととても嬉しく思いました。私は正に電話番号をとても必要としていました。私は私への連絡方法をこの同修に伝え、彼女に電話組の協調者に伝えてくれるよう頼みました。当時、これが私に参加した最後の集団煉功とは思いませんでした。(個人修煉で乗り越える関があったため、最近私はやっと煉功場に行って、集団煉功に参加できるようになりました。)その後、私は自宅で独りで煉功し、法を勉強しました。しかし幸いなことに、私はずっと協調者から大切な電話番号をもらって、電話で真相を伝える方法で、中国の民衆に真相を伝えることを堅持できました。今振り返ってみると、もし当時電話で真相を伝えることを堅持できなかったら、私はこれほど順調に今日まで歩んで来られなかったと思います。その中で、私は大法弟子の間でのお互いの協調、お互いの助けの重要性についても深く体験しました。

* 法を良く勉強することは修煉の根本です

 以前私は明慧ネット上で、電話をかけて、真相を伝える前に心を静めて30分勉強すべきだと書かれていた、体験を読みました。当時、私はあまり納得できませんでした。毎日一定時間の法の勉強さえ保証できれば十分だと思い、修煉は修煉で、真相を伝えることは真相を伝えることで、真相を伝えるとき、時間を十分利用すべきだと思いました。潜在意識の中で、法を勉強すると時間を費やし、真相を伝える時間を無駄使いすると思いました。(毎日私が電話で真相を伝える時間は限られていました。)

 ある日、私は電話をかける時間が多くなりました。私はとても嬉しく思いました。今回は、言いたいことを十分に言えると思いました。しかし連続して数十通かけましたが、殆どの電話は出る人はいましたが、誰一人も10秒以上私の話を聞いてくれませんでした。また“法輪功”と聞き、どなりつけました。私はとても可笑しいと思いました。同じシリーズの電話番号なのに、昨日は比較的順調にかけたが、今日はどうして駄目なのか? 私は電話を下ろして内に向けて探しました。まだ放下されてない、取り除くべき執着心を探そうとしました。この時、突然一念が頭に浮かびました:法を勉強しよう! そして私は勉強を始めました。心を静めて30分勉強しました。その後、電話をすると、結果はまったく異なりました。

 その後、電話で真相を伝える時、心を静めて法を勉強することに対して、少しずつ更に深い体得がありました。法を良く勉強するのは修煉の根本です。時に、個人の修煉状態がよくない時、私はひいては自分のその濁った匂いを嗅ぎました。こんな状態で真相を説明すると、どうして良い結果がありえるでしょうか。しかし法は真にこれほどの威力を持っていて、大法弟子の体の内から外までの汚い物質を消去してくれます。私は師父の経文≪香蓮≫に対して更に深い体得が出来ました。同修と互いに励まし合うために下記に写します:

                           香蓮

                      清潔な蓮は法の中で生じ
                      慈悲は芳しい風を散らす
                      世間に恩恵をまき
                      蓮の花が天上にいっぱい開く

* 発正念を習得できた

 集団煉功に参加した時、同修から発正念の概念について聞き、その後師父の関連する経文の中で発正念の内容、及びやり方について学びました。しかし心では自分のやり方が正しいかはっきり分らず、毎日ただ数回の定時の正念を発するだけでした。座禅を組み、手振りを良くして、正法口訣を念じました。発正念の効果をもたらしたかは分かりませんでした。しかも朝と夜正念を発する時、常に寝てしまい、目が覚めると、既に十数分経っていました。人はそこに座っていても、手はどこまで傾いたか分かりませんでした。こんな状態がとても長く続きました。自分でも間違っていると分かっていましたが、突破できませんでした。

 ある土曜日の午後、私は余裕があって、電話をかけて、真相を伝える前に、座禅を組み、正念を発しました。私は既に明慧ネットの同修の体得より、真相を伝える前に正念を発して、邪悪といろんな邪魔を取り除くことについて知っていました。その日、私の心理状態はわりに良く、座禅を組むとすぐ入静できました。私は正法口決を念じた後、自分の体が一つの広々とした野原の中に置かれた感じでした。覆う範囲が絶えず拡大され、拡大されました。身の回りがエネルギーの中で溶けていると感じました。その後、電話をかけると、殆ど全ての電話は受け取る人がいて、しかも相手はみな私が語る真相内容を最後まで聞いてくれました。その中で、一つの電話は公安局にかかりました。電話に出た人は一人の女性でしたが、私を驚かせることに、彼女はこう言いました。「私はここでとても長く待っていました!」 彼女は多くの質問を聞いて、私は全て十分な回答をしました。当時、私は心で自分に言いました:正に「仏法は無辺である」と。

 この成功した経歴があったため、その後すぐ一つの誤りを犯しました。電話をかける前に正念を発するとき、私はあのような正念を発する「状態」を追求しました。勿論良い結果があるはずはありませんでした。幸いに私は早く目覚めたので、大きな過ちにはなりませんでした。

 その後、電話をかける前に正念を発する以外、電話をかける間もずっと正念を発するようにしました。正念を良く発した時は、真相を良く伝えられました。このような状態はとても長い間続きました。私は少しずつ、如何に正しく正念を発するか、如何に強大な念力を集中するかが体得できました。私は正念を発するとき、タイマーが要りません。いつも自分で時間を把握し、多くの場合15分を超えます。時にはとても長く正念を発します。正念を発した後、私は「天が清らかになり、体が透明になる」感覚を体得しました。

 今、発正念に対する認識過程を振り返って良く考えると、弟子に対する師父の慈悲、及び弟子に対する厳格で、且つ順を追って一歩一歩進展させてくださる導きを真に深々と感じます。

 発正念の作用は真相をはっきり伝える時だけでなく、私の修煉の各々の方面でも現れました。師父の要求された法を正す時期の大法弟子の良くやるべき三つのことの中で、発正念があります。私は、それはただの一つのことではなく、師父が大法弟子に与えてくださった一つの宝、ひとつの鋭い刀、一種の超能力だと思います。それは私達が師父の下で、法を正し、衆生を救い済度する過程で、修煉の過程で全ての旧勢力の黒い手、邪悪、及び各方面からの邪魔を取り除く時、手助けとなります。

* 執着を放下し、真相をはっきり伝える

 師父は大法弟子に、「真相をはっきり伝え、衆生を救い済度する」責任を賦与してくださいました。これは正に師父の衆生、及び大法弟子に対するもっとも偉大な慈悲であり、師父が大法弟子を導いて歩む、最も正しい修煉の道であります。師父は経文の「さらに執着を取り除く」でこう教えてくださいました:「人を済度するには、正であってはじめて、皆さんの執着心を取り除けるだ。」 個人修煉は真相をはっきり伝え、衆生を救い済度する中に貫いています。

 私は執着が実にとても多いのです。師父が説法の中で言及された全ての執着が私にあります。しかし電話で真相を伝える過程で、これらの執着心は一つ一つ反映されました。時には反映されてくる執着心が非常に強烈で、自分で抑えようとしても抑えられませんでした。しょうがなく、電話を下ろして、法を勉強し、正念を発します。自分の心理状態を良い状態に安定させます。その後再び電話をかけ始めます。しかし、更に多くの場合、私は電話が常に通じない、或いは通じても、相手がすぐ電話を切り、真相を聞こうとしないと時になると、内に向けて探します。毎回自分の執着心が見つけられ、私は心を静めて正念を発して、これらの執着心を消滅します。場合には、これらの執着心が一重一重消されるのが感じられます。現在に至って、私にはこれらの執着心がまだ存在しています。しかしそれらはほとんど弱くなり、私があれらを抑制しようとすれば、以前より抑制し易くなっています。私は深く信じています。これは師父が弟子のために、一心に按配してくださった修煉の道であり、真相をはっきり伝え、衆生を救い済度する過程の中で、自分を錬磨し、いろんな執着心を取り除く過程だと。下記に一部の例を取り上げます。

 暫くの間、電話で真相を伝える効果は非常に良くありませんでした。内に向けて探しましたが、自分に存在する全ての執着心を見つけても、よく分らず、長い間突破できませんでした。ひいては、ある日、電話にでた一人のおばあさんが意外にも私にこう言いました:「あなたは自分を良く修めるべきです。」 私はわけが分らず、私がいったいどこが間違っているのか分りませんでした。ある日、電話をかける途中で、一つの念が頭に浮かびました:「善の心で世人を救い済度しよう。」 私はすぐこの念頭に沿って、内に向けて探しました。こう探したら、とても驚きました。自分の心には善の心があまりにも少なかったのです。長い間、常人社会の物事の成り行くままに従い、冷淡な心が出来ました。知らない世人は別として、家族、友達に対しても、常に善の心で直面できず、配慮しませんでした。もし、最低の善の心さえなければ、善の念さえなければ、どうして一人の大法弟子と呼べるでしょうか。それから、私は、「善の心で人を救い済度しよう」と言う一念を固めました。その後に、かけた電話は全て良い効果を収めました。

 私は一人の市長に電話をかけたことがあります。彼は出張で不在でしたが、奥さんが電話に出ました。私は彼女に当地の610事務室が不法に一人の大法弟子に対して暴力を振って、殴打したことを市長に反映したいと伝えました。彼女はこう言いました:「聞くところ、あなたは良い人です。昨日も法輪功からの電話をもらいましたが、電話に出ると相手はすぐ、‘また法輪功を迫害しないでください’と言いました。誰が法輪功を迫害しましたか?」続いて、彼女は私に市政府の一人の秘書長を紹介してくれました。私は彼にその大法弟子が受けた暴力による傷害について詳しく伝え、また彼に大法の真相をはっきり説明しました。これは弟子に対する師父の励ましだと、私は分りました。

 その後の電話での真相伝え、及び日常生活、仕事の中で、私は常に自分に善の心を持って、全ての人に対するように要求し、善の心を持って、全ての物事に対するように要求しました。この暫くの時間を通して、私は自分でも心性の昇華を感じ、師父の経文≪法が乾坤を正す≫で教えてくださった「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世人を救う」に対して更に深い理解が出来ました。

* ゆるまずたゆまず堅持する

 電話で真相を説明することは既に私の修煉の不可欠の一部分となっています。もし、電話で真相を伝えなかった日があれば、私は不安を感じ、一人の法を正す時期の大法弟子として尽くすべき責任を尽くしていないと感じます。私は自分のために、理由を探して、自分が受け取るべき責任を避けたくなく、また避けません。同時に、私は自分の心の中に、衆生を救い済度するためと言う願望が発せられると、他の全ては師父が弟子のために按配してくださると悟りました。師父は毎日電話で真相を伝える時間とチャンスを保障してくださいました。

 私は電話で真相を伝えて既に一年の時が経ちました。しかし多くの場合、成功率はとても低いものでした。私は主な原因にまだ個人修煉が着実にできていなく、多くの執着心を抱いていて、心理状態が不安定であることに原因があると思いました。時には何通の電話を良くかけられたら、自分が良く伝えたと感じ、歓喜心が芽生えます。そしてその次の電話はすぐだめになります。ちょうど真相を伝える時、頭の深いところよりいくつかの雑念がふさぎだし、抑え切れないと、電話に出た相手はまるで私の状況を把握しているようで、すぐ電話を切ります。時には知らない内に電話をかける成功率に執着して、まるでこれは修煉の基準みたいで、その結果は想像がつきます。

 一人の新しい学習者として、私にはまた取り除くべき執着心が多くあり、乗り越えるべき難があります。ただ電話をかける前に心を静めて、法を勉強し、精神を集中して、正念を発して、自分と外来の邪魔を消滅し、旧勢力の黒手を取り除き、また師父に加持をお願いすれば、必ず電話をうまくかけられるとは言い切れません。根本的にこのような既に出来上がった公式はありません。毎度電話がうまくかけられないとき、私は自分に向けて探します。必ず多くの執着心を見つけられます。私はこれらの執着心の表れがあるから、自分の修煉に対して、及び電話で真相を伝える自信に動揺したことはありません。逆に、大法修煉の中で少しずつ、これらの執着心を弱めることを嬉しく思い、同時に大法、師父に対する正しい信念を増強しました。

 以上は私のとても浅い認識であります。足りないところについては、同修の大きな慈悲による教示をお願いいたします。

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2004/11/6/88493.html