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邵慧さんは迫害により死に至り、公安は真相を隠す(写真)

 

文/吉林市大法弟子

                          邵慧さん

 【明慧ネット2004年11月12日】吉林省樺甸市紅石林業局紅石営林場医院の医者の邵慧さんは、法輪功に対する信念を曲げることなく、至るところで真相説明を行いました。2002年8月のある日、彼は吉林市公安局に後を付けられ、その夜迫害により、31歳の若さでこの世を去りました。吉林市の悪警官らは、犯罪事実を覆い隠すために情報を封鎖し、今なお家族に知らせていません。 
状況を知らない邵慧さんのご両親は、この2年の間ずっと息子の行方を探し回っています。息子のことで精神的なダメージを受け、邵慧さんの父親の両目は失明に近い状態になり、母親は高血圧で倒れ、腰椎を骨折し、歩くことすらできません。2人の老人は心身ともに疲れ果てて、重病に苦しみ、それにまだ幼い孫(邵慧さんの息子)の面倒も見なければなりません。

 邵慧の妻の穆萍さんも法輪大法を修練しているため、不法に労動教養所に拘禁され、各種の苦難を受け尽くし、命が危険な状態にまで陥りました。労動教養所は中で死亡することを恐れて、2003年10月にやっと穆萍さんの在宅治療を許しました。

 邵慧、男性、1971年生まれ、専門学校卒。1996年彼は親友を通じて《転法輪》を得、1997年郷里で煉功場を作り、正式に大法修練を始めました。彼は心が優しく、正直で教養があって評判のとても良い医者でした。彼は名利を求めず、争わず、いつも重病患者を訪問し診察を行い、患者から深い信頼を得ました。家庭の生活の中でも彼は、親孝行でまた楽観的で親戚と友達の皆から愛される存在でした。素晴らしい法輪功学習者であると回りのみなは誉めていました。

         邵慧さんの家族      邵慧さんと息子

 邵慧さんは、かつて三人家族の幸せな家庭を持っていて、妻も法輪功修練者です。夫婦はとても気が合い、また息子がとても賢くて子供ながらよく物事をわきまえていました。しかし、江沢民の個人的な嫉妬から始まった法輪功に対する血生臭い弾圧により、この家族は災難に遭いました。彼らは無数の法輪功学習者たちと同じくこれまでの歴史上無かった最も邪悪で最も残忍悲道な迫害を受けました。 

 1999年9月邵慧さん夫婦は、他の4人の大法弟子と同時に不法に逮捕拘留されました。その期間中、紅石林業局党委員会書記の張学才、公安局長の馬錫金、孫志義、政保科長の劉明仁、李福文、所長の周晶など江沢民グループの追随者らは、さまざまな卑劣な手段を駆使して法輪功修煉を放棄するように邵慧さんたちに強要しました。彼らは大いに「文化大革命」時のリンク政策を実施し、会社の責任者に圧力を加えると同時に家族を脅迫し、強制的に法輪功を中傷するビデオを見せました。しかし、これらのすべては、法輪功に対する邵慧さん夫婦と他の学習者の信念を動揺させることができませんでした。最後に、江沢民グループの追随者らは仕方がなく、彼らを釈放するしかありませんでした。しかし、それ以来静かで幸せだった昔の安寧な生活に二度と戻ることが出来ませんでした。「重要人物」とされた邵慧さん夫婦は、公安局から不法に身分証明書を差し押さえられるなど人身自由を略奪され、家はいつも見張りによって監視されたり、電話を盗聴されたりしていました。甚だしくは、随時随所に留置場に呼び出されて保証金などを強要されました。その場で出せない場合は、給料からむりやり引かれ、正常な生活を維持することがとても困難でした。 

 2000年4月、政保科派出所の悪警官が突然邵慧さんの家に勝手に飛び込んで、不法に家宅捜査をして、大法の書籍を奪い去りました。そして邵慧さん夫婦も拘束されました。

 2000年11月、紅石林業局は密かに法輪功学習者を労働教養所に送り込む計画を企んでいました。11月21日邵慧さん夫婦は再度逮捕され、留置場で邵慧さんは副所長の王瑞清にめった打ちされました。他の刑事犯があぐらをかいていただけで、王瑞清は邵慧さんが彼に法輪功を教えたと勘違い、有無を言わせず引きずって行ってめった打ちしました。それだけでは気が済まず、また刑具まで持って来て彼に苦痛を加えました。監獄の他の刑事犯罪者たちまで憤慨して見ていられませんでした。その他にも邵慧さんは、刑事警察チームの方衛民、李長雨と他の二人の警官から残虐な拷問を受けました。自供を強要されたり、めった打ちされたり、睡眠を取らせないで20時間近く馬の歩き方を真似させたりなどありとあらゆる手段を駆使して彼に苦痛を与えました。

 2000年12月、邵慧さん夫婦は不法に懲役3年の判決を下され、邵慧さんは吉林歓喜嶺労動教養所に送り込まれました。労動教養所はまるで地獄のように邪悪な警官らは法輪功学習者に対してナチス収容所よりはるかに凶暴で残虐な迫害を実施していました。法輪功学習者は毎日肉体上の苦痛だけではなく、法輪功の修煉を放棄するよう強要されるなど精神上で徹底的に押し潰されました。いわゆる“転化率”を達成させるために法輪功学習者に悪警官らが加えた各種の残虐な迫害は人間の想像を絶するものでした。 

 2001年12月歓喜嶺の法輪功学習者たちは、九台飲馬河労動教養所に移動させられて集中迫害を受けました。九台労動教養所は最も邪悪な所で、そこにはさまざまな刑具が揃っています。例えば白竜棒、歯抜き棒、ヤナギ鞭、電気棒、ゴム管、トラ椅子など…。 

 2002年2-3月の間、悪警官らは、法輪功に対する信念が強い学習者に集中して「転化」を目的とした迫害を行いました。毎日至る所で、電気棒で人を殴る「パン、パン」という音、鉄製のチェーンを振り回す音、警官の悪質極まりない罵りの声などその悲惨な場面は見て耐えられるものではありませんでした。これらの悪警官らはすでに人間性を失い、法輪功学習者はこれらの野獣のような邪悪にめったうちされて全身傷だらけになり、骨が折れ筋が切れるなどこの上無い迫害を受け尽くしていました。この間、悪警官邵慧さんを尋ねて来て、机の上に刑具を並べて脅迫していました。2月末、一人の法輪功学習者が無残にも打ち殺されました。このような情況に直面して、邵慧さんは他の学習者と話し合って、消極的に避けて通るのではなく、学習者に対する殺害をこれ以上許せないと判断し、この悪の巣から脱出して邪悪を震撼させたいと決意しました。 

 2002年3月31日邵慧さんは、強い正念の下で出勤時正々堂々と労動教養所から脱出しました。九台労動教養所の邪悪らは恐れ慌てて、大量の人力を派遣して邵慧さんを捕まえようとしました。悪警官は吉林市にある邵慧さんと関係の有る全ての知人や友人の家を捜査しましたが何の情報も得られませんでした。

 邵慧さんの脱出成功は、邪悪を震撼させると同時に留置場の学習者に大きな希望と力を与えました。邪悪の警官は、邵慧さんを捕まえることができず彼の両親と親友のところに行って理不尽にかき乱したりしていました。見境もなく怒り出した邪悪は、邵慧さんのかわりに妻穆萍さんを逮捕しようとしましたが、家族の抗議で達成できませんでした。目的を果たせなかった邪悪は、また穆萍さんに毎日公安に来て彼らに協力して情報を提供するように強要しましたが、彼女に強く拒否されました。その時彼女は、ちょうど労動教養所から出たばかりで体が極度に衰弱していました。

 邵慧さんが脱出してから10日目に、妻の穆萍さんは張学才、張青、周晶などの悪警官によって再度不法に労動教養所に閉じ込められました。2002年6月邵慧さんのお姉さん(邵珍、法輪功学習者)が真相資料を配布したことで樺甸610公安局に逮捕され懲役12年の判決を言い渡されました。

 邵慧さんは労動教養所から脱出してから、路頭に迷う生活を送らなければなりませんでした。しかし、彼はそのような苦しい日々の中でも留置場で迫害を受けている幾千幾万の法輪功学習者たちを忘れず、至る所で様々なやり方で人々に法輪功に対する江沢民の迫害真実を暴露し、真相を伝えました。

 2002年8月、吉林市公安局は吉林市豊満区地質2号ビルの借家を突き止めました。邵慧さん以外のもう一人の学習者は7階から飛び降りて重傷を負い、邵慧さんは部屋の中で殺されました。吉林市の悪警官らは殺人罪を覆い隠して、未だに家族に知らせていません。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/12/89000.html