日本明慧


迫害眞相を理知的に扱う

文/小蓮

 【明慧ネット2004年11月7】以前明慧ネットの"大陸情報"や"迫害事実"欄を読む度に、私はいつも怖くなり心が乱された。しかし次第に私はこの様な心理が正しくないことに気付いた。師父は言った、"現在、彼らが学習者と大法を破壊していますが、その方法は極めて邪悪で、人に知られてはいけないもので、暴露されるのを恐れているものです" ("理性" 精進要旨)

 私個人としては、眞相を伝えることは、主に大法弟子が如何に良いか、江沢民が如何に卑劣な手段(経済的、名誉上、身体上)を用いて我々を迫害したか、如何に迫害が一般に危害を与えるか(正しい法制環境を失わせ、社会環境を悪化させることにより、道徳的基盤を失わせ、邪悪の嘘を信じる者の生命を憐れな境地に置いた、等々)を明確に説明することであると思う。私達の講眞相はこれらの主な角度をカバーするべきである。私達自身が迫害事実を読まなかったり、読んだ後正念をもって対処しなかったりするなら、暗黙の中に邪悪を認めることにならないだろうか?

 法理からはっきりと正しく悟ることが出来、旧勢力が創り出す巨大な難の中で、厳格にその悟に従うならば、大法の力量を現していることにならないだろうか?それでは、中国大陸における大法弟子の主体の一員としての、我々の責任は何であろうか? 一人の同修の逮捕は、その友人や親族にある程度の負の影響を与える。常人は複雑なことに巻き込まれることを最も恐れるから。更に逮捕されることは、旧勢力が按配した路を歩くことである。より多くの法を正す時期の大法弟子が留置されずに自由であるなら、より多くの衆生が救われる! 

 同修の迫害についてのニュースをこの思考に基づいて読む度に、私はまず自分の欠点と、記事に書かれたことで安全の為に知るべき事を探す。それから正念をもってそこに述べられた同修達を助ける。同修の迫害は私自身の迫害のようである。実際、多くの同修達は同様に感じている。例えば、ある地域に大規模の迫害が起きると、私達の体は特に具合いが悪く感じる。しかし、新しい悟が、古い感覚の無くなった、憂鬱な心理を私に取除かせた。

 以前正念を発する時は、同修を"幇助"しているかのようであった。今では大法弟子の一体としての奥深い意味に気付くことが出来た。小宇宙から見れば、我々一人一人が完全な孤立した宇宙である。大宇宙から見れば、我々はより大きな生命の一部であるか、それともほんの小さな粒子でさえあるだろう。丁度人間のように、誰かが固い物であなたの体の一部をひどく殴ると、その部分に痛みを感じる他に、体全体が不快に感じ、精神状態も良くないだろう。だから体全体が痛みを感じないように、又良い精神状態を保つ為に、体の一部に傷害を受けないという保障が必要である(これは的確な比喩ではないかもしれない)。同修同志お互いに表面的に知っているかどうかは重要ではない。又我々が肉体的にお互いにどれ程離れているかに関係なく、我々は常に内外共に繋がっている。体の何処か一部で起きている迫害は、体全体の注意が必要であろう。個人的に思うには、これは多分大法が全てを含有する理由の一部である。

 我々はただ単に同修を"幇助"するだけの為に正念を発するのではない。同修に対する迫害は、確実に我々に起きている迫害であるからである。それは、我々の物質空間の表面に現れることはないが、他の空間で確実に起きている。もちろん同修に責任を持つことは、正念を発する形式に限られることはなく、他の形式も欠かすことは出来ない。これは又我々に眞相を伝える機会を与えることとなり、それをどのように扱うかは我々次第である。

 この法理を悟った時、私は自分の心が非常に大きく広がり、全てを取り入れ、全てを考慮するのを発見した。その瞬間私の正念が宇宙全体に満ちるかのようであった・・・

 時は一秒一秒と過ぎて行く。私はまだ修煉出来ていない多くの変質した観念を持つ。重要なことは、自分の路を良く歩き、"最も偉大な覚者"を鍛え上げるこの時代に、良く行なうべき事を行なうことである。私は多くの機縁を失ったことを知っている。今のこの時を大切にし、後悔のないようにしなければならない。

2004年11月27日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/7/88562.html