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第1期中国大陸大法弟子修煉会得書面交流大会に参加した感想

 文/大陸の法輪功弟子

 【明慧ネット2004年11月2日】明慧ネット「第1期大陸大法弟子修煉会得書面交流大会」は閉幕した。今回の書面交流大会の原稿募集の記事がネット上で掲載された後、私達地区の一部の法輪功弟子は1つの交流会を開き、今回の書面交流大会のことに関し意見交換をした。みんなは今度の交流大会が神聖であることを認識している。地区の交流会を通して、私は「第1期大陸大法弟子修煉会得書面交流大会」に対し、私達すべての弟子が参加し、かつしっかりと行うべきであると、はっきりとした認識を持つようになった。

 実際に原稿を書くことに取り掛かると、障害が次々と重なってきた。書く時、絶えまなくコンプレックスが襲ってきた、「書かないで、こんなに多くの不足があるのに」と、そのため何回も途中で筆が止まり、なかなか前へ進むことができなかった。その後、先生の講法「大法弟子の全体が既に個人修煉の段階を終え、現在法を正すことの洪大な勢いが急速に進んでいるため、大法弟子が法を証明する段階もいよいよ終わりに近づいています。歴史はもうすぐ新しい段階に入ります。」(《人心を放下し、世の人々を救い済度する》)を勉強した時、次のように悟った。法を正す進めが緊迫してくる中、今回の書面交流大会は、法輪功弟子が法を正す最後の段階において、先生がくださった法を正す貴重な機会である。もう一回原稿募集の記事を読み直し、これは自分に対して全面的に総括し、不足を探し、先生に報告する機会であり;私達大陸の法輪功弟子がお互いに交流し、共に精進する盛会でもあると認識した。

 交流及び法を勉強することにより、私はだんだん心理状態をきちんと調整し、正念でコンプレックス、自我意識などの妨害を取除き、出発点を、法を証明することに置き、不足があっても客観的に対応し、人心を抱かないようになった。私は原稿を書くことを宿題にし、明慧ネットの原稿募集の記事を何回も読み、自分の5年間歩いた道を遡り、大法から生まれた正しい念と正しい行い、先生の慈悲の加護、根本的な執着心および様々な不足を探し当て、今後更に精進する正念を立てた。その場で涙がほろほろと流れて、師父の洪大慈悲を実感し、今度の法会は師父と明慧ネットが提供してくれた私達自身が修煉、高まる機会であると悟った。投稿の言葉はみんな真剣に書いたものであり、最後の「不足があったら、ご指摘をお願いします」——以前は単純に感情のない決まり文句だと感じたが、それも学習者からご指摘を求める渇望を含めていた。

 書き終わった後、全体的に自分の修煉の過程を見ると、また大法の要求との差を感じた。まさに、前期の《明慧週刊》で1人の学習者が話したように、個人で執着心を取除き、個人修煉に重きを置いており;衆生を救い済度、大法を証明する時、仕事をする状態を明らかに呈しており;法理に対する認識が比較的にあやふやであり、本当に大法、大法に責任を負う出発点に立っていないなどである。その後明慧ネットに掲載された「第1期大陸大法弟子修煉会得書面交流大会」の交流文章を読み、学習者の大法に対する正しい悟り、正しい行いを見て、大いに利益を受けました。何回も読み返した文章もある。他の学習者と比べて、大きな差を探し当てた。多くの不足に関し今後どのようにしっかりと行うべきか分かるようにさせ、更に精進することを催促してくれた。見終わっての最も深い感銘は:大法を勉強し、正念を発し、真相をはっきりと説明する——まさに先生が要求された3つの事をしっかりと行うべきである。

 今度の、神聖である書面交流大会において、私はまた幸運にも私たち地区の原稿の入力を担当した。大量の原稿が集まってきた。最初はこんなに大量の原稿を、私たち少数の学習者に入力させることに不平をこぼした。その後、これは仕事をすることとは違い、師父が与えてくださったこんなに偉大な歴史の責任に、汚い心で対応してはいけないと意識した。文章が短く書かれていたり、更に1枚の紙しか書いていない学習者もおり、書く時結構難しかったようにも見えた。しかし質素な言葉は一つ一つ大法に対する堅固とした心が含まれていた。正しい念、正しい行いで大法を証明し、偉大な師父を称賛していることを書かれていた。たとえ少なく書いてある文章でも、できるだけ入力しました。大量の原稿から、私達地区の学習者が今度の法会に積極的に参与したことと全体の状態を反映していた。ある区の学習者はほぼ全員書いた;ある区の学習者はいつも一緒に集団で大法を勉強し、交流するため、全体は法を正すことについており、今回の法会をとても重視していた。また人心と不足を明らかに暴露した原稿も少しあった。例えば:大法と師父が社会に幸福をもたらすことを望む(実は出発点を明らかに人に置いていた)……類似する情況に対し、学習者はできるだけフィードバックして、学習者に不足を理解できるように助けて、それも私達全体が共に高まる一部である。

 私達大陸の大法弟子が全体的に協力したため、各地の学習者の原稿は続々と明慧ネットに掲載された。再び明慧ネットを見ると、更に多くの正念が加えられたと感じた。それは私達大法弟子の1つの強大な正念の場であり、掲載されていない原稿もこの正念の場の一部で、他の空間にある黒い手と卑しい鬼を一掃している。

 その後、ある区の学習者が今回の法会を重視していないことを耳にした。彼らには、心から残念さを感じた。今回の大法交流大会に参加した過程を通して、私は次のように体得した。法を正す過程において、私達全体はたくさんの重要な事に直面し、その中の多くは私達が自らやらないと深い内包を体得できない。やっていく中で、ようやく先生の慈悲の手配を体得することができ、真に高まることができる。例えば、最近のいくつかの重要な事:現地の人々に現地の邪悪を暴き出す;正念を発して、北京とニューヨークに集まっている邪悪を取除く;残虐な酷刑の実演;法律の手段を利用し真相を伝える;孤児の証拠を収集する;獄中の大法弟子を救援する……これらは明慧ネットが大法弟子に提唱した法を証明することだけではなく、師父が私達にしっかりと行わせる3つの事に関する具体的な体現であり、私達の向上、昇華もその中にある。重視しない学習者はできるだけ早く重視し、機縁を逃さないことを願っている。この文章を以って学習者と共に励まし合う。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/2/88188.html