日本明慧


法輪功は私に改めて自分を認識させました

  文/葉建明(台湾)

  【明慧ネット2004年11月29日】ある日、仕事終えて家に帰った後、隣家のおじさんがやってきて、「駅のあちらにいる人が気功を教えているが、あなた達も学びにいきますか?」と家族に尋ねました。その時は、まだ気にしないで、そのまま、テレビをみていました。おじさんは歩いてきて私に紹介すると、「いっしょに行かない?」と尋ねました。実はその時自分の心の中には、まだ学ぶ気がなかった。気功に対して少しの概念もなく、その上長い間、観念の頑固な私はこのような 「見えないし、またつかめない」気功にずっと懐疑心を持っていた。

  それから、駅で教えているのは「法輪功」である事を知った後に、私はやっとテレビで紹介されていたのを、見たことを思い出しました:全世界で一億以上の人が学んで、その上みな体は健康だ。しかしなぜ一億人に学ばせることができるの?実はこの点について私はずっと好奇心があった、後に「法輪功」は少し気になっていました。嘉義中山公園で、いつも多くの人がそこで煉功しているのに会って、通るときいつも見ていました。自分が住んでいるところも教えるクラスがあったとは思いもよらなかった、母の横からの激励に、心の中で功法を学んでみようという願望が生じてきて参加を決意しました。意外なのはこの9日のクラスに参加した以後、それから私の観念と体の状況が変わりました。

  もとは脊椎炎に罹った私は、18歳から発病して一日たりとも、気持ちよくすごした事がなかった。よく夜中は腰部がだるくて痛くなり、ひっくり返っても寝つくことができなかった。最もたまらなかったのは高校三年の時で、いつも夜はちょうど寝つく時に、かかと、腰部、座骨神経、一箇所も心地よいところがなくて、ほとんど横になって眠れなかった、このようにして私は、半年は坐ったままで寝ていましたが、あの時は「世の中の煉獄」としか形容するができない。卒業してからも、痛みもあまり大きく改善がなかった、毎日薬で抑えることしかできなくて、一通り、台湾の各大きい病院を受診しましたが、医師はいつも、「特効薬がない、新しい薬を発明しない限り」の一言でした。この話を耳にすると、気持ちはいつも落ち込む、無期懲役を言い渡されたようだ。自分は、いつも、:私の前世は結局どんな間違いを行ったのかな?今生はこのような病気に遭遇する、まさか、これからはこのままに、ほっておこうこうかな?:と夜中に考えていました。

  幸運にも、今年8月19日に法輪大法に出会えた後に、私の人生はここから変わりました;翌日(20日)から始まって、先生は私のために体を浄化してくれました。それから、私は薬の缶と絶縁しました。最初は薬を飲むことを忘れ始め、あとはもう飲まなくなりました。もう、すでに3ヶ月も一粒の薬物を服用したことがなくても、体は依然として変わりがなく、甚だしきに至っては普段薬物を飲んだ時の情況よりもよい!そうかも知れない、ある人たちにとっては私の体の情況の変化は、一種の奇跡だと思っているかもしれない、しかし今、私はこれが奇跡だけでないことを信じて、これは真実の出来事が私の身に発生したのだ。「奇跡」が偶然を代表しているかもしれないため、大法は私の体に体現するのをさせなかった。私は、これはすべて先生が私に対する慈悲だと思う。

  この3ヶ月の学法の中で、法の対する理解はあまり深くありませんが、しかし、自分の観念の変化に対して印象深いものがあります。以前は、私は無神論者で、両親が言う神や幽霊のことについて全く相手にせずに、いつも彼らが受けた教育が低い、思想が頑固だと思っていました。自然とすぐ過激な考えが生じて、思想的にもとても狭くなり、自分の頑固で強情な性質はますますひどくなって、だから両親とも疎通になり、よく対立を生んでいました。法を学んだ後に、やっと自分がもとは徹底的に間違っていたことに気がついた。親戚、友達について自分はかならず、彼らの立場に立って考えてあげることができるのに、自分の家族に対してはどうして駄目なのだ?と思った。まさか彼らには寛容にできないのか?最後に、私は法の上で解答を得ました。それは、つまり自分が利己的すぎて、寛容は他人によく接する表面の形式だけではなく、更に内心は深いところで私心に対する反省なのだ。

  これ間以来、先生の『転法輪』、確かに私に自分自身のことを考えさせられた。私は今道理が分かってきたので、更に困惑しないで、更に迷いの中で沈むべきでないと思った。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/11/29/90299.html