日本明慧


法を正す流れに追い付く

 2004年ニューヨーク法会にて

 文/西洋人弟子

 【明慧ネット2004年11月23日】今日は同修、そして慈悲深い師父!

 これは私にとって二度目の法会で、体験を語るのは初めてです。過去何ヵ月間か、私は法を証す為にこのような文章に書く方法を取るべきであるという、暗示を何度も受けたと感じます。主に明慧ネットで語られた体験談を読むことで、私は法を正す中で、個人修煉を続けることが出来たのです。

 私は7ヵ月前の2004年4月に法を得ました。大法との最初の機縁は、一人の同修への感情的執着でした。一人の常人として私は、この若者にとても敬意を持っていました。そのような高い道徳基準と忍耐(これは私に欠けていると分かっていました)、そして良い心構えを持った人に、以前出逢ったことがないと思いました。彼の高潔な態度に加え、他の友人は誰も関心を持たない事についても、彼とは話すことが出来ると感じました。私はいつも、哲学の授業で学ぶ全ての事よりも、このような話題の方に興味がありました。例えば彼は、善良な人であることは価値があるということに、私に気付かせました。私は悪い人間ではありませんでしたが、どうやって良い人になるかについては、学校では決して話すことはなかったので、考えて見ることもありませんでした。

 彼が初めて私に、宇宙の基本特性 "真善忍" に従うよう努めていると言った時には、"何? どうしてそんなことを信じられるのかしら? 世界中の全ての言葉の中から、誰がこれら三語に決めたの?" と思ったのを覚えています。だから私は彼に尋ねました「何故真善忍が宇宙の基本特性だと思うの? これらは社会で勝手に作られた言葉のようだけど!」 しかし彼は平静に説明してくれました「この特性は宇宙の異なる次元において、異なった現れ方をするのであり、これら三語は単に人類社会という一次元における特性の現れである」と。これは私の心中で共鳴しました。長い間私は、人類社会における私をも含む全ての人の出発点は、自分というものであることに気付いていました。私は一生、万物の心理を知ることを渇望して来たのであり、それが私を大学で哲学専攻へと導いたのでした。だからこの特別な人が大法の更に高い原則をほんの少し話すなり、私の一部が真善忍を信じ始めました。

 これが私の大法弟子となる縁の始まりだとは、知りもしませんでした! 常人の次元に居て、私はただこの青年が私にデートを申し込むのを、待って、待って、待ち続けました。それはあまりにも長くかかり、私の友人は皆、この青年のことを思うのは止めるよう、私に忠告しました。けれど私は待ち続けました。実際師父は私の為に全てを按配してくれました。この大法弟子と私は、他の数人の友人達と共にバケーションに行きました。バケーションの間、彼が日中は転法輪を読み、夜は煉功するのを見ました。心中奥深くで、私は実に彼に対し嫉妬を感じていました。その時私はより高い原則に従いたく、精神方面で有名な人によって書かれた本を読んでいました。けれど彼が幸運にも、私よりももっと多くの読み物を持っていることに、気付かざるをえませんでした。そればかりでなく、彼は音楽や、講法の録音や、ビデオ、それに他の弟子達と交流する為のネットワークを持っていたのでした。私はこれら全てのことを心の奥深くで考えていましたが、羞恥心と名声への執着が、大法についてもっとよく知る為の第一歩を踏み出すことを妨げていました。ある日彼はついに "法輪功" を私に与え、私はそれを何の障碍もなく読み終えました。しかし私はもっと深いことを知りたく思いました。

 学校に戻ってから、朝6時半の煉功に来てよいかと、彼に聞く勇気を持つのに3日かかりました。初日の煉功情況をはっきり覚えています — 古い弟子達の一人一人が私の周りでどのように振舞ったか、煉功の感覚、功法を教える時に彼らが使った言葉。師父が昔中国で法を説いた時、第二日目に真の学習者の天目を開きました。師父は又、真の学習者は転法輪を読むことによっても、必要なものを得ることが出来ると言いました。煉功第二日目、座禅している時、私は突然眼を刺すような白い月を額の中に見、それは私の心臓が激しく打っても消えませんでした。この円はあまりにも明るく、部屋中の者が私に起こっていることを知るだろうと思いましたが、"何が起きようと修煉をしっかり続けることを忘れてはいけない、何故ならこの本に書かれていることは全て真実なのだから" と思ったのを覚えています。それが、私が超常的なものを見たり信じたりした、最初でした。それ以来私は転法輪を出来るだけ多く読むよう、決心しました。

 修煉を始めて二週間程して、私が思想業や情への執着、様々な邪悪の妨害を克服しようと苦闘している時、私のボーイフレンドは法を正すことについて、低いレベルで注意深く説明してくれました。彼が何故いつも資料を配ったり、迫害の話をしているのか、ついに理解し私は驚きました。それからは私は何げもなく資料配りを手伝ったり、質問を受ければ話したりし始めましたが、迫害の眞相については、まだ十分知りませんでした。そしてまだまだ多く読むべきものがありました。学校が終わった時、まるで偶然であるかのように、師父は私が多くの読書が出来るような夏期アルバイトを按配してくれました。毎日3、4時間ニューヨークから電車で通いました。だからその時間を全部転法輪を読むことに費やすことが出来、可能な限り資料を配りました。次の仕事はメイン州にある伯父の農家のペンキ塗りでした。私は家に一人でいるのが普通でしたので、仕事をしながら一日に三つの説法を聞くことが出来ました。夜は、何時間も明慧ネットの弟子の記事を読んで過ごしました。各大法弟子が如何に貴重であるか、そして如何に私達が家族以上に深く繋がっているかに気付き、私はよく涙を流しました。一夏を一人で過ごして、私は同修と話がしたく、体験を語りたくなりました。私の法の理解の変化は早く、時々正しくないかもしれないと心配になります。学校に戻るまでは、同修の体験談を読むことだけしか出来ませんでした。私は又、師父の他の多くの経文をも出来るだけ多く読み、同修達に追い付くよう努力しました。

 ある晩夕食後、明慧ネットで同修の洞察を読んでいる時、私は何かを突然悟りました。何週間も私は、表に出てもっと複雑な環境で講眞相をする代りに、余暇を自宅で坐って法の勉強をし、執着するのを防ぐ為にシンプルな生活をするよう努めていました。私が理解するところによると、これは過去における修煉方式でしたが、法を正す時期の修煉方式ではありません。自分の間違いに気付くと、意図するところは正しかったのですが、興奮し過ぎ、一秒たりとも無駄に出来ないかのように、家中を走り廻りました。兄は変な目付きで私を見ましたが、私は間違ったことをしているとは思いませんでした。人々が法を得るのを待っているのに、私は利己的にも坐ったままでいたことを思うばかりでした。私はその辺りの地理を知りませんでしたが、車に乗って暗闇を運転し、資料を作ることの出来る店を見つけました。偶然同じショッピングセンターに中華レストランがあり、そこで私は多くの資料を配りました。

 三ヶ月間他の弟子に会うことも出来ず一人で修煉し、ついにニューヨークへ講眞相に行き、黄色いティーシャツを見て嬉しく、私の眼は涙で一杯になりました。あまりに多くのエネルギーがあり、会う人皆に資料を渡し、微笑みを保ち、喉が嗄れるまで話さなければいけないと、感じました。二度目、三度目には、もっと平静になれました。

 三日目におもしろい事が起きました。片付ける予定時間の一時間前に街角に立っていましたら、突然何年も会っていない父の従弟が目前に現れました。私はすぐに理解し、心の中で師父に向かって微笑みました。たった一週間前に私は、この従弟が妻と子供と共に中国へ引っ越すということを知ったのです。彼に電話をするつもりでしたが、忘れていました。ところが彼は一日だけニューヨークに来て、翌週は中国へ引っ越す予定であったのです。彼にとって、このような混雑した都会で私達が出逢うのは全くの偶然であるので、彼は私を見てとても驚きました。笑顔一杯で彼は、飛行機に乗るまでにはきっと全ての資料を読むと言いました。一旦中国に到着すれば、法輪功について良い事を知るのは難しいことを知っていましたから。無事に良い中国への旅をするよう言いながら、私はとても嬉しく思いました。

 法の理解における私の至らなさは、眞相を伝える時にいつも起きるということに、最近私は気付きました。一度私は邪悪にひどく毒された中国人女性に眞相を伝えていました。半時間くらいも話し、私はとても平静で頭がはっきりしていました。ところが、会合に遅れたくないことを思い始めたとたんに、彼女は私に答えられない質問をしました。私の私心が邪悪に利用され、私は彼女の大法に対する悪意の最後の部分を、取除くことが出来ませんでした。私に迫害についてもっと深い理解があったなら、多分彼女の質問に答えられたでしょう。もう一つの例は、私の母は私に隙がある時にはいつも電話を掛けてきます。一度は私の電話料金が高いので電話を掛けて来、法輪功学習者と過ごす時間を減らし、もっと学校の学生達と過ごすべきであると言いました。彼女の声には不安が感じられ、私は彼女がある面で正しいと気付きました。私は法を正しく理解していなかったので、心中学校の友人達と話たいという欲求を押さえていたのです。出来るだけ常人社会に順応するべきであることを、私は忘れていました。私が向上しなければならない時にはいつも、私の両親はそれを大法の責任にするのが分かり、この事は私を大変悲しませます。しかしその事は又、私に全てを正しく行なうようにさせ、それで彼らが大法が本当に良いと分かることが出来るのです。

 今でも私は転法輪の理解が深まるにつれ、まだまだ修煉と講眞相について多くを学び続けています。私は大法の修煉を始めた理由の多くを放下しました。ボーイフレンドへの執着、哲学への興味、そして平静な心と健康な体を得たいという望みを。しかし、法の勉強を続け、同修達と交流するにつれ、私の欠点にいつも気付きます。時に真善忍に同化するよう覚えているのがとても難しいことがありますが、このような時私は内面を見、正念を発し、法の勉強をやり続ける限り乗り越えられる、ということを思い出すよう努めています。

 学校へ行く前に、静かな心で法の勉強をする為に早起きすると、人々は大法の眞相を知る為にあらゆる処からやって来るとわかります。正念をもって授業を受けに歩いて行くと、多くの中国人や西洋人学生達が私の法輪大法のボタンを見、私がどのような人間なのかと見るのが分かります。しかし、私が心の中に衆生を救う望みを持たない時は、誰もボタンの事を聞きませんし、殆んど誰も私の方を見ません。法に同化した時は、衆生を救うのがとても自然になりますが、正しい道を歩くのが困難な時は、私は大法弟子としての使命を満たすことが出来ません。悪い観念を放下するといつも、師父が私が自分で悟り、やるべきことをやるのを忍耐強く待っているのが分かります。

 私の体験が少しでもお役に立ったなら、あなたの体験も聞かせて下さるよう、望みます。そうすることは大法弟子の間で、法を証明する一つの方法であるからです。私にとって体験を語ることは、執着を見る良い方法となりました。新しい弟子として、同修達の体験は私の最も困難な試練のなかで自分の欠点を、見つけるのを助けました。私はまだ法を正す流れに追い付かなければならないと分かっています。師父が行なうよう言った三つの事をやる為に助け合い昇華し続けましょう。私自身の次元における認識が低く、皆さんの忍耐に感謝します。


 師父有難う、同修有難う。この共に過ごす瞬間を大切にし、心の中にいつも真善忍を保つことを覚えておきましょう。有難うございます。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/23/89801.html