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貴州都匀刑務所の残虐な体刑——法輪功学習者、王良均が受けた迫害(写真)

 文/貴州省法輪功学習者

 【明慧ネット2004年12月19日】王良均さんは中国貴州省農村の農民であり、法輪功の修煉を放棄しない理由で、2年間の懲役を科せられて「人間地獄」という呼ばれている貴州都匀刑務所に入れられた。そこで王良均さんは様々な残虐な体刑を受けて、出所した時に身体に傷跡が沢山残っており、足の指がまた赤くて腫上っていて、視覚と聴覚を殆ど失っています。

 以下の写真は王良均さんが2004年9月に釈放されてから一ヶ月後2004年10月30日に撮ったものである。 

 王良均さんは、今年50歳で、本籍が貴州遵義桐梓県であり、現在貴州六盤水鐘山区鳳凰郷松村平八一社区(郵便番号:55300l)に居住しており、1998年から法輪功を修煉し始めた。 

 1999年7月、江氏集団は法輪功を迫害してから、王良均さんは様々な方法で人々に法輪功の真実を説明していたことにより、2001年9月11日、遵義市で拘束されて、携帯のテープレコーダーと録音テープなどが没収されて六盤水の自宅も捜査を受けて一部家財と法輪功の書籍と煉功用の録音テープが没収された。

 2001年9月27日、王良均さんは遵義市公安警察により六盤水に送り返された。道中で警察に暴行された。また遵義市の公安警察は、王良均さんを六盤水の公安警察に渡すとき、 “しっかり片付けてあげてください”と言い残した。

 六盤水市の第一留置場で、王良均さんは警察の指図を受けた犯人たちに虐待されて、床に長時間に引き摺り回されて衣服が擦り傷だらけになった。 

 2002年8月、王良均さんは貴陽市で1ヶ月拘禁されていた。その時中秋の季節に当たって、掛け物や敷物が一切無いままで王良均さんはコンクリートの床の上で1ヶ月寝泊りを強いられていた。

 2002年8月7日、王良均さんは刑罰を下された。裁判官が刑罰を下す理由として、王良均が“法輪功は人類道徳の向上をもたらし、人の心が善に向かうことを教えている”、“法輪功に潔白を返せ!”などのスローガンを書いたことがある。裁判官はこれらの“証拠”に基づいて、王良均さんに3年間の労働教養を言い渡した。だが、正式の判決書を渡さなかった。

 2002年9月から2004年9月まで、王良均さんは都匀刑務所で拘禁されている間に残酷な虐待により、自力で身体を動かすことができず、2年間を殆ど寝たきりのままで過ごして来た。2004年9月に王良均さんは六盤水公安局の人に家に連れ戻されて、今にもずっと寝たきりのままで、耳が聞こえず、目が字を読めず、何回も何回も周りの人に “引きずり回されることが恐ろしい!恐ろしい!”“飢餓感に耐え難かった!(彼がかつて15日間食事を食べさせてくれなかった)”などのことを繰り返し話している。彼の頚の周りにまた深い傷跡が残されており、言葉を話しても声がはっきり出せないが、断続的に都匀刑務所で受けた残虐な体刑を述べている。

 都匀刑務所で監禁されている間に、王良均さんは一般服役囚の暴行を受けて(服役囚が法輪功学習者を暴行すれば、奨励され、刑期を減らされる)、頚部に深い傷ができて化膿し、医者と刑務所の服役囚らが懲罰的にハサミで化膿のところを切り裂いてアルコールを掛けた時、痛みが耐え切れなくて一時失神してしまうほどだった。

 法輪功学習者を虐待する警察の目的は法輪功の修煉を放棄させることだけである。警察は法輪功学習者を体罰する時に、いつも“懺悔書”、 法輪功の修煉をやめることの“保証書”、法輪功と決裂を表明するための“決裂書”を書くように強要した。これに対して、王良均さんはいつも“私は書かない!私は何の悪いこともしてないし、良心に反することを決してやりません!殺されても書かない!”と答えた。 

 残虐な体罰により、王良均さんは身体の傷が日に増して、足指の爪が剥がれて血が滲んでおり、身体のあっちこっちに包帯を巻いていて、自分で食事することも立つこともできなくなって、トイレに行かれないから、他の犯人によりトイレに引き摺って行かれてから、何時間もトイレに置いたままにされる。頚部の傷が少し良くなったら、犯人にガーゼを無理やりに剥がれて癒合した傷をまた引き裂けて血が流れだした。このように繰り返されて、2年間も傷口が塞がらなかった。

 生死を彷徨う日々でも、王良均さんは始終邪悪な迫害に屈服しなかった。どこに行っても法輪功の真相を伝えることを忘れなかった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/12/19/91792.html