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山東濰坊の李秀珍が済南牢屋で拷問迫害された状況(写真)

 文/山東大法弟子

 【明慧ネット2004年12月24日】山東濰坊安丘市の大法弟子李秀珍は、法輪功を修煉する前は身体が弱く、いろんな病気に罹っていた。1978年に交通事故に遭って、右脚の関節を骨折し、それ以来、ずーと頭が痛く、そのうえ胃炎、胃下垂、婦人病等の病気で長年薬を飲んできた。生もの、辛いもの、冷たいもの等も食べられなくなった。法輪功を修煉してから、李秀珍は身体が健康になり、元気はつらつとして、家族も幸せになった。

 1999年7月20日江氏集団が法輪大法を非法に弾圧してから、李秀珍は大法弟子として人々に大法の真相を伝えたため、邪悪な江氏集団の残虐な迫害を受けた。彼女は19回捕まえられたことがある。彼女に迫害を加えた部門は:鎮政府、安丘拘留所、昌楽看守所、済南女子刑務所等である。李秀珍は迫害に抗議するために累計16ヶ月絶食し、616回野蛮に鼻から食料を押し込まれ、鼻に挿入したホースは7日間抜いてくれないこともあった。屈辱的虐待も十数種受けた。口に唐辛子の粉を押し込まれて皮が剥がれ、臭い靴、靴下等を口に押し込まれたり、痰を口に吐かれたこともある。吊り上げられたまま壁に打ちつけられたり、鼻に挿入しているホースを引いたり押したりしながら苦しめられ、全身を縛り付けて椅子の下に押し込まれたり、或いは、小さい木の棒を瞼にはさんで眠らせてくれなかったり、過敏な部位が電撃され、長期間、鉄椅子に縛り付けられて禁足されるなどなどがある。

 2001年11月29日、李秀珍はもう一回連行されると、昌楽看守所に監禁され、2ヶ月後済南女子刑務所に移された。済南刑務所の迫害手段は極めて残虐で、人間性が少しもなかった。最後に李秀珍の体重は40キロまで落ちて、身体と精神に受けた迫害は極限までに達した。家族が李秀珍を迎えに行ったとき、葬式のことまで考え、刑務所の人もいつでも死ぬ可能性があると言った。

 以下は大法弟子李秀珍が済南刑務所で遭った残虐な迫害の再現である。(当事者の叙述により再現した迫害光景である)

 済南刑務所で、李秀珍は絶食の方法をもって非法監禁に抗議した。警察は5、6人の犯罪人に指示して李秀珍を押さえさせ、プロパンガス用のビニールホースを鼻から挿入して強制的に食料を注ぎ込んだ。鼻に挿入できなくなると(何回も挿入したため鼻が浮腫み化膿した)、口から挿入した。李秀珍は口をしっかり閉じると、院長はベンチで口を開けるよう指示した。悪人達はホースを引いたり挿したりし、口から抜いて鼻から挿入しながら、わざと彼女を苦しめた。このように6回もやられると鼻、口、歯ぐきなどから血が出て、血を拭くのにたくさんのペーパーを使った。注ぎ込んだのは塩水、トウモロコシの粉などであって、非常に痛かった。

 済南刑務所の悪人は李秀珍をベッドに縛り付けて手足が動かせないようにして置き、強制的にホースを挿入してそのままにした。

 済南刑務所の悪人達は、夜になると李秀珍に手錠をかけ、縄で手、足、全身を縛って板の上に置いた。上半身を板の上に置き、足は椅子に縛りつけ、腰はぶら下がるようにして置いた。李秀珍は非常に苦しい表情で、一秒一秒過ごした。その李秀珍の苦しさに絶える姿はどれほど胸をうつことか!犯人王成愛は李秀珍の腹を踏み、頭を蹴った。李秀珍は常時、殴られたので、意識不明になった。

 ある日、済南刑務所の課長胡×、李所長、方隊長三人が禁足室に入ってきた。李秀珍は彼女達に大法の真相を伝えようとしたが、彼らは耳をかそうとしなかった。胡課長は:「ちょっと待って、あなたの次元がどれぐらい高いのかを試してみよう。」と言いながら、電気棒で李秀珍を電撃し、手、顔、口、耳にも暴力を加えた。電撃しながら「叫べば叫ぶほどもっと電撃する」と言った。李秀珍は疲れて声が出なくなくなると、「叫びなさい、叫ばないともっと電撃する」言った。

 ある日、済南刑務所の悪人達は李秀珍を外に連れ出した。たくさんの人が出勤しているのを見て、李秀珍が「法輪大法は素晴らしい」と大きい声で言った。李所長は大声で悪口をいい、孫という悪警察は腹を立てたあまり、とても怖い顔をして電気棒で李秀珍を酷く電撃した。

 ある日、李秀珍は済南刑務所の胡所長、李隊長、徐区長が大法弟子を電撃するのを制止した。すると彼らは李秀珍の部屋に駆けてきて、大きな声で悪口を言いながら「まずお前を片付ける」と言った。それから警棒で殴り、電気棒で電撃し、耳まで電撃したので、頭がぼあんとした。事後、李秀珍の首のまわりは鬱血した。

 済南刑務所の悪人達は、李秀珍が煉功したため、彼女を毎日5、6回酷く殴り、昼は、鉄椅子に縛り付けて置いた。

 時には彼女をきつく縛り付けて、椅子の下に置いた。当時、李秀珍はやせて体重は40キロしか残っていなかった。

 済南刑務所の悪人達は李秀珍に強制に食料を押し込んだ後、時にはコチジャンを李秀珍の口に入れて、ガムテープで口を密封した。李秀珍は辛くて涙を流し、口の中はまめがいっぱいでき、皮まで一層剥かれ、唇から首まで真っ赤になり、痛くて触れなくなった。李秀珍は毎日「法輪大法は素晴らしい」と大きい声で言った。彼らはテープで李秀珍の口を密封し、禁足室に入れて、誰にも接触させずに、手先の犯人だけが外で当番をしていた。

 ある日、上司が検査しに来ると言われたので、済南刑務所の悪人達は李秀珍に無理やり囚人服を着せた。李秀珍が断ると、彼ら8人が彼女を床に押さえ、頭を足で踏み、両手、両足に人がのしかかり、蹴ったり踏んだりした。李秀珍は大きい声で「法輪大法は素晴らしい」と言った。すると、彼らはもっと酷く、臭い靴下、臭い靴などで李秀珍の口を塞ぎ、強制的に囚人服を着せた。

 ある日の午前9時頃、済南刑務所の5、6の悪人が李秀珍を外に連れ出して写真を撮り、その写真を展覧に使うと言った。李秀珍は彼らのすることに反対し、大きい声で「法輪大法は素晴らしい」と言った。彼らは全力で彼女を殴り、更に酷い人は李秀珍の口を開けて、中に痰を吐きながら李秀珍を侮辱した。犯人李秀英と邢素雲は李秀珍を「飛行機」に乗せた。それは、李秀珍の身体を水平に空中でささえて、頭を壁に打ち付けたのだ。1回、2回、…、李秀珍は意識不明になった。

 済南刑務所の悪人達は連続して28日間、眠らせてくれなかったことがある。李秀珍が目をあけられなくなると、人間性が完全になくなった悪人達は、テープで目のまわりの皮膚を引っ張り、更に小さい木の棒で瞼を支えた。

 山東済南女子刑務所の一部の悪警察達の名前:
王晶、馬霞、劉頴、竇群峰、常宝佳、劉傑、韓媛媛、劉暁屹、朱淑珍、丁伝風、邢素貞、張益徳。

 一部の悪人の名前:
史亜娟、馬秀娟、高丕美、張永麗、張妮、蘇自然、馬樹彩、劉愛華、田英、梁小平、張祥芹。

 山東女子刑務所の住所:済南市工業南区、山東省済南女子監獄。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/12/24/92091.html