日本明慧


オーストラリア法輪功学習者のタンザニアの旅(二)

 文/オーストラリア法輪功学習者エミ

 【明慧ネット2004年12月15日】わたしは記者との付き合いも深くなりました。ある記者を介し、ドイツの建国記念日のレセプションに招かれ、各国の高級官僚に紹介してもらいました。このチャンスを逃すことなく真相を伝えました。すると、官僚らは中国大使館から、多くの大法を誹謗する文章をもらったと明かしました。また、大使館に勤務している人は、誹謗の文章の中の激しい憎しみの表れがとても恐ろしく、こんなに酷い言葉を使うなど信じられないと話しました。このレセブションを通じて、迫害の真実を多く知ってもらいましたので、今度はわたしたちからの面談を、喜んで受けてくれるという意思表示もありました。

 翌日、この記者は中国大使館に、ヨーロッバの官僚らがこのような文章に対し、意見を述べており、文章に指摘された問題の所在は、法輪功にあるのではなく、中国政府に関わっているものであるということも示しました。中国大使館は、法輪功活動を規制する担当者を急いで派遣し、記者を欺こうとしました。しかし、記者に「なぜ法輪功を規制するのですか?よく説明してください」と質問され、この担当者は一言も返すことができなくなりました。

 こんなに簡単な質問を提出した人は、いなかったのでしょうが、純朴な現地の人に、単純明快な思考をもって突っ込まれたのです。その後、中国大使館による誹謗の報道も毎週ごとに出されましたが、世界各地の法輪功学習者から真実を明かすためにと、新聞社に多くの手紙が寄せられており、これらの手紙についても、そのまま掲載してもらいました。ついに、誹謗の報道もすっかりなくなりました。

 ダンザニアは多くのアフリカ国家のように貧しい国です。ここでの人々は、ただ御飯が食べられるように頑張っており、求めていることも、ただ家族全員が飢えないというようなことだけです。煉功場にやってきた人々の最初の考えは、功法を学ぶことによって、儲けようとするようなことでした。ある記者がこう言ったことがあります。「御飯さえ食べられないのに、煉功なんて考えられますか?」

 しかし、彼らの人生の中でずっと待ち望んでいるのは、大法を得ることでこの苦しい世間を離脱するということなのかもしれません。わたしたちは、縁のある人々に大法の素晴らしさを共に味わってもらいたく、一緒に煉功を楽しんでもらいたいと考えています。彼らは大法のパワーを体験した後、皆がこう話しました。「法輪大法が大好きで、あなた方はわたしたち人生の中に、最も貴重なものをもたらしました。法輪大法は黄金やダイヤモンドより貴重なものです」。

 永遠に続く貧乏と失望から希望を見出し、生命の真理である返本帰真ということを知ることができました。キリスト教、イスラム教、ヒンズー教などの異なる宗教の教徒たちが大法の下に集い、和気藹々と煉功している場面を見る度、師父の偉大さと慈悲に心から感銘を受けました。

 わたしの真相を知らせるために奔走するという過程は、既に師父によって全て段取りされているのではないかと思います。そのおかげで、いつも周りから手を貸してくれる人がたくさんいました。あるインド人が、自分の知っているお寺に、もう一つの煉功場を設けるという案を持ってきました。こうして、功法を教えに行った際、住職に自分の弟子を紹介してもらいました。法輪功のことを説明しながら、中国における迫害についても伝えました。

 あるインド商人は真実について知ると、とても感動し、わたしを彼の事務所へと招きました。そして、彼の知っているインド人を全て紹介してくれました。まさにこれも一つのチャンスとなるものだと思います。なぜならば、ダンサニアでは、インド商人は商売の達人であるというのが周知のことだからです。その紹介してもらったインド人の中の二人が、テレビ局の責任者であることが分かりました。そして、この責任者の一人が、毎日一時間のテレビ番組として、師父の功法教習ビデオや法輪功の情報についても放送することを提供してくれました。もう一人の責任者も、毎日2回ずつ一時間、法輪功のことを放送してくれました。

 町の人々は、わたしたちのことを“法輪大法”と呼びながら、法輪椿法の抱輪の動作で合図をしてくれました。大法の煉功場は素敵で美しい場所となりました。タクシーの乗務員から、「ラジオの功法教習に現地の言葉を使って欲しい、そうすれば運転中でも学べる」という要望が寄せられてきました。また、チラシを受け取ってくれた人々は、テレビで既に法輪功のことを知っており、中国での迫害に対して、とてもおかしいと話していました。テレビの力が発揮され、津々浦々に知れ渡るようになりました。このように、大法の広がりの勢いを見ると、大法の繁盛の期が到来してきたように見えました。

 2回の記者会見に引き続き、今度は大法を学術界や政界にも紹介したいと考えました。第1回目のフォーラムでは、人権に関する問題を論じ、ダルエスサラーム大学で行いました。オーストラリアの学習者である、梁大衛さんと封莉莉さんが自分の経歴を述べ、続いて科学的見地から大法の病気治療の効果に対する分析と証明を発表しました。2回のフォーラムには地元の人々が大勢参加し、社会的地位のある人々もいました。この一連の法輪功ブームで、インド大使館から真相を知りたいという連絡が入ってきました。社交界もわたしたちの存在に注目をしました。ある地元の人は、友人が政府の情報官員であり、この友人の話によると、政府は賞賛という立場から、わたしたちのことを評価しているということを話してくれました。

 人権に関するフォーラムを通じて、参加者に法輪功迫害の真相をたくさん知ってもらいました。ダルエスサラーム大学の学生は、フォーラムで法輪功を支持する議案を提出しており、この議案が認められて新聞にも掲載されました。この議案は世界各地の人権団体や組織へと通知することになりました。これに衝撃を受けた中国大使は、直ちに自ら大学の学長に接触し、3時間も掛け学生を説得しようとしました。

 学生は、「あなたの言い分には、法輪功側との違いがあります。弁論会を開き双方で論じましょうか?」と返答をしました。しかし、大使はこの提案を拒否し、「法輪功問題は中国で取るに足りない問題なのでわざわざ論ずる必要がない」と言い逃れました。学生は即座に、「あなたは、一国の大使の身分をもって、私たちに法輪功に対する支持を放棄するよう、くどくどと説得しましたが、あなたのこのような行為と言い分は相当曖昧なのではないでしょうか?」と切り返えされました。大使は返す言葉も無く、黙ってその場を立ち去りました。

 わたしは以上のことを知り、彼らの強い正義感をもって真理を支えるということに対して、とても感動しました。また、大使には深く反省してほしく、また自身の将来を良いところへと導くことができるよう祈っています。

* 政府の反響

 このように順調に活動することができるという中で、もう一度政府に呼びかける必要があるとは思いました。思いつくままに、総理大臣への連絡を取ってみました。驚くことに、総理は面会を許可され、人々に支持されている、法輪功のことに関して知りたいと言われました。わたしは地元の人々の煉功体験談を渡しており、法輪功はかつての中国と同じように、ダンサニアにも数億以上の医療費用を節約することができるということも伝えました。封莉莉さんの報告では、法輪功によりダンサニアを疾病から切り離すことができると科学的に証明していました。これは全て大法の威力であるのです。総理は真相という迫害の真実をよく聞き入れてくれました。そして、現在の法輪功の状況は理解しており、遠方よりダンサニアに大法をもたらしてくれたことに対し、感謝していると表明しました。更に、政府側への法輪功の広がりにも、力を貸してくれると了承してもらいました。

* 泥棒の懺悔

 あるエピソードで、大法の“真・善・忍”が表れた。

 ダンサニアの2日、学習者と一緒にタクシーに乗りました。わたしは後部座席の真ん中に座り、たくさんの資料と法を広めるための多額の費用を持っていました。突然、一人の20歳代の男性が、車のドアを開けわたしのカバンを奪い取りました。運転者は驚愕していましたが、わたしは慌ててこの男性を追いかけて行きました。飛び出しながら、周りの人々の助けを呼びかけ、その時大法のための大切なお金を必ず取り戻すということだけを考えていました。走りに走りいつのまにか周りに大勢の人々が、付いてきましたので、誰が犯人であるか迷ってしまうぐらいでした。

 そのひったくりは警察に逮捕され、わたしも一緒に警察に行きました。到着した時には、既に多くの記者が集まっているのを見て、こちらがマスコミ関係者を探そうとしていたのに、かえって集まって来てくれていると思いました。偉大なる師父は既に一切のことを段取りされていると感嘆しました。自分の全ての執着を放下できれば、遣り遂げられないことはないのではないでしょうか。ですから、このチャンスを逃さず警察署という場を借りて、記者会見を開き、わたしたちの目的を伝える場としました。帰る途中では、絶えず人々からたくさんの励ましをもらいました。

 翌日、再び警察署に行きました。ひったくりの男性は、まだ自分の犯行を認めず、言い訳ばかりを言っていました。わたしは起訴をすることはせず、彼に向かって、「起訴はしません。わたしは“真・善・忍”を修煉しています。人間として人を騙すことはいけないと思います。あなたは窃盗を犯した上に、嘘もつくなど本当にいけないことです。しかし、誰もが過ちを犯すものです。勇気をもってやり直すべきです」と言いました。すると、彼の表情が変わってきました。彼は自分の犯行を認めました。警官らが不思議に思い、寄って来ました。

 そのぼろぼろに、やつれた様子を見て、支援すべきがあると感じました。「あなたが奪い取ろうとしたお金は、ダンサニアの人々のためのお金です。ですから、自分の犯した罪を反省してください。これから、常に“真・善・忍”を忘れず立派な人間になってください」と付け加えました。彼はうっすらと涙を浮かべ、隣の婦人警官の目にも涙がありました。そして、その婦人警官は彼に農場の仕事を斡旋してあげようとし、彼もすぐこの仕事を引き受けました。わたしが警察署から出てくると、彼が後ろから追いかけてきて、「永遠に“真・善・忍”を覚えると同時に、農場の人々にも“真・善・忍”の真理をもたらします」と言いました。

 新聞は以上のことをこのように掲載しました。「このエピソードは、私にとってもとても意義のあることです。法輪功はいったい何なのでしょうか?そのエミーという名の女性の素晴しい人柄を見るにつけ、この問題に対して、考えるようになりました。彼女は法輪功の第1準則である“真”をもって罪を犯した彼を示唆し、同時に第2準則の“善”をもって彼を許しました。そして、婦人警察は“善”と“忍”を実践し、彼を罪の闇から救い出しました」。

* 感想

 師尊の《洪吟(二)》の中の“無阻”という詩を用いて、わたしの東アフリカの旅についての感想を表したいと思います。


                          修煉路不同
                          都在大法中
                          万事无執着
                          脚下路自通

 アフリカの2ヵ月はあっという間に過ぎました。全てこのように順調であり、全てこのように自然でした。師父は、わたしたちを見守り、導かれており、その中でいかに自分の修煉の道をしっかりと歩むことができるかが、わたしたちにとって最も重要なことです。法に対して責任を全うし、社会であろうと、人々であろうと、自分であろうと、全て同然なことです。

 本当のところ、わたしたちは僅かなことにも役立たず、やろうとしても取るに足りないのです。ただ修煉の中で、自分の一念をできるかぎり、法に符合するようにするだけなのです。法は全てを創ってくれており、師父は全てを段取りしてくれました。真相を伝える際には、正念を強くし、心を正すといったことができるならば、大法の智慧と威力は、真相を伝える過程において、現れてくるものであると悟りました。

 真相を伝える中に、困難な壁にぶつかることがたくさんありますが、もし常人のような方法で対処すれば、困難を乗り越えることは不可能なことです。しかし、師父のおっしゃった通りに、法を正すということは、誰にも破壊することのできないものです。怖れる心を無くし、ひたすら全ての執着を放下し、自分が誓ったことを実現することに、集中するのであれば、佛法の慈悲は必ず現れ、必ず人々は救い済度されることでしょう。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/12/15/91482.html