日本明慧


遼寧省と広東省で三人の大法学員の方が迫害され、冤罪を晴らせないまま死亡した

 【明慧ネット2005年1月30日】

● 遼寧省朝陽市の大法学員於利業さんは、2002年冤罪を晴らせないまま死亡した。
● 広東省梅州の大法学員鐘友蘭さんは、2003年冤罪を晴らせないまま死亡した。
● 広東省梅州の大法学員曾環珍さんは、2004年迫害されて死亡した。

 遼寧省朝陽市の大法学員於利業さんは2002年冤罪を晴らせないまま死亡した

 於利業さんは69才の男性で、遼寧省地礦局第三地質隊を定年退職した労働者でした。1996年に法を得た後、彼は雨の日も風の日も毎日テープ・レコーダーを持って公園に行きました。そのうち、白髪が黒髪に変わりました。1999年7・20以後、老人は身心共に傷付つき、2001年5月に、陳情の為北京へ行きました。しかし捕まえられて、強制送還となり、そのまま朝陽市十家子に身柄を拘束され1000元強要されてから家に帰りました。警察は於利業さんが家に帰った途端、彼の生活を毎日かき乱しました。家族は政府のうそと脅しの下で彼の讀法と煉功に強く干渉しました。まもなく、彼は、以前の病気が再発し、新に別の病気も発病して、2002年5月13日亡くなりました。

 広東省梅州大法学員鐘友蘭さんは2003年冤罪を晴らせないまま死亡した

 鐘友蘭さんは、60才過ぎの女性で、広東省梅州市の人でした。彼女は2001年北京へ陳情に行きました。しかし、拉致され梅州の刑務所に入れられると、残酷な拷問を受け、その後、不法に一年の強制労働を言い渡たされました。彼女は長期の労働、拘禁で、精神と肉体を苦しめられ、常に意識がもうろうとしていました。2003年に、鐘友蘭さんは生活を610オフィスによって乱され冤罪を晴らせないまま死亡した。

 広東省梅州の大法学員曾環珍さんは2004年迫害され死亡した

 曾環珍さんは、50才過ぎの女性で、広東省梅州市輔廷路の大法学員でした。2000年9月、真相資料を伝えた為に三水労働教養所へ送られ、2年の不法強制労働を命じられました。その後、二回にわたり、不法な洗脳で迫害されました。釈放された後、彼女は学習者と交流し間違った考えに気づき、2004年7月に再び真相を伝えに行きました。警察はたびたび彼女の生活をかき乱しました。そして、2004年12月8日に迫害され死亡しました。



(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/1/30/94491.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/2/3/57145.html