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湖南常徳津市の盧永珍、章陵武さんが迫害により死亡

 文/湖南大法弟子

 【明慧ネット2005年1月28日】

 湖南常徳津市盧永珍さんが2004年10月迫害により死亡

 湖南常徳津市ペンキ工場の盧永珍さんは63歳の女子大法弟子で、2回北京へ陳情しに行き、数回連行されて酷く殴られたので、手に傷がたくさん残っていた。2回非法に労働教養され、2004年10月迫害により死亡した。

 2000年2月25日、初めて北京へ陳情しに行ったが、非法に留置されて酷く殴られ、9ヶ月以上監禁された。2000年12月27日再び北京へ陳情しに行ったが、途中で捕らえられて津市に連行されて来た。その夜、看守所で公安の悪人に6時間縛られて酷く殴られた。警察は足で彼女の頭を踏みにじり、縄で手を縛ったので、その傷はずっとはっきり残っていた。

 2001年3月25日、警察は盧永珍さんら16人の法輪功学習者を他の刑事犯と一緒にトラックに乗せると、胸に「社会治安妨害者」という看板を掛けさせて、11台のパトカーが街を回りながら彼らを侮辱した。4月2日盧永珍さんは非法に一年の労働教養の判決を言い渡され、湖南株洲白馬壟労働教養所に送られた。

 2003年3月26日夜、盧永珍さんはまた公安に非法にとらえられ、強制に連行されて1ヶ月監禁された。さらに、6月7日盧永珍さんは公安に連行された。公安の周仁定、雷民主、羅丕傑らは気が狂ったかのように盧永珍さんを迫害し、2003年7月から彼女に一年半の労働教養をさせた。彼女の年齢は62歳だし、血圧も200だから、労働教養所は受け入れなかった。それで仕方がなく津市に戻されて来た。

 しかし、邪悪な公安は彼女を釈放せず、拘留所で監禁し、12月28日所謂生活費を1000元(約15,000円)ゆすってから釈放した。盧永珍さんの頭は酷く殴られて外傷を受けた。半年後、彼女が受けた迫害が公にされると、卿陽街の役所は彼女を呼びだし、外で何を言い、なぜインターネットで彼女のことが載せられているのかとなじった。盧永珍さんは彼らに「あなた達が私を殴っている時、大勢の人が見ていたでしょう」と答えた。

 盧永珍さんは、ずっと騒乱され、2004年10月8日に無実の罪が晴れずに死亡した。


 湖南常徳津市章陵武さんが2005年1月に迫害により死亡した

 湖南常徳津市ある電器屋で働いている大法弟子章陵武さんは、2004年2月25日に公安に非法にとれえられ、強制的に連行されて、2005年1月4日迫害により死亡した。

 章陵武さんは60歳の女性である。2004年2月25日非法にとらえられると、強制的に公安に連行された。その夜、酷く迫害され、しかも非法に一年半の労働教養を言い渡された。健康問題で労働教養所が受け入れないため地元に送りかえされた。絶食により抗議をすると、始めて釈放されたが、2005年1月4日迫害により死亡した。

 1999年7月から法輪功が非法に迫害されてから、約百人が「洗脳班」、「社会治安妨害」など理由で非法に拘留所、看守所、労働教養所、労働改造キャンパスなどに監禁された。一番年配の人は煉功する前は、ずっと薬にたよって生活してきた80歳以上の林伯であり、一番若い人は15歳の未成年者である。その中の数人は、何回も非法に監禁されて残虐に拷問されたことがある。彼らの親戚と友人までも騙されたり、脅迫されたり、精神的に打撃を受けた。彼らが監禁されているうちに、死亡した親戚もいれば、毎日心配しどうしで病気に罹った人もいる。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/1/22/93982.html