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黒龍江省の大法弟子、高喜珍さんが迫害され死亡

文/黒龍江省大法弟子

 【明慧ネット2005年2月5日】高喜珍さん、女性、65歳。住まいは黒龍江省虎林市東方紅林業局にあります。98年に大法に出会って以来、法に従い、善い人として身を持するようにしていました。江沢民集団の弾圧の下でも、彼女は世の人々を救い済度するために真相を伝え続けました。2000年10月、彼女は陳情のため北京へ出かけた際、地元の悪警察官に逮捕され、連れ戻され二ヶ月近く不法に監禁されました。2001年12月、彼女は自宅で悪警察官によって拉致され、警察の常亜軍、於占海らにひどく殴打されました。更に鉄の椅子に縛られ一晩中そのまま放置されました。2003年10月、彼女は法輪功の真相資料を屋外の人目のつく場所に貼り付けているところを、悪人に通報され警察官にひどく殴られ脳出血になりました。その後、彼女は度々こん睡状態に陥り、記憶喪失を起こしました。2005年1月23日の午後、彼女は再び気を失い倒れました。その晩の11時に冤罪が晴れないまま世を去りました。これは正に邪悪政権が引き起こしたまた一つの累々たる血生臭い罪悪なのです。

 以下は、大法弟子の高喜珍さんがこの数年間に受けた迫害の真相です。

 高喜珍さん、女性、65歳。黒龍江省虎林市東方紅林業局に住まいがあります。98年に大法に出会ってから全ての持病がいつの間にか無くなりました。

 高喜珍さんは大法の法理に従って、自己を厳しく律し、法を学び、心を修め、いつでもどこでも修煉者としてあるべき基準に従って、他人を思いやり、善い人になるように身を持してきました。一度、彼女は道を往来する人々に非常に不便をもたらす大きな水溜りがあることに気づきました。彼女はその水溜りを無くすために、車で石炭灰と土を運び、息子と共にその水溜りを埋めて平な道に戻しました。人々は彼女達に対して、「本当に良い人ですね」と感心してため息をつきました。穏やかで親しみやすい高さんは人を助けることが好きで、いつも他人のことを思いやる姿が特に近所の人たちから尊敬されています。

 99年7月20日、残酷な弾圧が始まりました。高さんはこのような良い気功が何故禁じられたのか分かりませんでした。真善忍を信仰する善い人はどこに非があるのでしょうか?と思いました。2000年10月、彼女は万難を排し、政府に対して自分は煉功してから心身ともに恩恵を受け健康になったことを話し大法は潔白であることを理解してもらうために、北京へ出かけました。しかし、彼女は天安門の前で逮捕され、地元の公安に不法に連れ戻され、二ヶ月近く監禁された上、罰金を取られました。

 2001年12月、地元の公安局政保科の悪警察官は自ら法を犯し、彼女が昼の休憩時に彼女の自宅に突入し、大法の書籍、師父の写真を差し押さえ、再び彼女を逮捕し公安局へ連行しました。悪警察官の常亜軍、於占海は彼女をひどく殴打した上、彼女を鉄の椅子に縛り一晩中そのまま放置しました。彼女は絶食をもって抗議しましたが、苦しめられ続けました。彼女の命が危険にさらされた時にようやく解放されました。

 2003年10月、高喜珍さんは屋外の人目のつく場所に法輪功の真相資料を貼り付けているところを、悪人に通報されました。彼女は悪警察官にひどく殴られ脳出血になり、意識不明になりました。人間性のかけらもない悪警察官は彼女を緊急救命のために病院へ運ぶのではなく、彼女の自宅へ向かいました。悪警察官杜海、常亜軍、於占海、邱長城らは植物人間状態になった高喜珍さんを部屋に引きずり連れ込んでから、再び大法書籍を没収しました。彼女の息子が生活費として渡した一千元余りのお金も悪警察官に奪い取られました。その後、家族は彼女を病院へ運びました。しかし、昏睡状態は何日も続きました。病院のレントゲン写真で高さんの脳にはあちこち血の塊が見えました。このような事件は裁判所にも受理してもらえないし、家族は施すすべがありませんでした。高さんはそれ以来、記憶喪失に陥り、突然意識不明になり倒れることがしばしばありました。2005年1月23日の午後、彼女は意識不明になったまま、夜の11時に冤罪が晴れないままこの世を去りました。

(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2005/2/5/94884.html