日本明慧


上海監獄当局が弁護士と瞿延来さんとの面会を(90日間)拒絶することについての評論
—中国の弁護士は百人に一人も職務を履行できない

 文/郭国汀

 【明慧ネット2005年2月9日】(外界の評論)私(弁護士)の高貴な当事者である法輪功学習者の瞿延来さんは、2000年に上海交通大学エネルギー工事科を卒業した。聡明で勉学に勤しみ、品行と学力ともに優れ、かつては全国化学オリンピック試験の特等賞、そして数学オリンピックの一等賞を受賞した。1999年7月20日に潮流に反して法輪功を修煉し始め、真善忍の基準で自分を要求する道徳観の高尚な人になり、同級生のために無償で献血し、自分が食費を切り詰めて節約した4千元、服装類および布団等をすべて貧困な学生に寄付した。常に他人のために事物をはかり、他人を熱心に幇助してきた。彼は先生および学生が公認する品行と学力の共に優れた良い人である。しかしながら、これほど傑出した名門学校の優等生が、ただ自分の信仰のために密かに拉致され、刑を処せられ、そしてほとんどすべての人権を剥奪されるに至ったのである。そのため、彼は絶食の方法を通して、その最も貴い生命を代価として信仰の自由の権利を擁護し、人格の尊厳および基本的人権を守ってきた。

 2002年9月30日の真夜中、瞿延来さんは上海市某派出所に拉致され、同年の10月2日に刑事拘留され、11月2日に逮捕された。2003年6月2日に普陀区の法廷で審理され、そして当日に「瞿延来は邪教組織を利用して法律の実施を破壊する罪のため、五年の懲役に処する」という普陀法廷の第324号刑事判決が言い渡された。拉致されてから判決が発効されるまでの間に、その親族はいかなる通知をも受けていない!愛しい子供が失踪してから、親族は各地を探して全部で十数万元も使ったがなんの結果もなく、2003年7月2日になって上海から郵送されてきた判決書を受けて初めてその事実を知らされた。

 彼の母は上告申立書の中で次のように述べた。「わが子瞿延来が不法に5年の懲役を言い渡されるのを聞きましたが、彼は今どこにいますか?私たちに通知する人もなく、愛しい子と再会するため、私は2003年8月の酷暑の中、上海に来て、法廷に電話をして息子の居場所を尋ねました。しかし裁判官は「まだ電話する勇気があるのか?お前を監視して逮捕するぞ!彼はとっくに郷里に帰った!」といいました。身をもって経験するのでなければ、私は決して裁判官として、随意に誰かを監視し、誰かを逮捕するなどの話を言い出すことを信じることができません。誰が彼女にこのような権力を与えたのですか!どうするすべもなく、私は自ら法廷に尋ねに行きました。そこの某裁判官は非常に機嫌悪そうに「普陀区の看守所にいる、もう俺に聞きに来るな!」と言いました。私はそれから普陀区看守所に行きましたが、ある警察に「青浦監獄にいる」と言われました。そしてタクシーで青浦監獄に行き、昼の間ずっと待ちましたが、入り口の守衛係に「ここにそんな人はいない」といわれました。これらの裁判官、警察たちの冷酷無情さ、そしてその無関心さがあまりにもひどすぎるのではありませんか?」

 「私が再び普陀区看守所に電話をすると、『青浦監獄にいる』という答えでした!私はその瞬間にこの上のない怒りを覚えたのです!私の息子は一体どこですか?なぜ法廷も、看守所の人たちも彼の居場所を隠すのですか?なぜ親族に彼の居場所を知られるのを恐れるのですか?一人の母として、私は胸を刺されるような思いで、泣くに涙が出ません。息子はわけもなく拉致され、冤罪にされたのに、母として彼の居場所を知る権利すら剥奪されたのです。“人民のための裁判官”、“人民のための警察”はまたこの60近くの東北地方から来たおばあさんを走りまわさせ、私はどこに息子を探しにいくべきでしょうか?最後に裁判官事務室から、提籃橋監獄に監禁されていることを知らされたのです。私はまた提籃橋監獄に駆けつけて、一年ぶりに、各種の妨害を経て、やっと母と子が再会することができました。私たちが抱き合って泣いているのを見て、その場にいる警察も涙を流したのです」。専制政権の下にある代弁者のメディア、ラジオ、新聞、雑誌が長期にわたって毎日文革再来かのように法輪功を謗り、罪に陥れる宣伝は、多数の愚民政策に愚弄された民衆に法輪功に対してわけのわからない憎しみを抱かせることに成功し、その心理を変態させひいては人間性まで失わせたのである。

 瞿延来さんは彼に対する不公平な判決に抗議するため、自分が憲法によって保護されている信仰の自由の権利を擁護するため、そして自分の人格の尊厳および基本的な人権を守るため、780日の人類史上で最も長期にわたり、そして最も偉大な絶食の抗議を行った!その間に何度も虐待され、野蛮な灌食によって四度もひどい胃の出血が起こり、病院に送られ4ヶ月も入院し、何度も危篤状態に陥った。彼の両親は何度も遥遥千里も離れた北の国の大慶から上海の提籃橋監獄にきて、大事な息子に食事をしはじめるように説得した。その高齢になる両親が彼のために苦しむのを見るに忍びず、最初、彼は食事をしはじめることに同意したが、監獄方がどうしても監獄内での煉功を許さないため、この非凡な意志の持ち主である真善忍の修煉者は自分の正当で合法的な権利を擁護するため絶食を続けた。そして母が彼にすでに本当の弁護士が彼のために弁護することを告げてから(元の法廷は彼にある弁護士を指定したが、法廷で瞿延来さんに当該弁護士が彼の弁護人になることに同意するのかを尋ねたところ、瞿延来さんは回答を拒絶した。なぜなら当該弁護士は彼のために弁護することを拒絶したためでる。彼は法廷におけるすべての控訴人に対する審問を拒絶し続け、今日に至るまで決して自分の罪を認めようとしなかった)、彼は始めてこの偉大な抗争を停止した。彼は私という弁護士にどれほどの期待を寄せたのだろうか!

 法律は弁護士が拘禁中の当事者と面会する権利があり、監獄方は必ず48時間以内に弁護士と面会させるように処置しなければならないと規定している。しかしながら、103680時間が過ぎ去り、四回にわたって面会を申請した末に、監獄方は公然と法律に違反して弁護士との面会を拒絶したのである!真善忍を修煉し、宣伝することが有罪であるかどうかは別として、法輪功学習者は公民として、最も基本的な平等の権利を享有している。瞿延来さんが真善忍を信仰してなんの罪があるのか?なぜこんな苦しみに遭わなければならないのか!弁護士と面会する権利さえも不法に長期的に剥奪されるのか?!道義はこのような司法の横行を許容できるものか!

 今日は2005年の大晦日の日だ。遠く離れた北国にいる母はこの三ヶ月間の間に私に二度も電話をかけてきて、ただ弁護士の安否を心配しているだけで、彼女の愛しい息子の事案の情況については全く触れなかった。これはまたどれほどの心遣いと寛容だろうか!私は当事者のこれ以上のない重みのある期待を無にした弁護士として、もう他の術がなく、この中国の最先端をいく国際化した大都市の上海の真実の情況を衆人に公表するしかない。当局が法律を尊重せず、法治の結果を破壊することは極めて厳重である。このような思うがままに法律を執行する社会に何の安定があるだろうか?!このように法律をないがしろにする上海には何の法治があろうか?!これほど人権を蹂躙する上海には、どこに国際化の大都市と名乗る面目があろうか!?正に(注1)高智晟弁護士が指摘したように、「国家の既存の規則をないも同然とするその悪列な心構えで、非合法的で法治に反する悪行をするときに却って法律の名義を名乗り、司法体制全体が法律、人間性および尊厳に対してこれほど無関心で、これほど無責任に随意に対処するとは!」これでは公民の法律意識を無にすることになる!右に鑑みて、どうか当局は上海を司法の砂漠、荒れ野に変えないでください!瞿延来さんと面会するために弁護士はどうしても中国司法部張福森部長の許可が必要とでもいうのか!(五回目は全国人民代表大会常務委員会の委員長/中国司法部部長/国家監獄管理総局局長に申請を提出し、第六回目の申請は?国連に提出するしかないのか?)

上海市天易弁護士事務所
郭国汀弁護士
2005年2月8日

翻訳者より注1:高智晟弁護士:中国の弁護士のベストテンに入り、中国の数多くの重大事件を代理し、これまでに三分の一の事案は社会下位層の民衆のために無料で訴訟を起こし、勝訴に至らせる著名な弁護士である。中国で初めて法輪功学習者の弁護士として全国人民代表大会に手紙を送り、法輪功学習者に対して行われる不法な諸措置および諸問題を問いだした第一人者である。(大紀元ネットでその詳細な内容が記述され、また高智晟弁護士が上書することを声援するサイトも設置されている)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/9/95181.html