日本明慧


私は、大法が迫害されている時、どうして家に逃げ込んでいられようか

 文/石家庄法輪大法弟子

 【明慧ネット2005年2月11日】私は1998年5月に法輪大法を得ました。ある日、私は病院へ注射をしてもらいに行った時、縁があって、何年かぶりにむかしの同僚(法輪大法弟子)と出会いました。「何をしにいくの。」と彼女に聞かれたので、「病院へ病気を見てもらいに行くの。」と答えました。すると、彼女がすぐに「私の家へこない?」と誘ってくれたので、彼女の家へ行きました。彼女の家に着くと、何も言わずに、『中国法輪功』という本を見せてくれました。「もし、この本を読み続けられたら、次に、『転法輪』を読んでみて。そのうち、病院に行かなくて良くなるよ。あなたの病気はよくなるよ。」と彼女に言われました。当時、私は彼女が話したことをあまり信じていませんでしたが、そのまま、本を持って帰りました。

 家に帰って荷物を置くなり、その本を読み始め、一気に読み終わりました。「何の本を読んでいるの。そんなに夢中になって、食事もしないで・・・」と家の者にいわれました。その日の夜に、煉功する所を探しに行きましたが、見つかりませんでした。翌日の朝、もう一度探しに行って、見つけました。ジーッと立って様子を見ていると、私のことを見つけた、補導員が声をかけてくれました。私は、「習いたいのですか?」と問いかけられたので、うなずきました。すると、その補導員は私に煉功の動作を教えてくれ、夜になると、煉功する所へ行って法輪大法の本も勉強することになりました。それ以来、私は修煉の道を歩んできました。毎日、煉功する所で煉功し、法の勉強もしに行きました。3日目になると、師父は私の業を消し始めてくれました。最初、業が消えると、とても辛くなり、足も腫れたので、本当に煉功する場所へ行きたくなくなりましたが、他の学習者の助けで、ちょっと我慢して行きました。煉功する場所に着くと、何のこともなく、辛さが全部消えてしまいました。当時、この功法は本当に素晴らしい、私に元気を出してくれたと思いました。それ以来、私は元気いっぱいになって、体に力が満ち溢れ、いくら作業をやっても、いくら遠い所へ歩いて行っても、全く疲れを感じないようになりました。煉功をする前は、高血がたかく、よく頭が痛くなって、ふらふらし、全然元気がなくて、毎日薬を飲んでいても、辛さは消えませんでした。煉功を始めてから、もう6年経ちましたが、薬を一錠も飲んだことがありません。体がとても健康で、病気がない時の気持ちがよく分かりました。自分が本当にラッキーだなあと思いました。以前は、視力が悪くて、よく眼鏡をかけていましたが、煉功してから、眼鏡も要らないし、服を作る時、針に糸を通す時も簡単にできるようになりました。

 こんな素晴らしい気功:人に一番いい人になるように教えてくれて、身体にもいい、国と人民に対して、百利があり、一害もありません。しかし、中国の邪悪の頭である江沢民がそれを見ても見えないふりをして、理性を失い、狂気じみた非合法さで法輪大法を迫害しています。この5年の間に、でっち上げ事件、誹謗中傷、酷刑等によって、千人以上の、よい人である法輪大法弟子が、迫害を受けなくなりました。

 1999年7月20日、私達は煉功している時に、邪悪集団が法輪大法弟子を逮捕し始めたことを聞くと、すぐ省政府・市政府へ行って、道理をわきまえるようにいいました。省・市政府の人がすることは、道理がとおらず、私達を追い出しました。「陳情したいなら、北京へ行きなさい。これは上の命令だ」と言われました。当時、私達は北京へ車で行こうとしましたが、途中、警察の尋問が多くて、車を通らせてくれませんでした。仕方がなく、私達数人は警察の尋問を避けて、歩くことを選びました。暗くなると、大通りは、明るいサーチライトがあかあかとともっていたので、暗いところを選んで、遠回りをしました。道のない所もあり、雨が降った後はぬかるみばかりなので、溝、鉄道に沿って歩きました。ちょっとうっかりすると、溝の中に落ちる危険がありました。おばあちゃんなどは溝の中に落ちたことがあります。それでも、私達は恐れず、そのまま前へ歩いて行きました。一晩歩いて、夜が明け、なんとか北京に着いた所で、警察がどうしても私達を通らせてくれませんでした。仕方がなく、家に戻りました。

 家に帰り着いた途端、町内会と派出所の人が来て、「中央からの指示で、法輪功をやってはいけない」 と言いました。当時、私はお腹が空いていましたし、腹が立ちました。また大法も深く勉強しなかったため、「もう煉功しないよ」と言いました。それ以来、私は家で「実修」し始めました。毎日、家で法を勉強し、煉功していました。師父の新しい経文『厳粛な教戒』を読んで、私は泣きました。師父に本当に申し訳ないと思いました。師父が私を正しい道へ導いてくれたし、私の病の元を取って、私を救ってくれたのに、法輪大法が苦難に遭っている時に、どうして家の中に逃げ込んで、外へ出ずに法輪大法の真相を伝えようとしなくていいのでしょうか。私はやっと目が覚めました。他の学習者と一緒に真相を伝え、法輪大法が正しいことを証明し始めました。

 真相資料を配った最初の日は、ちょっと怖い気持ちがしました。その日は、とても寒い冬でした。私の両足は、がたがた震えて、寒くてしようがないと感じました。一緒にいる学習者は「元気を出して、恐れないで、師父がいるし、法もあるから」と私を励ましてくれました。学習者の言ったことを聞いて、私はよくなりました。我慢して真相資料を終わりまで配りました。自分の事を反省してみると、警察に見られること、捕まえられること、家族の人に悪い影響を与えること等々、あれこれのことを心配しました。その後、師父の新たしい経文がどんどん発表され、その経文を勉強してから、私の「悟り」もだんだん高くなりました。「法輪大法からよいことを得るだけではなく、大法が苦難に遭っている時は、大法を守るべきである。」という事が分かりました。法理は厳粛なもので、修煉も厳粛なものです。世の中の人情、仕事と混ぜてはいけません。法を正す時期の法輪大法弟子としては、私達がした全てのことが歴史の中で残り、後世の人達の参考となるかも知れませんので、歩んだ一歩一歩を非常に大事にしなければなりません。これは自分の為にも、法輪大法の為にも責任を持つことに関わる大事なことです。これから、私は法輪大法を師にして、法を正す師父の導いてくれた道を歩んで行き、法を正す時の法輪大法弟子のやるべき3つのことをきちんとし、師父が慈悲で済度してくれることに背かないようにしたいと思います。

 何か誤りがありましたら、慈悲心を持ってご指摘下さい。

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/11/95309.html