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全体的に協力することにより 正念は偉大な力を現した

 文/河南大法弟子

 【明慧ネット2005年2月15日】私は2003年の旧暦8月、辺境地域に行き真相資料を配ったが、悪人に通報され、拉致された。その後、不当な労働教育2年という判決を受けた。私は、家族と地元の大法弟子達の救援のおかげで、監獄から釈放された。釈放された全過程において、大法弟子の全体的な協力と集中的に発した正念は威大な力を現した。

 私は修煉する前は、肝炎という病気で非常に苦しんでいた。数人のお医者さんを訪ねて治療を受けても、病状はよくならなかった。私は病気を治すため、借金も多くしていた。お金が無く、治療費や薬代も払うことができなくなったので、病状はだんだん悪化していた。最後には肝炎の晩期という状態になり、家で死を待つしかなかった。1998年10月、私は法輪大法を修煉し始めた。修煉してわずか数カ月で、症状はなくなり、すっかり元気になった。1999年7月20日、法輪大法が不法に迫害されたので、私は上京して法輪大法の真相と師父の潔白を伝えようと決断した。しかし、北京に着いてすぐ悪党警察に不当に逮捕され、地元に送り返された。私は地元の拘留所で半カ月間も拘留された。その拘留中、母親はショックを受けこの世を去った。

 2003年旧暦8月4日、私は辺境地域に行って真相資料を配ったが、悪人に通報され、再び拉致された。当日の夜、悪党警察は不当に家財を押収し、労働教育2年の判決を下した。監獄では残酷な迫害を受けた。邪悪な連中たちは、食事をくれないことも、饅頭の皮だけのこともあった。また、大法弟子に超過重労働をやらせたり、連続的に31時間も睡眠をとらせなかったりしたこともあった。仕事中、悪人たちは無理にけちを付けて、大法弟子たちに暴力を振るった。

 悪人たちは、私の家族が面会に来ても、会わせてくれなかった。ある日、夫が偶然に、病院に行って診察を受けてから帰ってくる私の姿を見つけた。当時、私は足が不便になってびっこで歩く状態であったため、目を合わすだけで、話は許されなかった。悪人達は、私の家族と話す権利を奪ったばかりでなく、無理に私を監房へ押し込んだ。

 夫は家に帰ってから、すぐ地元の学習者達と話し合った。そこで、旧勢力の全ての按排を否定し、学習者達が一緒に正念を発して、邪悪を消滅することにした。その後、県にいる学習者達にも電話して、私の状況を説明し、どのように私を支援するかを討議した。当時、学習者達の決意は非常に堅かったそうである。

 私の家族、地元の学習者達、および県の学習者達は緊密に協力し、私を監獄から救出することが必ず成功するように、一緒に正念を発した。全員が協力して私を救出することにしたのである。前日の夕5時から12時まで、また当日の朝5時から夕5時までの間、1時間ごとに1回、開封労働教養所第二隊に対して、継続して正念を発したのである。当日、数十名の大法弟子は、バスに乗って開封労働教養所の近くに行き、近距離から途切れることなく正念を発した。そのほかの大法弟子は家で、労働教養所のほかの空間の全ての邪悪を消滅するとともに、労働教養所の全ての黒い手、卑しい鬼を解体するように、正念を発した。師父に加持をお願いするとともに、救出が必ず成功するように祈った。

 私の父親と、夫、おばの3人は、開封労働教養所に入るとすぐ管教に行き、私を連れに来たと言った。すると担当者は、今すぐ帰っても良いと言った。朝7時、担当者は「検査結果、君には病気が無い。だから、私にはどうしようもないよ」と言ったが、9時になると、突然私に「家族が迎えに来たから、早く出る準備をして」と言った。私は3人の親族を見てやっと訳が分かった。当日、警察の車は私達を家まで送ってくれた。

 今回の救援は非常に順調に成功したのである。師父の慈悲、緊密な計画と大法弟子の全体的な協力があったからこそ、うまく成功したと思う。本当に、正念は計り知れない威力を発したと思った。

 今回のこの件を通して、私達は、歓喜心、顕示心などが生じないように努力するとともに、今後も師父のおっしゃった三つの事を更なる進歩を目指して頑張ろうと思っている。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/15/95527.html