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ハルビン市太平区の大法学習者艾秀文さんが警察に拉致(写真)

 文/日本大法学習者 董愛紅

 【明慧ネット2005年2月24日】私の母、艾秀文は58才、師範学校の講師を勤めていました(今は定年退職)。2005年1月12日に、母が他の学習者の家へ資料を持っていた途中、ハルビン市の南岡分局の3名の警察に尾行され拉致されました。また一緒に拉致された学習者は紅さんがいました。母は多くの大法の資料を持っていた為、主犯と判断され、ハルビン公安局の第7処の重案グループに拘禁されています。尋問中、外部との接触は禁じられています。

              ハルビン市太平区、大法学習者艾秀文さんの写真

 母は不遇な一生を送りました。記憶によると、私がまた小さい頃から、父がまともな仕事をしない為、両親は離婚してしまい、30過ぎの母は兄弟3人の私たちを連れて苦労し暮らしてきました。当時、私たちは一階建ての借家に住んでいました。私たちは未だ小さかった為、母は煤炭や水、米などの重いものを自分で担がなければなりませんでした。母は学校の先生でありながら男性がやるような重労働もやらなければなりませんでした。子供につらい思いをさせたくないため、母は自分のことを全然考えずに、少ない給料で私たちを育てました。また、母は教育事業にも尽くし、何回も先進工作者と優秀な教師と判定されました。母の素直で、善良、苦労を厭わない品格は上司と周りの人の賞賛を受けました。

 母は過度の疲労で体を壊しました。特に年を取ると、心臓病や神経衰弱、筋肉労損などの症状が出ました。しかし、1996年に法輪大法の修煉を始めてから、別人のように変わりました。人に会うと、「どこで美容をされたのですか? 顔色が綺麗ですね」と、いつも聞かれ、心臓病も治りました。法輪大法は第2の命を与えてくれましたと、母はよく口にしていました。

 しかし、江沢民氏が嫉妬心により善良な人たちに迫害を始めました。弾圧が始まってから、母は2回北京へ陳情しに行ったので、2ヶ月以上不法に拘禁されました。2005年1月12日、母は他の学習者の家へ資料を持っていた途中、ハルビン市の南岡分局の3名の警察に尾行され拉致されました。また、一緒に拉致された学習者に紅さんがいました。母は多くの大法の資料を携帯していた為、主犯と判断され、ハルビン公安局の第7処の重案グループに拘禁されています。尋問中、外部との接触は禁じられています。

 拉致された日に、母は10時を過ぎでも帰らなかったため、家族は心配して紅さんのご主人に電話をしました。紅さんのご主人から事情を聞いて、叔父さんは警察署へ行き、母と会うことができました。お金をかけて助けることは絶対にしないでくださいと、母は叔父さんに頼みました。事情調査の関係者によれば、母は意志が固くて何も言っていません。

 最近、母は3年間の労働矯正を判決されたという情報が入りました。今、万家労働矯正所に拘禁されています。私は母の現状をとても心配しています。この文章を読んだ学習者は一緒に正念を発し、また海外の学習者は電話で邪悪の迫害を制止するようお願いします。

 関係者への電話は中国語リンクを参照してください。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/24/96040.html