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法輪功学習者黄勇輝氏の湖南赤山刑務所での遭遇

 【明慧ネット2005年2月18日】法輪功学習者黄勇輝氏は45歳の独身者で、専門学校を卒業してある会社にで勤めていた。彼は両親が亡くなり、1人暮らしをしていた。黄勇輝氏は1999年12月5日法輪功のことで北京へ陳情しに行ったため捕まりれ、四日間監禁されてから、また15日間拘置された。大法の本を守るために、絶食をしたので三日後釈放された。釈放されても大法を堅く修煉するため会社から除名され、電話もモニターされ、身分証明書も没収された。2000年11月の消息によれば、黄勇輝氏は当時既に連行されていた。2001年12月黄勇輝氏非合法に三年刑罰を言い渡され、湖南赤山刑務所で監禁された。次の内容は黄勇輝氏が述べた湖南赤山刑務所での遭遇である。

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 私は法輪功を修煉したため、連行されて長沙市第3看守所に送られ、2001年12月中旬からまた?江赤山刑務所(湖南省第1刑務所)に送られました。これまで私の身体はずっと正常でした。

 2002年9月4日?江赤山刑務所の寮で、第5区域の指導員段波と警察何勇が法輪大法弟子肖恵氏と私に法の勉強を止めさせ、しかも法輪大法の経文を強奪して行った。警察何勇が経文を焼こけようとしていたので、私は経文を焼かけないように教え、大法の資料を焼くけると悪の報いに遭うと教えました。何勇は私が自分に悪口を言ったと言いながら、私を殴り始め、自分に謝るよう私を脅迫した。私は「私は善意から言い、あなたのために本を焼かけないように言ったので、間違いがありません」と言いました。何勇は私をずっと酷く殴り、両手で左右から私の顔を何十回殴り、握りこぶしで胸を殴り、皮靴で脚を蹴りました。私は顔が大きく腫れ、胸、腰、脚などに怪我し、神経まで傷害されました。私が殴られているのを見ていた人は、前第5区域の犯人陳鋼(今は第7区域にいる)、陽遠友(今は第7区域にいる)、趙愛平(今は第7区域にいる)、趙智双、李俊、肖恵生、趙××、悪党(別名)等十数人がいました。このことを知っている犯人は陳朝暉、陳輝、湯国平などがおり、指導員である段波と他のたくさんの人も知っています。

 2003年3月中旬、私は迫害されて刑務所内の病院に入院しました。身体は腫れて太くなり、痺れ、痛くなり、左手が動かなくなり、両足も伸ばせされなくなりました。今までこんな状態が続いけています。入院しているうちに、私は昼にも夜にも関わらず、毎日ベッドで寝ていなければならなく、身体も一人で動かせれなく、食事も、大小便も皆自分でできされなくなりました。2003年8月中旬から2004年4月29日までの間に刑務所に居りその後を出ましたが、その間ずっと刑務所の病院に監禁され、犯人に看護されました。

 刑務所を出てから、今までずっと歩くときふわふわしており、市障害者連合会に三級障害者と鑑定され、就職も出来なくなり、毎月100元(約1500円)の最低生活費しかくれないため、生活が非常に苦しくなっています。私は赤山刑務所に迫害されてこの状態になりましたので、赤山刑務所に損害弁償として15万元(約200万円)をもとめました、しかし、赤山刑務所は事実を認めませんでした。私は2004年10月24日湖南省刑務所管理局に複議を提出しましたが、今まで如何なる結果もありません。

 黄勇輝
 長沙市天心区東瓜山一村20棟2門101室
 電話:(0731)5151779
 〒410002

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/18/95705.html