日本明慧


重慶市の張国珍さんが茅家山女子労働教養所で迫害されて死亡

 文/重慶大法弟子

 【明慧ネット2005年2月21日】重慶市潼南県大法弟子張国珍さんは大法の修煉を放棄しないため、数回も、張良(潼南県国家安全大隊の隊長)等に連行されて迫害を受け、2002年6月から非合法に労働教養された。彼女は茅家山女子労働教養所で残虐な迫害を受けたので、釈放されても全身が浮腫んだままで、2004年陰暦12月25日に罪が晴れないままに死亡した。

 張国珍さん(54歳の女性)は、重慶市潼南県寿橋卿第一村一組の農民で、村の医者であった。修煉する前はいろんな病気で苦しみ、歯が全て抜け落ち、離婚して子供達も皆父親と一緒に暮らすことになった。彼女は一人暮らしとなり、生活が非常に難しくなったので、家まで売り出してしまい、生きて行く力までなくなった。1997年に法を得て修煉してから、すべての病気がなくなり、彼女は新しい生活を始めるようになり、精神状態もすっかり変わった。

 1999年7.20以降、張国珍さんは、他の十数人と一緒に元の煉功場(潼南?江大橋付近の公園)に行って煉功している時、潼南国家安全大隊の隊長張良らに連行されて、非合法に拘置された。警官:張良は彼女の夫から千元以上のお金をゆすり取った後、彼女を釈放した。張国珍さんの夫は非常に激しい衝撃を受け、江沢民をはじめとする集団が造り出した恐怖に脅かされ、自分が迫害に巻き込まれないようにするため、彼女に修煉を放棄するよう要求した。張国珍さんは「大法の修煉を放棄しない。」と言ったため、再び離婚された。

 張国珍さんは離婚後居所がなくなったので、1999年12月から暫く潼南県瓦場湾の法輪功学習者である張洪旭氏の家に住んでいた。2000年2月29日、張国珍さんが洗濯している時、潼南国家安全大隊の張良らが家に飛び込んできた。彼らは嘘で彼女を誘惑しようとしたが、失敗したので、無理やり彼女を連行して拘置所で監禁した。張国珍さんが連行されてから約一時間後、張洪旭さんも自分が仕事をしている潼南種店で非合法に連行された。

 不法な人員(注)は「生活を監視する。」と言い立てて、張国珍さんを半年くらい非合法に監禁した。張国珍さんが出て来る時、留置場に生活費として毎日5元のお金をゆすり取られた。張国珍さんは、出てから再度放浪しなければならなくなったので、身内の賄いをしたり、子供の世話などの仕事をして生活を維持しなければならなかった。

 (注):留置場の正規の職員ではないが、オフィス610等の管轄になる

 2002年初、張国珍さんは、四川省宜濱で真相を伝えている時に警察に連行され、残虐に拷問された。10日後、張良らに潼南看守所に連れて行かれて迫害を受けた。張国珍さんは邪悪の命令、要求、指示などに順じなかったが、2002年6月10日公安局国家安全大隊に非合法に2年の労働教養を言い渡された。

 重慶茅家女子労働教養所で、悪警官や麻薬依存性の労働教養者が張国珍さんに様々な肉体的、精神的苦しみを加えた。張国珍さんは苦しめられて意識不明になったこともあり、心身共に激しい痛手を受け、迫害に耐えられなくて、遂に、2002年7月4日に「三書」(懺悔書、保証書、決別声明)を書いた。2004年上旬労働教養が解除された後も、寿橋卿の派出所は3回も彼女を強迫して署名をさせた。しかし、張国珍さんは、2004年12月25日、明慧ネットに厳粛な声明を発表し、「私が書いた『三書』と派出所の強制により書いた3回の署名及び大法に背いたすべての言行を無効にし、私は旧い勢力のすべての按排を否定し、すべての執着心を捨て去り、二度と邪悪につけ入れられず、大法弟子が行うべき三つの事を着実に行い、大法に与えた損害を補い、師父に堅く従って、大法を最後まで修煉する。」と声明した。

 張国珍さんは、身体がずっと浮腫み、生活も安定せず、2004年12月25日に罪が晴らされないまま死亡した。

 張国珍さんを迫害した部門と個人及び電話番号はリンクのホームページを参考してください。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/21/95871.html