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娘は迫害で死亡後、山東威海市の大法学習者梁忠賓さんは冤罪を晴らせず死亡

 【2005年2月26日】山東威海市の大法学習者梁忠賓さんは以前不法に3年間労働教養させられた。さらに彼は娘の梁紅光さんが迫害により死亡した後も継続して家を掻き乱され、普通に法を学び煉功することが出来なくなった。そのため持病が再発し、2004年8月31日冤罪が晴れないまま死亡した。

 大法学習者梁忠賓さんは、66歳の男性で、威海市橋頭鎮埠上村の人である。98年に病のため修煉を始めた。大法を得て修煉することによって、長く患っていた病が回復し健康になった。99年の秋陳情のため上京した際、威海留置場で不法拘禁により迫害された。その後3年間不法労働教養の刑を言い渡されたが、体格検査で病があったため、仮出所で帰宅と処理された。

 2000年、悪警官は何度も不法に家宅捜査し梁忠賓さんの生活を妨害した。そのため彼は寝る所を失い仕方なく流浪した。それからずっと娘の梁紅光さん(大法弟子)が迫害により死亡するまで、彼と妻は自宅に帰れなかった。42歳の梁紅光さんは成市吉興マーケットに勤務し、連続五年五星レベルの従業員と評価されていた。彼女の人柄は周りの同輩、友達、上司と身内皆に称賛されていた。2003年2月27日の朝7時頃、梁紅光さんが出勤しようとした時、二人の悪警官(容城市派出所)が突然やって来て、証拠がないまま強制的に彼女を連れて行こうとした。梁紅光さんは迫害に服従したくないので、家のトイレ窓口から逃げ出そうとしたが、不幸にもその際負傷し2時間後死亡した。

 娘が死んでもうすぐ2年になるが、2人の老人は娘が恋しくて終日涙を流した。この期間中威海610の悪警官と橋頭派出所の警察官はしょっちゅう梁忠賓さんの家をかき乱して、強制的に修煉を放棄させていた。長期に亘って精神的に迫害を受けたため、普通に法を学び煉功することができず、やがて持病が再発して、2004年8月31日午後3時冤罪を晴らせないまま死亡した。
 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/26/96223.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/3/3/58107.html