日本明慧


修煉の物語:私が両足を組む練習の過程

 文/山東省大法弟子

 【明慧ネット2005年3月4日】物語と言っても、実は全部本当の話で、昔の事です。97年に修煉し始めた頃、私は両足を組むことができなかった。当時片足だけを組んでも高くはねていて、他の弟子が両足を組んで煉功しているのをみて、心から羨ましかった。当時弟も法輪大法を修煉していて、よく私の家に遊びに来た。彼が来ると彼に私の高く跳ねている左足に座わらせた。しかし彼が座ると、私の体も一緒に左に傾いてしまった。

 こんな練習が一ヶ月続いたが、まだ両足で座禅を組むことができなかった。この時実家の母から帰ってきて欲しいと事付けが私の所に届いた。父が亡くなったので、母はたった一人で田舎に住んでいた。当時、私と弟はまた自分の家を持っていなかったので、まだ母を都会まで迎えられなかった。急用のようなので急いで帰ろうと、切符を買って実家に帰った。

 実家に着いたら、母は泣きながら私にこんな事情を述べた。家に古い邸宅の土地を庭先の従兄一家(諺:五等親の近親の一家族)が無理矢理に奪った。この兄嫁の実家も母と同じ村の出身で、しかも隣近所だった! 家族が子孫満堂を笠に着て一人ぼっちの婦人をいじめる。もし私が修煉する前の性格なら、相手が石で、自分が卵で、明らかに勝てないと分かっていても、対峙しないと気がすまなかった。しかし今は法輪大法を学び、世間の盤根錯節な恩と怨因縁を分っていた。さらに師父がおっしゃた銘記して忘れない言葉、「修煉者として、まず殴られても殴り返さず、ののしられてもやり返さない」ことを実行する。でないと修煉者と言えるでしょうか? 私は前の自分と違って、常人のようにすぐ人と喧嘩したり、騒いだり、命が惜しくないほど争ったりはしなかった。逆に母にくよくよしないように慰め、あまり気にしないで、大したことではない、ちょっとしたただの土地ではないかと言った。どうせ私達は田舎で家を建てる予定も無かったし、彼らがほしければそれでいいではないか、後1、2年で都会に引越しするのだからあきらめよう。

 本当に師父が言われたように、その事、その難に遭う時、本当に胸がえぐられ骨に突きささるように、信じられないほどまったく超えられないと感じるが、もし自分を修煉していると見なせば、師父が言った言葉を忘れずにいれば、「忍びがたきは忍びうる、おこないがたきもおこないうる」である。その関門を、私は乗り越えた。

 当日のその夜に座禅するとき、私は突然下の右足を上に乗せられると感じたので、手で上げてみれば、いっぺんに上の足に乗った。しかも30分以上も座禅することができた! 翌朝目が覚める中で、自分が丸い白い光の中に包まれているように感じ、目が覚めた後、五臓六腑がなんとも言えないほど気持ちがよかった。

 それから、私は両足で足が組めるようになった。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/4/96608.html