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河南省、黒龍江省、遼寧省、湖南省の法輪大法学習者(5名)は迫害され、冤罪を晴らせずに死亡

 【2005年3月4日の 明慧ネット】河南省の大法弟子胡桂民さんは旧暦の5月19日に迫害され、冤罪を晴らせずに死亡したことが分かった。胡桂民(女性)さんは66歳で、河南省の濮?の法輪功学習者です。中国政府(江沢民集団)が1999年7月20日に法輪功を弾圧してから、悪い警官が何回も自宅に嫌がらせに来るようになり、家財を差し押さえられ、無理に捜索された。2003年、4月には悪人に28回ほども嫌がらせや恐喝をされ、とうとう胡さんは路頭に迷ってしまった。彼女に脳血栓の症状が現れたので病院に入院した。しかし、胡さんを見逃さない悪人たちは、今度は病院に行って恐喝し続けた。「あなたはもう動けなくなった。あなたが、病気でなかったら、いますぐ逮捕して労働教養させなければならない!」と悪人が嫌がらせで叫んだ。当日、胡桂民さんの病状は悪化して、2003年5月19日(旧暦)に冤罪を晴らせずに他界した。

 汪振山さんは今年50歳、黒龍江省双城市新興満族の郷慶楽村の法輪大法学習者でした。1996年から法輪功を修煉してから着実に上へ向上していました。汪さんの体は、本来とても丈夫でしたが、中国政府(江沢民集団)が1999年7月20日に法輪功を弾圧し始めると、悪い警官は、何回も家まで嫌がらせに来ると(違法)大法の本を捜したり、師父の写真を捜す時などの、目に余るひどい行為と、たび重なる恐怖の中で汪さんはだんだん弱くなって、起き上がられない状況に陥った。一年後(2002年)、汪さんは病気の体のまま真相を伝えるために北京に行きました。しかし、汪さんは、無事に帰ってきたものの、村と郷里の610という違法組織の悪人に迫害されて病状が悪化しました。残念のことに汪さんは2003年の年末に冤罪が晴れないままで亡くなりました。

 楊高氏は93歳、黒龍江省双城市新興満族の郷慶楽村の法輪大法学習者です。1996年から楊さん、息子、孫と孫の嫁とみんな一緒に法輪功を修煉していました。江沢民集団が法輪功を弾圧してから彼の息子と孫、孫の奥さんの三人は二回も強引に逮捕されると、拘禁され、ひどく迫害された。楊さんは迫害を制止するために洗脳クラスに助けに行ったのですが、郷里の610組織の悪人に無理やり引き出され、その時に、内臓まで傷を受けました、家に帰った後も、ずっと起き上がれませんでした。2002年師走の8日に冤罪が晴れないままに亡くなりました。

 祁国栄さんは、男性で、81歳です。彼は遼寧省遼陽市の小祁家鎮の小祁家祁村に住んでいて、家族全員が法輪大法を修煉していました。 中国政府(江沢民集団)が1999年7月20日に法輪功を弾圧してから悪い警官に何回も家で嫌がらせを受け、誘拐され、恐喝されました。2001年の年末に、彼の息子(長男)、息子の嫁と末子三人が悪い警官に家から誘拐され、1年半の違法労働教育にされました。もともと幸せで円満な彼の家庭は、離散されたことに遭遇してから、生活はけっこう厳しくなった。絶えず変な嫌がらせと精神的苦痛に耐えきれずに、彼は2002年4月に冤罪が晴れないままに亡くなりました。 

 周嫦利さんは、女性、52歳で、湖南省常徳市原二紡織機械の工場の退職者でした。1997年は修煉して、代々遺伝の腎臓病が回復しました。大法の恵みで周さんの精神は煥発して顔色も赤みが出てきました。中国政府(江沢民集団)が1999年7月20日に法輪功を弾圧してから周さんは真相を伝えるために北京に行きました。しかし、天安門広場で凶悪な警察に広場の派出所までつかんで、それから北京順義地区の留置場に移され、北京駐在事務所まで違法に拘禁された。最後、元の勤め先の保衛科長と徳山公安支局警察に「桃花仙」という留置所に強引に連れて行かれた。違法な取り調べの時に、悪人は汚い言語で周嫦利さんを侮辱した。革靴を履いた背の高い一人の悪人は足で残酷に彼女を蹴った。留置所いた時、彼女の足は我慢できないほど痛くなったが、それでも、毎日野菜を植えるような労働をさせられた。そのため、周さんは心身両面共にひどく傷つけられた。

 周さんは15日程、無理に拘束され、そのうえ、違法の罰金を科せられ、しかも、6000元に決められた。2001年5月に周嫦利さんは真相を伝えるCD-ROMを見ているのを、悪人に告発されて、また違法に「桃花仙」という留置所に拘束された。元の勤め先の保衛科長が頻繁に留置所に行って彼女を強制的に洗脳するのに、彼女のお兄さん(湖北省武漢市)、お姉さんを探してきた。彼たちを利用して、周さんの精神を動揺させ、とうとう、強制的に修煉することを放棄させてしまった。大きな圧力で、彼女はしかたなく保衛科長が書いた「3書」をそのまま写した。家に帰った後も、仕事部門の圧力から、夫と娘が彼女に煉功をさせないし法も学習させなかった。さらに法輪功についてすべての資料を仕舞ってしまった。数ヶ月後に、彼女は、足が痛くてたまらなくなり、病院で検査すると末期肺癌になっていた。2001年10月22日に周さんは精神と肉体両方を苦しめられて冤罪が晴れずに亡くなった。

 

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/4/96620.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/3/10/58320.html