日本明慧


「結婚」に対しての認識

 【明慧ネット3月6日】大法を修煉するには、絶えず名利や情への執着が取り除かれなければならない。絶えず修煉して次元が向上すれば、名利や情への執着も淡白になりつつ、初期の認識と現在のそれとかなり異なってくる。

 {結婚}について、ほかの学習者と切磋したが、修煉状態の相違によりこの問題についての認識も違っている。もし一人の修煉者が修煉により、すでにこの{情}に無頓着になると、彼(彼女)はもう誰かに向けて男女の情を発し難くなる。この男女の情が無くなると、それから派生された欲望も無くなり、「結婚」もしないと思う。

 大法の修煉者が結婚するかどうかは、個人のことである。しかし、師父がはっきりとこの辺りの法を述べておられます。いかに自分に要求するか、どの程度まで自分に要求するか、または、表面上で自分を強制するか、それとも心の境界の表しかたは、すべて修煉者の修煉状態の体現である。

 師父は「転法輪」の中に、「欲も色もみな人間の執着で、それらはみな取り除かなければなりません。」と述べておられます。もし一人の修煉者が、完全に情の執着を捨てれば、適齢になっても、彼(彼女)はもうこのことに心を動じない。そのとき、自分の修煉状態により、師父が按配してくださった修煉の道を歩み、やるべきことをやり遂げたらいいと思う。ある人は、自然に結婚相手が出来、結婚する考えを持っていれば、自然に従ってすべきだと思う。婚姻の下で、修煉によって放棄させられるものがあるかもしれない。万事が無理に強いるわけはない。心の中で結婚したがっているのに、むりやり結婚しないのも、修煉の状態ではないと思う。人の修煉の道は、それぞれすべて違っており、所在の境地も違うので、全編一律なはずがない。 

 私達はみな大法の中で修煉しているので、師父が要求された「三つのこと」をしっかりと成し遂げ、絶えず精進すれば、何をすべきかや、いかにするかが自然に分かるようになる。特に常人の心であれこれと考えてはいけない。法を多く勉強し、法の中から悟る。わからないことがあると、落ち着いて法を勉強すればいいと思う。法が私達の智恵を開かせ、悟らせてくださるのである。心は法の中にいれば、あらゆる念も法からもらっている。

 以上は私が結婚に関する考えで、誤るところがあれば、慈悲で指摘してください。

 

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/6/96764.html