日本明慧


小さいことでも正念正行

文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年3月2日】近頃、私は母に言う「もう水滴を漏らさないように(蛇口を止めて水道のメーターが動かない状態で水滴を水桶に落とすこと)。」私が続いて言う前に、母は言う。「あるおばさん(大法弟子)も以前は水滴を漏らしていたよ。」私は聞いても何も言わなかった。私は師父の『時間との対話』の中で「彼らはいつも常人と比べ、自分の昔と比べていますが、各次元での法の要求に基づき自らを量ることができません。」このことは見た目は小さいが、一人の大法弟子の心性境界の表れで、水道のメーターを動かさないで出た水を盗んだのではないのか。私たちも「本を盗むのは盗むのではなく、窃だ。」の類のことを言うのか?私の知っている同修も同じことをやったことがあって、後で師父が夢の中で彼女を転化して、彼女はそれをしなくなった。それと、一人の大法弟子として、何事か正しく行われてないと、法の要求に従って行う。なぜ人心で自分を保護するのか?私はある雑誌で一篇の文章を読んだ:一人の有名な日本の劇作家は一人の疲れきった行者を演じ、バックグランドで一人のスタッフは彼に言う、貴方の靴ひもは緩んでいる、彼は感謝してからひもを締めて、隅に行って靴ひもを緩めた。記者はなんでそういうふうにするのかと聞いた。彼は言う「私は一人の疲れきった行者を演じて、ひもは緩めたほうがいい、でも人に言われた時は誠意を表します。」

 今日の大法弟子は未来の人の参照で、それでは私達の今日行っている事はすべて法によって自分を厳しく要求しなければならないのではないのか?

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/2/96470.html