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黒龍江省双鴨山市の法輪功学習者・潘興福さんが迫害により死亡した(写真)

 【明慧ネット2005年3月2日】2005年1月31日、黒竜江省双鴨山市電信局交換中心副主任、友誼県電信局副局長の潘興福さんは、法輪功の修煉を放棄したくないため、長期に迫害を受けた末、31歳の若さで亡くなった。奥さんの張麗は、同じ理由で2003年1月に9年間の刑を掛けられ、今ハルビン市女子刑務所に監禁されている。5歳の息子の壮壮ちゃんは家に取り残されている。

生前の潘興福さん
潘興福さんの息子の壮壮ちゃん
現在の壮壮ちゃん

 

 2004年7月8日、牡丹江刑務所は責任を逃れるために、危篤となった潘興福さんを双鴨山市伝染病院に送った。その時、潘興福さんの体重は40キロにしか過ぎなかった。7月20日、潘興福さんは家に戻ったが、2005年1月病状が更に悪化し、腹部の膨張も更に酷くなった。2005年1月31日夜11時、64歳の母と5歳の息子を残して亡くなった。

刑務所から家に戻った時の潘興福さん

 潘興福さんは、1974年2月25日に黒竜江省双鴨山市に生まれ、1990年湖北省武漢市の華中理工大学の電子と情報工学部の少年クラスに入学した。1993年に武漢市で、李洪志先生の法輪功の講習会に参加して法を得た。1994年に大学卒業後、双鴨山市郵便局のネットワーク部に就職した。1995年には優秀職員に選ばれ、1997年に市の科学教育模範労働者に選ばれ、更に1998年に黒竜江省電子通信部門の世紀に跨る優秀人材に選ばれた。1999年12月12日、潘興福さんは電子通信技師に昇格され、2000年に双鴨山市電信局交換中心の副主任と友誼県電信局副局長に任ぜられた。奥さんの張麗も同じ職場の優秀技術者であり、外国で研修した経験がある。

 2000年7月19日、双鴨山市公安局の政保科は、省の公安庁の機密電報を受けて、“インターネットで明慧ネットを閲覧した”という理由により、潘興福さんを拘束し、双鴨山公安局の留置場に1ヶ月以上拘禁した。 2000年12月28日、潘興福さんは家族とともに北京へ陳情に行った時、天安門広場で、警官の殴る蹴るの暴行を受けた後、天安門広場公安支局まで連行され、前後して沙河労働教養所、昌河県公安局大隊に拘禁された後、双鴨山市へ送還される途中、逃げだすことが出来たが、流浪の生活を強いられた。一緒に送還されたお母さん、奥さんと幼い息子は、一時家に帰れたが、その後、お母さんは臥虹橋派出所警官の王旭春により、家から連行され、留置場で4ヶ月余り拘禁された。

 更なる迫害を避けるために、奥さんも生後10ヶ月の息子を連れて家を離れ、流浪の生活を始めたが、2001年5月4日宝清県にいた際、現地の公安局政保課長の韓の手によって連行され、4ヶ月間拘禁されていた。その間に、まだお乳が要る息子も親の傍から引き離れられた。

 2001年5月、潘興福さんはもう一人の法輪功学習者、紀松山さん(すでに2003年6月18日、双鴨山市の610オフィスの迫害により死亡)と共に、双鴨山市巡査分遣隊により逮捕された。この逮捕に加わった警官は、徐宏凱と尚安成である。その後、潘興福さんは暫く双鴨山市留置場に拘禁されていた。2002年3月7日午前8時、潘興福さんは5年間の刑を下された。同年の4月15日、奥さんの張麗さんは家から連行され、5月2日の早朝3時50分に、お母さんも家から連行された。その間に家の中には、3歳になったばかりの息子だけが取り残されていた。その年に、潘興福さんの二番目のお兄さんとその奥さんも、労働教養に処された。

 不法に刑に処された潘興福さんは、転々と4箇所で監禁されていた。初めは双鴨山市留置場、次は七台河労働教養所、更に綏化労働教養所、最後に牡丹江労働教養所であった。潘興福さんは労役を強制され、豚の飼育、炊事、掃除などをやらされた。2002 年の9月18日、潘興福さんは迫害に抗議をしたことにより、特別監禁室に連れて行かれ、残虐な体刑を受けた。中隊長の?連貴、副大隊長の範暁東の命令を受けた、曾令軍によって暴行され、更に労働教養所長の紀楓の指示を受けた看守により、大音量の録音を聞かされ、眠れないように虐待された。 2004年6月、潘興福さんは3年間の虐待に耐えた末、突然倒れ、6月18日に牡丹江市警察病院(牡丹江市骨科病院/牡丹江市第三人民病院)へ搬送され、結核性胸膜炎と診断された。当時、潘興福さんはすでに体力がなくなり寝たきりの状態となっていた。2004年7月8日に、牡丹江刑務所は責任を逃れるために、潘興福さんを双鴨山市伝染病院に転院させた。

臀部に残る虐待の深い傷跡

 2004年7月20日、潘興福さんは家に戻ったが、食事は僅かしか食べられず、一人では歩行出来ず、呼吸は浅くて速い。2005年1月、病状が更に悪化し、腹部の膨張も更に酷くなり、2005年1月31日夜11時、64歳の母と5歳の息子を残して亡くなった。

潘興福さんに関する詳しい報道は次のサイトを参考してください: 潘興福さんの壮烈な一生を振替えてhttp://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/9/95142.html

潘興福さんの迫害に関与している人員と部門:
双鴨山市人民法院の裁判長、 姜峰(女性)
双鴨山市人民検察院の検察官、 楊慶譚
双鴨山市留置場 所長の白樹文
双鴨山公安局の政保科の姜課長、警官の葛
双鴨山北京駐在事務所
天安門広場公安支局、沙河労動教養所、昌河県公安局巡査大隊
双鴨山市巡査分遣隊の警察、徐宏凱と尚安成
双鴨山市尖山区人民法院
七台河労働教養所
綏化労働教養所
牡丹江労働教養所16管区の指導員、鄭玉和
黒竜江省牡丹江市第三人民病院/骨科病院/公安病院 住所:牡丹江市光華街94号
救急外来の電話:6987120 交換台:8922120  8921120
黒竜江省牡丹江市第三人民病院の内科医、竇香芝

潘興福さんのお母さんの迫害に関与している人員と部門:
双鴨山市公安局の副局長、凌清范
双鴨山市の610事務局の責任者 于永江
双鴨山市委員会宣伝部 李敏
臥虹橋派出所の警察、王旭春
臥虹橋派出所の所長と3名の警官(その中の一人の苗字は魯である)
双鴨山市留置場所長の白樹文、刑務所医師の徐恩江
双鴨山市公安局の610オフィスの杜占一、李洪波、趙警芳
潘興福さんの奥さん、張麗さんの迫害に関与している人員と部門:
双鴨山市留置場
ハルビン市女子刑務所

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/3/2/96484.html