日本明慧


時間についてのいくつかの感想

 文/イスラエル大法弟子

 【明慧ネット2005年2月22日】私は、自分の中にある人間の一面の“時間”に対する認識が私の修煉と正法の仕事を邪魔していることに気づいた。いつも時間に追われているような感じがした。また時間を怖がり、時間のことを心配していた。さらに、法を学ぶ時間がなく、煉功する時間がなく、真相を説明するための時間がなく、やるべき仕事をする時間がなく、正念を発する時間さえなくなった。この時間の概念はちょうど我々がやるべき三つのことに対応していた。私が家に帰った時は、わずかな限られた時間に、私がやるべきことをするしかなかったので、張り詰められた気持ちに襲われていた。母に「何で、いつも時計を見ているの。」と聞かれるほどだった。

 母が手助けを必要とする時、私はプレッシャーを感じるか機嫌が悪くなった。時間をとられると思ったからである。自分の時間をとられるほど、プレッシャーを感じた。私がやるべきことをする時間がなくなると思ったからである。ひいては、英文の明慧の文
章を読む時間すらなかった。自分がやるべきことがそんなにも多いように思われた。電子メールを読むこと、ネットに文章を載せる前に綿密にチェックすること、ニューヨーク・北京に対して正念を発すること、その他の仕事、煉功など。 

 私の時間に対する観念は私の修煉に多くの邪魔をもたらした。正念を発する時、私は時間がないのだ。私はこれをしなければならないし、あれもしなければならない。そこで、正念を発する時間を短縮させるか正念の時間の終わりを告げるベルが鳴るのを待った。時には、全世界で同時に発する正念ではない時、正念を発するのをやめたくなったりした。また、時には、落ち着いて本を読むことができず、頭の中で、私はこれをしなければならないし、あれもしなければならないし、1講の法を読まなければならないと思った。またどれくらい読まなければならないか、またどれくらいの時間が要るのかと考えてしまった。このような情況下で、よく法の勉強をすることは不可能である。

 これはまさに競走の中で生きているようで、私はやるべきことをやりきれるような方法を考えなければならない。このような考え方が常人の認識であるがゆえに、旧勢力が隙に乗じ、私がやるべきことをやれないようにした。一人の修煉者が何かを怖がるというのは、何かを求めることを意味している。 もし、一人の修煉者として、何も恐れず正念を常に持っていると、師父がすべてのことをこなせるように助けてくださる。しかも神、佛、道と師父の法身が至る所にいるから、なおさらである。わたしは、どんなことでも、師父が決めて配置したことでなければ、旧勢力が配置したことだと思う。そこで、私が正しい配置に従わなければならないが、若し恐れる心が生じるなら正しい配置からずれてしまう。我々は知っているように、病気にかかることを恐れれば、病気にかかる恐れがある。しかもこのような恐れはとても危険である。時間もこの問題と同じである。

 これ以外にも、若しすべての物質が生命だとしたら、時間も同じく 生命である。師父が『法輪佛法(精進要旨)』「時間との対話」で次のように述べている。

  神:しかし、時間が長くかかり過ぎました。
  師:その通りです。
  神:私が思うに、神になれない人にこれ以上時間を与える必要はありません。実は、その人は人間にしかなれないのです。
  師:(ひとりごと)世間にあって、彼らは本当に深く迷ってしまいましたから、結局、そうなるしかないのです。最も恐ろしいのは最終的には人間にさえなれない、ということなのです。
  神:実は新しい世界で人間になることもかなり良いことで、歴史に淘汰された宇宙にいた無数の高級生命と比べて、すでにこの上なく幸運なのです。
  師:私はやはり、もう少し待ってみたいと思います。人類を破壊するさらにミクロ的な物質をきれいに片付けてから、その後どうなるかを見て決めたいと思うのです。彼らはなんといっても法を得にきているのですから。

 私は、これらの旧い時間の神が正法の進行を加速させ、師父が衆生を救うことを阻むと認識している。 師父がこのような配置を認めないから、我々も認めることができない。もし、我々が正念を持って対処すれば、時間の神は我々が正法と衆生を救うことに干渉することはありえない。また、多くの修煉者の、時間にどう対処したかの物語がある。例えば、ある学習者は10分間で、一講の法を学んだ。師父は『転法輪』の第二講で次のように述べている。 

 現代科学は、時間には場があり、時間場の範囲に入らなければ時間の制約を受けない、と考えています。他の空間の時空の概念はわれわれのものとは違うのに、どうして他の空間の物質を制御できますか?
したがって、衆生を救うためなら、われわれも時間の神の能力を制御でき、われわれの隙に乗られないようにし、さらなる多くの衆生を救えると思われる。

 以上は、私の一認識であり、不適切なところがあれば、ご指摘ください。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/22/95968.html