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劉義琳さん、張文閣さん、王相林さんなど9人の大法学習者が迫害により死亡

 【明慧ネット2005年3月25日】劉義琳さん(女性、57歳)は、湖北省武漢市に住んでいました。彼女は、大法を得る前にはさまざまな疾病を患い、何度も治療を受けましたが効果がなく、自殺まで考えたことがありました。1997年法を得てまもなくして、全ての病気が治りました。1999年法輪功に対する迫害が開始され、彼女は2000年陳情のために上京しましたが、駅で不法に逮捕され、洗脳班に入れられました。その間、留置所に送られて一ヶ月間監禁されました。しかし、その後もこのような監禁状態が10ヶ月も続きました。2001年にやっと家に帰されましたが、2002年に再び洗脳班に入れられ、心身ともに極めて深刻な傷害を受けました。長期に渡る迫害により、持病が再発し、2005年3月16日に亡くなりました。

 張文閣さん(男性、56歳)は、遼寧省撫順市新客県の住民で、1995年から大法を修煉し始めました。修煉する前には、糖尿病などのさまざまな病気に苦しんでいましたが、修煉をし始めてからは、体がとても健康になりました。1999年大法に対する迫害が始まり、陳情のために上京しましたが、二回に渡り不法に逮捕され、留置所や教養所に入れられました。その間、残虐な迫害を受け尽くし、心身とも極めて大きな傷害を受け、持病が再発し、2005年3月18日に亡くなりました。

 王相林さんは、遼寧省清原県枸乃点検甸郷甸心子村に住んでいました。法を得る前は体が弱く、病気だらけでしたが、1998年大法を得て修煉により、健康になりました。1999年7月20日法輪功に対する迫害が始まり、真相を説明するため上京しましたが、不法に逮捕されました。10ヶ月間に渡り拘束され、精神的にも深刻な打撃を受け、さらに家宅捜査をされるなど財産を根こそぎ奪い取られました。2005年3月13日に亡くなりました。

 李樹林さん(女性、40歳)は、河北省張家口市?鹿炭鉱工場の従業員でした。彼女は、長年大法を修練していて、体はとても健康でした。2002年5月ごろ、会社の党委員会副書記と鉱山派出所所長らが、強制的に自分たちで作った洗脳班に彼女を入れました。洗脳班の中の環境は、とても悪く、また湿度も高かったと言います。その上、度重なる邪悪の恐喝により、拘禁期間中血尿が現れました。家に戻されましたが、ご主人の反対で煉功もできず、片側の腎臓の壊死を招き、手術を受けましたが病状が急激に悪化し、2004年8月に亡くなりました。

 馬建順さん(男性、46歳)は、山東省招遠市道頭家臣鎮董家村の大法学習者でした。1999年7月20日法輪大法に対する迫害が始まり、2度に渡って真相説明のために、上京しました。そこで、何度も不法に逮捕されて罰金を取られたり、監禁されたりしました。2002年の旧暦の2月6日再度逮捕され、強制的に洗脳されるなど心身ともに極めて大きな傷害を受けました。2003年6月、馬さんはつい帰らぬ人となりました。

 張淑賢さん(女性、61歳)は、遼寧省平県奎徳素郷の大法学習者でした。彼女は過去20数年来、病気だらけで薬漬けになってしまうほどの生活を送っており、生活さえ自立できませんでした。1997年法輪大法の修煉を始めてから、疾病は治療することなく自然と治りました。1999年7月20日後、邪悪な警察は何度も彼女の家に乱入し、恐喝して200元の罰金を強請取りました。次女が2回目逮捕された後、張さんは心身ともに大きなダメージを受け、2003年旧暦の2月2日、世を去りました。

 余坤さん(女性、80歳)は、貴州省貴陽永新機械工場の大法学習者でした。法輪功修煉を始める前に、深刻な喘息と高血圧で苦しんでいました。98年大法修煉を始めてから、数々の持病が自然に治りました。2000年に彼女の娘は、法輪功真相を説明するために上京しましたが不法に逮捕され、3年間労働教養所に入れられました。余坤さんは、娘の逮捕により、精神的に深刻な打撃を受けました。また、会社の社長である呉苗蘭が人を連れて、彼女の家に乱入したりしたため、病気が再発してしまい、2002年11月5日に亡くなりました。

 李子恒さん(81歳)は、97年台湾から帰ってきて、娘の家に一緒に住むことになりました。娘が法輪功を修煉していたので、すぐに法を得ました。法輪功を修練することにより、40年もの間、薬では完治しなかった病気が、修煉して数日の内に全て治りました。2000年に、度重なる邪悪な警官の家宅捜査を受け、2月には娘が防衛隊に逮捕され、更に夏には洗脳班へと強制的に入れられるなどしてしまい、李さんは、恐怖と娘に対する心配と不安の余り倒れてしまい、2001年1月18日、世を去りました。

 哈爾浜の王玉清さん(男性、57歳)は、1997年に深刻な病気に罹ったことがあり、その後大法修煉を始めました。娘婿によると不治の病であったと言います。修煉を始めてから、王玉清さんは、早くも病状が無くなり、修煉の状態もとても良かったと言います。1999年中国共産党・江沢民政権が大法に対する迫害を開始し、王さんの奥さんは、迫害を恐れて、彼の修煉を許しませんでした。そのためほぼ毎日喧嘩をするようになり、王さんと接触のある法輪功学習者の名前を派出所に告発しました。残念なことに、王さんは周りの学習者との連絡が絶たれ、ほとんど修煉ができなくなりました。2004年6月1日大連で商売をする時、突然病で寝込み、病院で検査を受けましたが、診査の結果は肺癌でした。当日下半身が麻痺した状態で動けず、病院側は長くても余命2ヶ月と断言し、治療してもどうにもならないと言いました。

 哈爾浜に戻り、あちこちに行って診てもらいましたが治る見込みはなく、最後に、再び法輪大法を修煉しようと思い立ちました。王さんの再び立ち上がった大法修煉の中で、奥さんは、大法の神秘さと大法弟子が正念を発することによって、生命を取り戻すとことができるという、感動的な場面を経験することができました。次から次へとさじをなげられながらも、命を少しずつ先へと延ばし続けて来ましたが、結局、今回の魔難を乗り越えることができず、半年後の2005年1月17日に亡くなりました。妻は、当時もし、夫婦揃って一緒に法輪功を修煉していたら、どんなに喜ばしいことであったのか、と深く反省しています。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/25/98048.html