日本明慧


心に善の念を持つ重要さ

 文/台湾大法小弟子(小学校四年生) 

 【明慧ネット2005年3月24日】この2日間、私のクラスメートのAさんは何度も教訓を経験し、苦しみを十分になめた後、ついに心に善の念を持つ重要さを真に分かってきました。

 昨日先生が1枚のしおりを配ってくれました。しおりには“あなたは今日よい話をしましたか?”と書いてあります。これは学校が展開している子供達の心に善の念を持たせ、“真・善・忍”に従わせる活動の一部です。休憩の時、Aさんはしおりを汚くねじってしまいました。私はねじらない方が良いと指摘しました。彼は反対に“余計な世話!”と言った。その後、すぐ行ってしまいましたが、第1歩を踏み出すと、工事中の木を植えるために掘ったばかりの穴に落ちてしまいました。彼は穴の中から大声で叫んで、すぐ這い出しました。手でお尻を押さえながら、痛い痛いと叫びました。その穴の中にたくさんの赤アリがいて、この短い時間で、Aさんの両方のお尻は穴が出来るまで噛まれ、血も出ていました。

 私は、善意に“このしおりを大事にしなさい”ともう一回言いました。Aさんは聞かないばかりか、“いつもそう言っている”と大声で叫びました。そしてぷりぷりしながら行ってしまいました。しかし、すぐ彼の叫び声が伝わってきました。Aさんは手すりにつまずいて転んでしまったからです。てすりは非常に低いので見えるはずなのに、なんで跨らなかったのでしょう?Aさんは転んだため鼻から血が流れ、きっと痛いと思いました。

 授業の時、Aさんは居ても立ってもいられずうなり続けました。先生は“どうしたの?”と聞いたが、彼は“大丈夫”と答えました。授業終了のベルが鳴ったとたん、彼は矢も盾もたまらず座席から飛び上がりました。一つの大きな赤アリが彼の身体から落ちました。彼は怒って、その赤アリを踏み潰そうとしました。彼がもうこれ以上悪いことをしてはいけないと思い、私は脚で彼を阻止しました。

 私は、Aさんが遭った二つのことを全部先生に話しました。先生もびっくりしました。授業の時、先生は心に善の念を持つ意義を厳粛に私たちに教え、“あなたは今日よい話をしましたか?”のしおりを大切にするよう言い聞かせました。

 先生の説明も聞き、昨日の教訓も経験したAさんは、自分が悪かったことを分かるはずでしょう。しかし思いもかけずAさんは昨日よりもっと悪いことをし出しました。彼ははさみでしおりを切ってしまいました。クラスメートは皆憤慨しAさんを囲みましたが、皆は彼がすぐ悪の報いに遭ったことを見ました。彼の手は、はさみで切って血が流れてきました。クラスメートたちの責める顔と、血が止まらない自分の手を見て、Aさんは肩をすぼめましたが、ぜんぜん後悔する様子がありませんでした。 

 不思議なことが起きました:昼ごはんの後、何人かのクラスメートは、グラウンドで“どっちボール”をやろうと提案しました。Aさんも参加しました。彼は西側に立っていました。不思議なことは、私は、ボールを東側にいるBさんに投げる時、ボールは方向を変え、しかも速やかに西側にいるAさんに向かいました。Aさんの顔はボールに力強く打たれ、また鼻血が出てしまいました。みんなはびっくりしました。しかしAさんは怒っていませんでした。

 体育の授業の時、Aさんは、しおりを切ったことをすごく後悔している、自分が悪かったと私に告げました。教室に戻ったら、私はそのしおりをきれいに貼り付けてあげて、しおりも命があるので、大事にするようAさんに告げました。慈悲偉大な師父は彼に善に向かう機会を与えてあげたと思っています。

 私はこのことをお母さんに話しました。お母さんはこれを書いて明慧クラスの小弟子と分かち合うよう勧めました。皆は心に善の念を持ち、もらった全てのものを大事にするよう願っています。私たちクラスの全員は、心に善の念を持つ意義と重要さを体得しました。収穫が最も多いのはAさんでしょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/3/24/97997.html