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妻は迫害により死亡、黄国華さんはタイに逃亡して緊急の救援を呼びかける(二)

 文/黄国華さん

 【明慧网2004年10月1日】2002年12月29日、私は再び労教2年の判決を受け、広州市第一労教2大隊に送り返されました。このときは2大隊副大隊長のヒ德軍が私を受け入れました。私が彼らの言うとおりにせずにしゃがまなかったため、法輪功学習者を拷問する専門の暗い部屋にだまされて入れられました。王峰、崔玉才、王延奎の三人の労教犯に殴られ、蹴られました。床に押さえつけられ、頭を思い切り踏みつけられました。手首が折れるほど曲げられました。ひじで腰をつつかれ、足を蹴られました。あまりにもひどく殴られ、私は当時の状況を覚えていません。私はまるでただの木になったようで、自分が誰か、どこにいるのかも忘れてしまいました。どれほど時間がたったのだろうか、彼らは殴りつかれると手を止めました。

 それから私はやっとその部屋が大法弟子を拷問する専用の部屋だということに気づきました。全部で5つの暗い部屋があり、部屋は約10平方メートルありました。壁は私の師父と法輪功を侮辱した絵と標語で埋め尽くされていました。その後6ヶ月間は別の部屋で過ごしました。24時間、少ないときは2人に、多いときには5人に監視されました。小さなプラスチックのいすに座らされ、立つこと、歩くこと、話すことも許されず、毎日大法と師父を侮辱した本とビデオを強制的に見せられました!私は残虐な拷問に耐えられず、偽りの“決裂書”を書き、毎日法輪功と師父を馬鹿にしたいわゆる“感想”を書かされました。本心とは違ったうそ、そして良心の呵責は常に私を苦しめました。私は「死んだ方がましだ」という気持ちを本当に体験し、当時は死んで何もかも終わりにしようと強く思っていました。毎日、私をすぐに死なせてくれる何かを待ち望んでいたほどでした。しかし法輪功は殺生を禁止しているので、自殺はできませんでした。

 2003年4月2日、天河区の610オフィスが突然私を訪ね、妻の死亡を宣告しました。それを聞いたときはほとんど気を失って倒れるところでした。毎日妻が無事に戻ってくるのを待ち望み、早く子供に会いたかったのに、すでにはるか遠いところに行ってしまっていたなんて!妻が迫害を受けてから4ヶ月以上たちます。私が最後に妻を見たとき、朝夕待ち望んでいた妻の姿はもう認識できなくなっていました。610オフィスはさらに私をだまして火葬契約書にサインさせようとしましたが、私はその場で断り、身内にあって話し合わせてくれるように言いました。彼らはしぶしぶ4月3日午前10時ごろに私を待合室に連れて行き、私は妻の兄、羅輯さんと姉、羅績芬さんに会うことができました。私の母は法輪功学習者だったため、会わせてくれませんでした。

 610オフィスは妻と子供を迫害し死に至らしめたことについて一切の責任を負わず、賠償もありませんでした。かれらは、妻は自殺したと言って、私がこれ以上火葬のサインを拒めば強制的に火葬すると言いました。さらに妻の兄、羅輯さんを脅しました。羅輯さんは交通警察でした。610オフィスは私を脅し、サインしなければ羅輯さんの監獄の期間を減らさずに、さらに増やすと言いました。羅輯さんが再度610オフィスの迫害に遭うのを防ぐため、私は仕方なくサインしました。4月5日、妻の遺体が火葬され、哀れな母は片手で私の娘を抱き、片手に妻の骨を持って山東の実家に戻りました。しかし家に戻ると、私の父、黄佃青はもう臨駒県の610オフィスに再び捕まえられ、洗脳班に連れて行かれたあとでした。

 それから、不法な者は5人に増え、24時間私を監視しました。トイレに行くときさえ3人が付き添い、両側を固められました。これらの苦しい日々をどうやってすごしてきたか、よく覚えていません。私の顔から笑みが一瞬でも消えると、警察が来て“話し合い”をするのでした。それは事実上“脅し”でした。私が彼らの思うまま迫害に遭い、妻と子供が彼らによって殺されたと言うのに、私に「笑え!」と言うのです。かれらは果たして本当に“人間”なのでしょうか?

 私の一挙一動はすべて監視員に記録されました。夜寝ているときの寝返りを打った回数が増えただけでトラブルが起こりました。かれらは、寝返りの回数の増加は思想が不安定である証拠だと言いました。その後も強制労働させられ、2003年12月16日に再度釈放されました。不法な人員たちは広州のいたるところで私を追跡して監視しました。私は友人の助けを借りてやっとのことで仕事を見つけました。“コダック”という、写真のチェーン店です。私が、610オフィスがいかにして妻を迫害したのかをいろんな人に尋ねていたため、不法な人員たちは怖くなり、またもや私を捕まえようとしました。私は一日前の朝6時にこの店を離れました。2004年4月13日の午後1時前後、不法な人員らは突然店に押し入り、大法弟子3人を捕まえました。店のオーナーも捕まえようとしました。最後にはこの店は迫害されて経営ができなくなり、閉店しました。直接損失は40万元を超えました。

 私は広州で住むところもなく、いろいろなところを転々としました。法輪功に対する迫害を調査する国際組織が2004年7月、妻、羅績湘を迫害した者を調べていた時に广州天河区と興華街の610オフィスに電話調査をしたため、610オフィスはさらにまた私を追いました。私の戸籍はまだ山東省だったので、私はこっそり山東省に戻ってパスポートを作りました。ある旅行会社の助けを借りて、旅行の名目で8月20日に香港からの飛行機(OX203便)でタイのバンコクに着き、広州610オフィスの邪悪な組織の追っ手からやっとのことで逃れることができました。

 今帰国すればきわめて危険な状況下に置かされます。私は家があっても帰ることができず、祖国があっても、不平を訴えることができません。国連難民事務所あるいは他の政府や機関の助けが必要です。国際組織のみなさん、巨大な迫害を受けている法輪功学習者に救いの手を差し伸べてください。人々はあなた方の正しい行いを忘れないでしょう。

 私はあなた方に限りない感激を覚え、私の最も誠実な謝意をささげたいと思います。

 ひどい苦難を受け、助けをすぐに必要とする人:黄国華
 2003年8月23日、タイ、バンコクにて

付録1:私と妻の羅績湘を迫害した人のリスト

私を迫害した人:

広州市の第1労動教養所
住所:広州市は花都区赤泥鎮
所長:張、電話:86-20-8671 7141
副所長:周洋波、電話:86-20-8671 7141
教育科副課長:陳敏華
管理科副課長:陳立、 電話:86-20-8684 1598、 携帯電話:86-138 2513 5312
二大隊:(法輪功を迫害する専門の大隊)
電話:86-20-8684 1593
政治工作員:李国明
大隊長:周建宏
副大隊長:何桂朝
副大隊長:畢徳軍
警備員:陳富民、黎偉成、盧為民、武という人、洪という人

羅績湘を迫害した人:

広州天河区の“610”の主任:劉という人、電話:86-20-3862 2610
天河区興華街の街道事務所の“610”の主任:程地 電話:86-20-8830 1418,8722 6889
“610”人員:閻佳 電話:86-20-8722 6690
興華街派出所で羅績湘を専門に管理していた警察:頼文輝、電話:86-138 0275 1813
羅績湘の住民委員会の名前:“金建苑住民委員会”
主任:阿嬌(女性)電話:86-20-8704 0756
副主任:莫穂鉄(法輪功学習者の迫害を専門に管理する人) 電話:86-137 1066 8618
羅績湘の元の勤め先:広東省農業開墾実業総会社
社長:厳業存、電話:(事務所)86-20-8770 2488,(住宅)86-20-8704 1988,(携帯電話)86-138 0888 8376
労働組合主席:李永科、電話:(事務所)86-20-8770 2488,(住宅)86-20-8704 0450,(携帯電話)86-138 0253 0323
人事部マネージャー:宋強、電話:(事務所)86-20-8764 9014,(住宅)86-20-8724 1911,(住宅)86-20-8704 0035
広州海珠区の“610”の王志能、携帯電話:86-139 0306 0392
広州海珠区南洲街派出所所長:李志忠 警察番号:024430 電話:86-20-8420 4836


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/1/85494.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/10/4/53125.html