日本明慧


呉玉琴さんが生前に言い残した言葉

 文/呉玉琴さんの口述、法輪功学習者が成文

 【明慧ネット2005年4月1日】背景資料:内モンゴル錫林浩特市の法輪功学習者、呉玉琴さんは2003年12月25日に錫林浩特市610事務局の警官に家から連行されて、その当日の夜に虐殺された。事件後、家族は関係部門と6回に渡って交渉を行った結果、錫林浩特市の党委員会は事件に関与している6名の警察官(幹部を含めて)を処罰して、3万5千元を家族に賠償する条件を受け入れた後、2004年1月8日に錫林浩特市公安警察の厳しい監視のもとに、呉玉琴さんの遺体は火葬された。

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 私は大草原の僻地に住んでいた。この地域の医療状況がまだ整備されていないし、交通もかなり不便なところである。私はかつて出産後の体調不良、不眠、貧血、めまい、関節炎、不整脈などの病気に悩まされていた。1999年の初めに法輪功に出会って、2ヶ月修煉してから体が軽快になって以前はできなかった家事もできるようになった。

 法輪功が弾圧されてから、ある学習者は迫害を恐れて、修煉をやめて大法の書籍を燃やそうとしているところに、本の中の字が動き回っているのが見えて、怖くなって燃やさなかった。私はこの話を聞いた後、その人から大法の本を買い取って大切に保管した。家族は、迫害のことを恐れて、私に煉功をさせなかったが、私は夜にこっそり庭に出て煉功していた。蚊に咬まれて皮膚にたくさんぶつぶつが出たが、翌日の朝になったら、ぶつぶつが影も残らずに消えた。 

 2001年に北京へ陳情に行って、天安門広場に、一緒に行った学習者が警察官に拘束されたが、私は抜け出して回りを一周回ってから天安門広場に戻って、“真、善、忍”を書いている横断幕を広げて、『法輪大法は素晴らしい』と叫んだ。当時、現場にいる警官は何にも見えてないような表情でした。傍にいる一人の年寄りの方は『速く行きなさい』と私に暗示した。ちょうどその時にすぐ近くに一台のタクシーが止まっていた。私は横断幕を片付けてタクシーに乗り込んだ。道路で運転手に法輪功の真相を説明したときに、運転手さんは『お姉さん、すぐに地元に帰りましょう。北京で警察が網を張って、至る所で法輪功の人を捕まえようとしており、とても危険だよ!』と私に話した。 

 地元に戻った後、私は昔の同級生の家を一軒一軒訪ねて、法輪功の真相を説明に行った。また、我が家で乳牛を飼っており、毎日数十キロの牛乳を搾って売っている。私はあらゆるチャンスを利用して、牛乳を買いに来る人に真相を伝えた。

 2002年3月のある日、突然に数人の私服警察官は家に訪れて家の隅々まで捜査したが、彼たちの狙った物が何にも見つからなかった。それでも彼たちは私を強制連行して拘留所に入れた。私は絶食して抗議し、3回尋問されても、何も言わなかったので、81時間後に釈放された。 


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/1/98613.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/14/59626.html