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母親が不法に強制労働教養され、15歳の少年はショックに堪えきれず服毒死

 

 【明慧ネット2005年4月14日】青島平度寥蘭鎮民一村の大法学習者・官淑君(今年39歳)は、2001年1月—2003年6月の間、不法に強制労働教養を科された。彼女の息子王小帥はショックに堪えきれず、2001年8月30日に毒を服用して自殺した。享年はわずか15歳であった。

 官淑君は2000年10月に不法に三年間の強制労働教養の判決を受け、済南山東の女子第一労働教養所に拘禁された。官淑君が拘禁されてから、息子の王小帥は(竜年で、1987年生まれ)学校でひどく差別され、いじめられていた。夫も一日中賭博ばっかりしていて、子供の面倒も見なかった。王小帥は母の庇護と家族の愛情を失って、母親を失った辛さに耐えていたが、他人に白い目で見られたり話題にされたりして、心に大きな傷を受け、2001年8月30日に毒を服用して自殺した。

 王小帥は我慢して農薬を飲み込んだ。農薬を飲み込んでからほどなく、あまりの苦しさにクラスメートに助けを求めたが、すでに遅く、緊急措置もまったく間に合わなかった。罪のない、支える人がいない若い命はこうしてこの世から消えた。王小帥が亡くなった時はわずか15歳で、中学校一年生だった。王小帥がなくなってから、学校はいろんな手段を尽くして事実を隠そうとし、本当のことが公に知られるのを恐れていた。

 悪政権の下で、官淑君の夫は妻が不法に強制労働教養されてから、離婚を要求した。その上、賭博はするし、子供の面倒はみないし、まだ離婚もしていないのに、すでに他の女性と同居生活をしていた。官淑君は労教所内で、離婚したくない、出所後また夫と暮らしたいといった。しかし、2003年に、裁判所の係官が官淑君の夫を労教所まで連れて行って、離婚協議書に無理やりサインさせ、家族がばらばらになった。

 判決が出た日に、彼女はずっと泣いており、とても痛ましかった。その姿を見て、当時その場にいた多くの人たちも、ともに涙を流した……

 2003年、官淑君が所内から釈放されて帰宅したときには、すでに家が無くなって、子供も亡くなっていた。夫も再婚していて、彼女は住むところさえなくなったので、姉の家にしばらく泊めてもらうしかなかった。

 ただ、いい人になろうとした弱い女は、邪党の政権の下で、なんと真善忍を信仰することでこんなに重い代価を払った。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/14/99602.html