日本明慧


共産党の大捜査はその戦々恐々さを示している
——共産党邪教の破滅前における再度の犯罪を評する

 

 文/飛鳴

 【明慧ネット2005年4月22日】1999年7月20日の夜は、私にとって生涯忘れられない日となった。中共江沢民政権が中国各地で法輪功の連絡人に対する大規模な不法逮捕を行ったとの情報を聞いたとき、私の気持ちはとても重苦しくなった。当時、身をアメリカにおきながら、しかし、中共の恐怖政治の下で成長した私が、この情報を聞いたとき、依然として恐怖の圧力を感じずにはいられなかった。

 早くも六年間が経った。この歳月における正義と邪悪との鮮明な対比を経た今日に、再び中共が大陸の法輪功学習者に対して、7.20事件以降の最大規模の迫害を展開したことを耳にしたが、私の心情はもう昔のものではなかった。

 恐怖政治が恐怖だと呼ばれるゆえんは、ただ監獄及び残酷刑の肉体に対する迫害ではなく、それはこの上に樹立された“強権こそが真理だ”という人々の心理をさいなむロジックの存在である。そのため人々は、ひいては被害者本人と家族までも、えてして無意識のうちに被害者を被告の席に座らせるケースが多い。この歪曲された心理こそが、邪悪が存続し得る原因なのだ。

 暴徒に略奪される人の富が、罪ではない。痴漢に強姦される女性の美貌も、罪ではない。しかし暴徒と痴漢以上に邪悪な政党が暴力を振るったとき、被害者が自分の合法的な権利を行使し、本当の事実を訴えることはなおさら罪ではないのだ!被告の席に座るのはこの民衆の信念及び言論の自由を蹂躙する共産党という邪教であるべきだ。

 今回の共産党による大捜査は、海外の大紀元メディアの社説である『共産党についての九つの評論』が、海外及び国内で広汎な影響を及ぼし、そして共産党を戦々恐々とさせる脱党のブームが原因である。大紀元の志願従事者の大半は法輪功学習者であり、彼らが大紀元の運営及び発行に参加するのは、自分たちの言論の自由の権利を行使しているにすぎない。このメディアは国内及び国外で、中共の統制及び圧力に屈せず、真相を伝えることができる唯一の中国語メディアである。真相を伝えるのは罪ではない。真相を伝えるのは政治に参与しているわけでもない。真相を伝えるは社会に有益な行為である。共産党の打ち出した“反動政治組織”のレッテルはもうなんの威嚇の効果も生じなくなり、ただ一つの笑えないユーモアにすぎない。その反対に、本当の“反動政治組織”は、人民の言論の自由及び知る権利を剥奪し、国家財産を恣意に略奪する中共という邪教である。この“反動政治組織”が、くだらないレッテルをなんの政治意欲も持たない、ただ真相を伝え、迫害を暴露する民間団体に張った瞬間から、この“反動政治組織”は自分を被告の席に座らせたことになったのである。

 被告席に座る邪教の暴徒たちを見れば、今回の大規模な迫害の展開は、犯罪者が最後の審判に直面する際の、最後の狂気じみた攻撃に過ぎないことが分かる。しかし、この狂気じみた攻撃が、かえって彼らの臆病さ、無頼な本性を現し、さらに彼らの戦々恐々とおびえる絶望さを示したことになる。この狂気じみた攻撃は、大審判に直面する彼らにとって、罪業を加重させた上、この邪教政党の滅亡を加速させたに他ならないのである。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/22/100258.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/23/59969.html