日本明慧


どう修煉すれば良いか

 

 文/湖北大法弟子

 【明慧ネット2005年3月31日】どう修煉すれば良いか? この問題について常に私に聞く人がいる。何回も討論したが、見方はみな異なっていた。勿論、みなの次元が異なるので、言い方も認識も異なる。私は目下、私個人のこの問題に対する浅い見方を語る。

 この問題を討論する時、前提は修煉することである。先ず、必ず自分が法輪功の修煉者であること、大法弟子であることを明確にしないといけない。即ち、法に基づいてこの問題を認識しないといけない。大法弟子は最も偉大な法が作った生命である。そしたら、必ず法を勉強して心を修め、煉功を堅持し、至るところで師父の教えに従って、法に従って行わなければならない。
 
 どう修煉すれば良いか? 師父は『2004年ニューヨーク国際法会での説法』でこうおっしゃった。「どのように良く行うのかについて、ほかでもなく大法弟子として行うべき三つの事を良く行うことができれば、最も良く行うことになります」。私は三つの事を良く行うと良く修煉できたと思う。三つの事、即ち、一は法を勉強して心を修めること、二は正念を発すること、三は法を証明し、衆生を救い済度することである。良く行ったかどうかは法の基準で図るべきである。

 私達は修煉する人である。常人社会で修煉するので、人心が現れるのも当然である。ゆるがせにするか、それとも厳しく要求し、取り除くか? 私は、人心が現れたら、修めるべきで、自分の足りないところは修め、抑制し、自分の良くないところを取り除くべきだと思う。高い基準で自分を要求し、また更に高い基準で自分を要求すべきである。客観的な条件を強調せず、自分がかんしゃく持ちと強調してはいけない。確実に「経はその心を修め 功はその体を煉り 他日に円満する時 真善忍を納める」(同化『洪吟』)ようにしないといけない。中心から表面まで少しずつ自分を修煉する。師父の法身の按配と指導、保護の下で、自分の修煉の一歩一歩を正しく、良く歩むべきである。目下の状況で、気をちらして、絶対に他のことをしようと考えてはいけない。特にお金の問題に気を散らせてはいけない。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2005/3/31/98414.html