日本明慧


山東、陝西、内モンゴル等で13名の大法学習者が迫害により死亡した

 【明慧ネット2005年4月21日】

 付忠興さん、76歳、山東省東栄市河口区二呂村の定年した年配の老幹部である。家族はみんな大法を修練しており、心身共に受益して、楽しんでいた。99年7月20日から江氏ならず者集団が法輪功を迫害し出した後、家族みんなで何度も北京に陳情に行って、大法のために公平であるよう要求した。その苦しい日々で、家族は迫害でみんなばらばらにされた。長男は不法に労働教養3年を判決された。2番目の嫁さんは洗脳クラスに拘禁され苦しめられた。長女と婿さんは北京に陳情に行ったため不法に家宅捜査されその後連行されて、不法に数日間拘留されその後長期的に拘禁された。2002年の新年、76歳の付忠興さんは一人で三人の孫(12歳、13歳、14歳)と生活していた。世話をする人はいないし、それに常に悪徳な警官にかき乱され、最後に老人は高圧的な重い負担に耐えられず2002年旧暦の5月5日に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 王至玉(音訳)さんは女性で、地元では王老人と呼ばれていた、陝西省洋県の人である。いつも人に大法の真相を伝えが、主に人に会って真相を伝えた。2005年4月12−13日に、地元の悪徳な警官に連行され、省610オフィスは洋県の迫害に参加し、当日か翌日に王さんは迫害により死亡した。

 徐振服さんは、64歳の男性で内モンゴル霍林郭勒市沙爾呼熱鎮の人である。1997年に法輪大法を修練し始め、心身共に受益した。99年7月20日以後当地の悪人に度々家をかき乱され迫害された。彼の妻は法を実証するため北京に行ったが、現地の悪人に何度も拉致され不法に拘留されて、その精神に大きな打撃を受けた。彼の妻が第三回目に拘留された期間の2002年3月6日冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 徐亜叢さんは、63歳の男性で、内モンゴル霍林郭勒市沙爾呼熱鎮の人である。1997年に法輪大法を修練し始め、99年9月9日に北京に法を正すため真相を伝えに行った。現地の悪人に拉致され不法に半月間拘留された。その後何度も法を正したため、不法に家宅捜査され、拘留された。地元の悪徳な警官に常にかき乱され。 徐亜叢さんは2003年2月7日に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 王玉傑さんは、44歳の女性で、遼寧省本溪市の人である。法を得る前、多くの病気に患っていたが、修練後、すべての病気は完治した。99年10月に北京に行って真相を伝え、法を正したため、不法に拘留され迫害を受けた。釈放されてから、何度も地元の派出所、街オフィスの悪徳人にかき乱され、恐喝された。2002年4月8日に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 劉娟娟さんは、73歳の女性で、江西省南昌2付属病院の大法学習者である。修練する前、高血圧、糖尿病、脳溢血など、多くの病気に患っていた。多くは病院で治らなかったが、修練後、すべての病気は完治し、人が変わった様に元気になった。1999年悪人が迫害をし始めてから、常に警官に追跡され、恐喝されたので、正常な煉功や法の勉強はできず、2005年2月9日に突然この世を去った。

 劉輝松さんは、57歳の男性で、湖北省武穴市大金鎮農機会社の社員である。1999年7月20日以来、何度も大金鎮派出所の悪徳な警官にかき乱され恐喝された。さらに威嚇されて陳情することを禁止された。大金鎮党委員会の悪徳人は劉娟娟さんを失業させ、生活の保障をさせなかった。2004年11月に劉娟娟さんは脳血栓で冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 于惠琴さんは、女性で、広東省織物貿易会社の大法学習者である。2000年の定年後、長期的にかき乱され、監視され、洗脳クラスに連行されて迫害を受けた。そして心身ともに打撃を受けて、2001年12月に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 陳尚英さんは、83歳の女性で、和やかで善良な老人で、皆から尊敬されている。孫は法を正したため、数回逮捕された。老人は極度に悲しみ心身ともに大きな打撃を受けた。2001年旧暦で12月11日に、孫が再び逮捕されたため、老人の陳さんは憂鬱が過度になり冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 張執俊さんは、男性で、河北省南皮県の人である。96年大法を修練し始め、半年の間ですべての病気は完治した。99年7月20日の後、北京で法を正したため拘留された。家に帰ってからも常にかき乱されたため、煉功はできず、2003年旧暦で8月18日にこの世を去った。

 夏文忠さんは、59歳の男性で、河北邯タン市成安県の人である。彼は2002年8月31日に県会に参加しているときに連行され、成安県公安局政保の悪徳な警官の田貴生、楊士花をはじめとする数名の悪徳警官にひどく殴られ、電刑を受けた。これが原因で血圧が高くなり、脳血栓症状になった。その後大名刑務所、石家庄刑務所で残酷な迫害を受け、高圧の下で保証書にサインした。そして師父と大法に不敬なことがあった。その後家族みんなの協力で新年前に釈放された。帰ってから迫害がもとで時々が意識不明となったが、学習者との交流と法の勉強を通して厳正声明を発表した。数日後の2005年3月14日に冤罪を晴らせないままこの世を去った。

 崔彤さんは、62歳の女性で、長春市の時計会社の社員である。99年4月25日に北京に行って法を正したため、何度も悪徳人にかき乱され、恐喝され、家宅捜査され洗脳クラスに送られたことにより、片方の目が失明した。恐ろしくておしっこを漏らしたことに驚いた悪徳な警官は、相前後して家人から1000元を強請り取り、それで釈放された。家があっても帰れず、1年後体調が崩れ、肺がん末期と検査された。2004年9月末にこの世を去った。

 靳淑賢さんは、74歳の女性で、長春市の人である。大法を修練後すべての病気は完治した。99年7月20日以後派出所から何度も保証書にサインすることを迫られ、かき乱され、恐喝され、その上、3人の娘は労働教養された。更にもう一人は洗脳クラスに送られたため、?淑賢さんは心身ともに極度の打撃を受けて、2000年6月にこの世を去った。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/21/100141.html